第42話、大雨

 あれから夏休みが来るまであっという間だった。


 海に行くなら何処に行こう、キャンプするなら何が必要かなど、俺と真白は学校で毎日のように話し合う。時には意見が割れたりした事もあったが、それもまた楽しくて仕方がないものだった。


 夏休みへの期待はどんどん高まっていき、学校へ行く足取りもどんどん軽くなる。真白の方も俺との夏休みを楽しみにしているようで、終業式が近付くに連れて日増しに笑顔が眩しくなっていった。


 それなのにいざ夏休みを迎えてみれば――。


「雨、雨かあ……」


 俺はリビングの窓の向こうを眺めながら大きな溜息をつく。


 土砂降りだった。風も強く横薙ぎの大雨で視界が霞むほどの大雨だ。


 昨日、天気予報をスマホアプリで確認した時は降水確率0%。


 夏休みに入ってからは晴れ模様がしばらく続くようで、気温も湿度もちょうど良く、まさに絶好のお出かけ日和という感じだったのに――蓋を開けてみればまさかの大雨。


 予報士の話では急速に発達した低気圧がなんちゃらかんちゃらで、とにかくまあ天気予報は全く当てにならなかったというわけだ。


 今日は真白とキャンプに行く予定だった。


 これは真白の要望であり、夏休み初日から行く事に決まっていたのだ。


 森林公園のキャンプ場でテントを立て、二人でカレーを作って、夜空を眺める。それから仲良く同じテントで就寝。最高の一夜を予定していて、その為の準備も抜かりなく済ませていた。


 そして朝。

 ハイテンションで目を覚ましてみれば、窓には大粒の雨がぶつかっている。


 しかもその勢いはかなり強くて、とてもじゃないが外に出られる状況ではなかった。


 真白と出かけるのは昼からだったので、朝からずっと雨が止んで欲しいと願いながら待っていたのだが……天気は良くなるどころか風も吹いてきて更に荒れ始めてしまった。


 それから出発を予定していた13時頃になって、真白に今日のキャンプは中止だと電話で連絡する。


 真白も残念そうな声で返事をした。電話越しでも分かるくらい落ち込んでいるのが伝わってきて俺もかなり心苦しい。


 それでも天候には逆らえない。悪天候の中で無理矢理に外へ出て、万が一にも真白に何かあったりしたら大変だ。だから今回のキャンプは諦めるしかなかった。


「お兄ちゃん、元気ないね……」


 リビングのソファーに座りながら外を眺めていると、不意に妹の舞から声を掛けられた。


 舞も雨で今日は陸上部の練習が中止となり、外にも出れず朝からずっと家の中にいる。


 心配そうに俺の顔を覗き込む舞。


 妹は俺と真白が夏休みに色んな予定を立てている事を知っていた。


『今までぶっきらぼうだったお兄ちゃんが、夏休みらしい事を何一つしてこなかったお兄ちゃんが、ついに真白さんと恋人らしく過ごす夏が来るなんて!』


 そう言って舞は俺と真白が夏休みを一緒に過ごす事を自分の事のように喜んでいた。そんな妹だからこそ今の俺の様子を見て放って置けない気持ちになったのだろう。


 妹を悲しませないよう俺は空元気で答える。


「大丈夫だ、舞。キャンプは延期、また天気の良い日に仕切り直せば良い話さ。別に俺は気にしてなんかいないぞ」

「そんな泣きそうな顔して言っても説得力なんて皆無だよ? 本当はすごく行きたかったんでしょ?」


「……っ。そりゃあ、な。真白もガッカリしているみたいだし、俺だって楽しみにしてたんだ。でも天気ばかりはどうしようもない、仕方ない事なんだ」

「だよね……お天気ばっかりはあたし達じゃどうしようもないし。はあ、神様もひどい事するよね。折角の夏休みなのにこんな大雨とか……」


 全くだ。


 本当に神様ってやつは意地悪だ。どうしてこうも俺と真白の仲を引き裂こうとするのか。いくらなんでもタイミングが最悪過ぎる。


 もしかしたらこの天候も俺と真白が二人でキャンプを楽しむのを阻止しようと、この世界の神様が動いた結果かもしれない。


 となればこの急な天候の変化も説明がつくというわけだ。


『悪役であるお前が最強の美少女である真白と、二人きりでキャンプなど言語道断』

『悪役は悪役らしく、夏休みは家で寂しく過ごしていろ』


 そんなメッセージが込められているような気がした。


 俺と真白が楽しく過ごす事を良しとしない、そんな悪意さえ感じるのだ。


 もしこの予想が当たっているなら事態はかなり深刻だろう。


 この夏休みは野外で遊ぶ予定をたくさん立てている。海水浴だったり、それに夏祭りや花火大会だって見に行く予定だ。


 原作には進藤龍介と甘夏真白が夏休みをどのように過ごすのか、そういった描写は一切なかった。主人公とヒロインの三人が過ごす夏休みに物語の焦点は当てられていて、悪役である俺達の出番は一切ない。


