第52話、海と悪役②

「どうして進藤龍介、お前がここにいるんだよ……」

「それは俺のセリフだ。布施川、なんでお前がこんなところにいる?」


 お互いにお互いの姿を見つけて動揺する俺と布施川頼人。


 この物語の主人公である布施川頼人は6月の時点でヒロインとの海水浴イベントを終えている。


 ヒロインの一人である桜宮さくらみや美雪みゆきの親戚が所有するプライベートビーチで海水浴やら海辺でのバーベキューなど、海でのイベントを堪能したはず。


 それは原作にあった展開で、その内容を俺はよく覚えている。そして俺の記憶が正しいのなら『ふせこい』の夏休み回といえば、海水浴以外の夏っぽいイベントがたくさん詰まっていた。


 一度やった海水浴のイベントを繰り返せば読者は飽きる。そういった物語の構成の問題から主人公達は夏休みの間に海にもプールにも近寄る事さえしなかった。


 そんな原作の内容を覚えていた俺は真白と妹を連れて海に行っても、主人公側の人間と遭遇する可能性は低いと考えていた。


 そのはずが俺の目の前に布施川頼人がいるのは一体どういうことか? それに水着に着替え終えたばかりと言った感じで、これから海の方へ向かうような格好だ。


 原作には一切なかったイレギュラーな展開。完全に俺達の海水浴とタイミングが被っている。偶然とは言え出来すぎだ、一体何が起こっているのだろうか。


「頼人くん、何してるんですか? ほら、こっちですよ」

「頼人、早くしないとあたしと優奈で先に言っちゃうわよ!」


 海の家の外から主人公を取り巻くヒロイン二人の声が聞こえる。花崎はなさき優奈ゆうな姫野ひめの夏恋かれんの二人で間違いない。もう一人のヒロイン、桜宮美雪はいないのだろうか?


 布施川頼人は「お、おう……!」と返事をして、それ以上は何も言わずに慌てて俺の横を通り過ぎていった。


 海の家から出て行ったところで、外で待っていた二人と合流したのが視界に映る。これからヒロイン達と夏っぽいラブコメ的な光景を繰り広げる事だろう。


 俺はそんな奴らに背を向けて、更衣室に向かって着替えを始めた。


 鞄から海パンを取り出して、着替えをしながら今の状況を整理する。


「なるほどな……俺達の海水浴に、主人公をぶつけてきたって事か」


 悪天候で俺達の海水浴を妨害してこなかった理由が今分かった。


 奴らがいるという事は、この海水浴場は主人公とヒロイン達によるラブコメイベントの舞台と化した。となればラブコメ作品の常識に則って、この舞台にある全てが主人公とヒロインを中心にして動き出す。


 これは原作にはなかった展開だ。やはり俺がテスト対決で布施川頼人を真っ向から打ち破った事で、物語の内容が俺の知る原作からズレ始めているのだろうか。


 主人公は物語に二人もいらない。


 俺達よりもラブコメっぽい海のイベントを満喫する事で、読者に真の主人公が誰であるかを見せつけるつもりなのだろうか。


 脇役は海水浴場の隅っこで砂山でも作って大人しくしていろ、とでも言いたいのかもしれない。


「そうは行くかよ……」


 俺はこの世界で悪役を脱却し、主人公になる事を心に決めた。


 夏休みのイベントで悪役として消費されるなんて絶対に嫌だし、主人公達から隠れて海水浴場の隅っこで砂山作りだけして時間を過ごすのだってお断りだ。


 それにこの状況はピンチであるが、同時に俺にとってチャンスでもある。


 ここがイベントの舞台となり主人公達がスポットライトを浴びている今。


 俺が奴ら以上に最高の見せ場を作り、活躍する事が出来たなら、それだけ読者は俺に注目してくれるはず。主人公は俺なのだとアピールする大チャンスになり得るのだ。


 リスクもあるがリターンも大きい、やってみる価値はありそうだ。


 状況の整理と水着への着替えを終えた俺は、貴重品をロッカーに預けてさっき決めた集合場所へと戻った。


「お兄ちゃん、おかえりー! 待ってたよ―!」


 俺が戻ってきた事に気付いた舞が笑顔で駆け寄ってくる。


 腰に花柄のパレオを巻いて、オフショルダーの水着を着た姿はとても可愛らしい。今日までずっと悩んでいただけあってとても似合っていると思う。


「舞。似合ってるな、その水着」

「でしょー? お兄ちゃんめっちゃ良く分かってるじゃん!」


 俺に褒められた舞は満更でもない様子、嬉しそうな表情を浮かべていた。


 その様子を見つめながら、俺は真白の姿が近くにない事に気付いて首を傾げた。


「あれ、真白はどうしたんだ?」

「真白さん、もう少ししたら来ると思うよ。お兄ちゃん、びっくりしないでよね? もうやばすぎるんだから、真白さんの水着姿」


「舞はもう真白の水着姿を堪能してきたってわけか」

「まあねー。ほんっとめちゃくちゃ可愛いかった。水着姿の真白さん天使すぎて、あたし感動を飛び越えて死んじゃうかと思ったもん」


「感動を飛び越えて死ぬかと思ったか。随分とハードルを上げてきたな」

「だってだって本当にそうなんだよー? 真白さん、肌綺麗だしスタイル抜群なんだから!」


 まあ確かにそれは分かる。

 そして舞がいくらハードルを上げても、真白がそれを軽々と飛び越えてしまうことも知っている。


 果たしてどんな水着姿を披露してくれるのか、正直言うと楽しみで仕方がない。


 俺がそわそわとした気持ちで真白が戻ってくるのを待っていると、舞はむふふっと悪戯っぽく笑った。


「お兄ちゃんってほんと分かりやすいよねー。平静な感じを装ってるつもりだろうけど、めっちゃ顔に出てるよ。ぷぷー」

「ほほう、またからかう気だな。それなら俺にも考えがあるぞ」


「うわ、今度はお兄ちゃんが何か企んでる顔してる!」

「母さんからもらったお小遣いを俺が管理してるのを忘れてるだろ。今の俺なら舞の昼食を人質に取る事も出来るんだぞ?」


「んえ!? あたしのお昼ご飯を……!!」

「ここの焼きそばは絶品だって口コミサイトでも大人気だし、かき氷は美味くてSNS映えする見た目だって評判なのにな。そうか、舞だけ昼飯抜きか」


「え゛ーっ!? ごめんなさいっ! 許してお兄様!」

「よろしい。素直なのはいいことだ」


「ははー、ありがたき幸せぇ」

「はいはい。ついでに舞にはお使い頼んどくか、真白が来るまでにビーチパラソルとレジャーシートを借りてこい。無事に借りてこれたら、特別にかき氷のトッピングを許可しよう」


「了解であります、お兄様!」

「気をつけて行って来いよー」


 俺の財布を受け取った後、舞はビシッと敬礼をしてから小走りで駆けていく。うんうん、海水浴って事で良い感じにテンションが上がっているようだ。


 そんな妹の後ろ姿を見送って、真白が戻ってくるのを待っていると――。


「――龍介、おまたせ。着替えてきたよ……その、どうかな?」


 俺はその声に振り向く。

 そこには水着姿の天使が立っていた。


 胸元に可愛らしいフリルが装飾された清楚さ溢れる純白のビキニが、その天使の魅力をより一層引き立てる。


 美しく透き通るような白い肌は一切の穢れを知らず、触れたら壊れてしまいそうな程に繊細に見える。ふっくらとして柔らかそうでいながら引き締まったお腹、そこから腰回りにかけて描かれる曲線が芸術品のように美しい。細くて華奢なのに出るところは出ていてしなやかな身体付きは、まさに完成された美の体現。


 健康的で艶やかな太もものむっちりとした肉感と、その先のスラリと伸びた脚線美の調和は奇跡の産物のようだ。


 そして何よりも目を引くのはその大きな至高の双丘。白い布に包まれた大きな膨らみはたゆんたゆんと弾むように揺れ動いて、豊潤な存在感を見せつけてくる。


 その水着姿の天使は、俺の幼馴染である真白。最強の美少女。


 彼女が恥ずかしそうにもじもじと身体を動かす度に、腰まで伸びた黒髪が小さくなびいて甘い香りを振りまいていく。


 ――そうだった。

 俺には世界最強の美少女、真白がついている。


 真白とこうしているだけで布施川頼人との遭遇によって生まれた不安が消え去っていくのを感じた。


 俺と真白ならどんな逆境だろうと乗り越えられる。今までそうだった、俺は真白と何度も立ち塞がる困難を一緒に越えてきた。


 俺と真白で最高の思い出を作るのは決して不可能なんかじゃない。


 悪役だって主人公よりも輝ける事を証明してやるんだ。


 だから俺は恥じらう真白の澄んだ青い瞳を見つめて言った。


「真白、最高に可愛いよ」

「……えへへ、やばっ。その褒められ方は、ちょっと……ううん、本気で照れるかも」


 照れて赤く染まった頬によって、真白の顔立ちがいつもより少しだけ幼く感じて、艶やかな唇から漏れ出る吐息は甘くて熱い。


 そんな彼女の反応を見た俺の心臓も、彼女につられて激しく鼓動していく。けれど俺は真っ直ぐに彼女を見つめ続けた。胸に宿ったこの想いをしっかりと伝えたいと思ったからだ。


「真白、本当に綺麗だよ。こんなに綺麗な真白と一緒に海を楽しめるなんて俺は幸せ者だ」

「龍介にそこまで言われると、なんか……その、嬉しいけどすごく恥ずかしい……。でもありがとう。龍介がそう思ってくれるだけで、わたし、凄く幸せな気分になれるよ」


「たくさん楽しもうな。今日が俺達にとって大切な日になるように。俺が絶対に真白を楽しい気持ちにしてみせるから」

「うん、龍介。よろしくお願いします。いっぱい、楽しくしてね」


 真夏の日差しに負けないくらい熱くなった顔を互いに隠す事なく、二人で見つめ合いながら微笑んで、今日という日を最高のものにしようと固く誓った。

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