 原作には描写されていない部分くらい、悪役だって好きに過ごさせて欲しい。


 しかし俺達の終着点として設定されている破滅エンドに向かって、物語は今も一直線に走り続けているのだろう。悪役は悪役らしい毎日を過ごして、最後は主人公達に断罪されるべきだと原作通りの展開を物語は望んでいる。


 こんなふうに俺達への妨害が続くなら、このまま夏休みの間ずっと天候に恵まれず、予定していたイベントが全て中止になってしまう可能性だってある。


 悪役である俺と真白にラブコメの主人公達が送るような青春は似合わないと、俺達の夏休みの予定をことごとく潰すつもりなのだ。


 けれど諦めきれない、諦めたくない。


 悪役だって青春したい。


 例えどんな障害があろうとも、俺は真白と二人で最高の夏休みを過ごすんだ。


 俺はスマホを取り出して打開策を考え始める。真白と二人で過ごす為の代案を見つけ出す為に、必死に思考を回転させた――その時だった。


 スマホのスピーカーから聞こえる着信音。

 画面には可愛らしい猫のアイコンが表示されていて、俺はすぐに通話ボタンを押してスマホを耳に寄せる。


 すると電話の向こう側から聞こえてきたのは、聞き慣れた可愛らしい声だった。


『もしもし、龍介。いきなり電話しちゃってごめんねっ』


 電話をかけてきた相手は真白だ。

 ハキハキとした弾むような明るい声。それでいて耳に優しく馴染んで心地良い。


 やっぱり真白の声には癒される。

 電話越しでも彼女の声はめちゃくちゃに可愛いのだ。


 彼女の声を聞いただけで、さっきまで沈んでいた気持ちが嘘のように晴れていくのを感じた。


「どうしたんだ、真白。一時間くらい前に今日のキャンプは中止だって連絡を入れたろ?」

『うん、覚えてるよ。それでね、今日ずーっと何か良い代案ないかなって考えてたの』


「代案?」

『わたしね、やっぱり龍介と一緒にキャンプするの諦めきれなくて。今日をすっごく楽しみにしてたから、何とかならないかなーって』


 その言葉を聞いて、俺は胸の奥が熱くなるのを感じる。


 真白も同じ気持ちだったのだ。

 今日をとても楽しみにしていて、雨で中止になってしまって落ち込んでいた。それでも俺と一緒に過ごしたいと、何とかしたいと考えてくれていた。


 そして真白が言い出した代案の内容、それを聞いて俺は驚くことになる。


『ねえ、龍介。それでわたし思いついたの。お外でのキャンプは駄目だったけど、お家で一緒にキャンプっぽい事したら良いんじゃないかって』

「へ……? 家の中でキャンプっぽい事……?」


 それって普通にお泊りするのと変わらないんじゃ? そう思ったのだがスピーカー越しの真白の声は悪戯っぽく楽しげな響きを帯びていて、何か絶対に面白い事が起こると予感させるものだった。


『ともかくわたしのお家に今から遊びに来て。雨の中で大変だと思うけど……よろしくお願いしますっ』

「それは構わないけど、家族には何て説明しよう? キャンプは流石に無理だって、この天気を見れば分かるもんだし……」


『わたしのお家に泊まっていくって言っちゃって大丈夫。龍介のお母さんの方はわたしが説得しておくから、舞ちゃんの方はよろしくね』

「分かった。じゃあ妹にはそう言っておく。他には何かあるか?」


『ううん、とりあえずは大丈夫。詳しい事は来てから話すねっ。あと気をつけて来てね、無理言っちゃってごめんね』

「いや、全然気にしないでくれ。むしろ嬉しいよ、誘ってくれて」

『えへへ……待ってるね、龍介。また後でっ』


 通話が切れた後、俺はスマホをポケットにしまう。


 相変わらず嵐のような子だ。

 だが、おかげですっかり元気が出た。


 真白はいつもこうだ、そして同時に思い知らされる。


 この世界がどのような方法で妨害してこようとも、明るく元気いっぱいな真白を止める事など出来はしない。


 神様も考えつかないような方法で、俺との楽しい夏休みを過ごそうとしてくれる。


 この世界に転生してきてから、俺はそんな真白の元気な姿に何度も力をもらっていた。


 今回もそんな真白を信じてみよう。あいつと一緒なら何があっても大丈夫なのだと、どんな困難も楽しく乗り越えられるはずだ。


 そんな確信を抱きながら、俺は急いで真白の家に向かう準備を始めたのであった。

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