第2話、悪役

 ラブコメに登場する『悪役の不良キャラ』――それは主人公の凄さを引き立てる為だけに存在する悲しい存在だ。


 物語では主人公と比べられる為だけに現れて、読者を楽しませる為だけに容赦なく敗北するそんな役回り。


 悪役のパターンは色々とあるが、とにかく主人公の前に現れて悪事を働く事に変わりはない。


 その悪事によってヒロインとの出会いのきっかけになったり、ヒロインと主人公の絆を確認させたり、ヒロインと主人公の間にあった壁を乗り越えさせたりするが、舞台装置として用意された噛ませ犬である事に違いはない。


 そういう連中は総じて読者から同情されないよう、背景が描写されないモブキャラだったり、やる事が大きくなってくると徹底的にクズとして描かれる場合が多い。


 そして例に漏れず、俺が転生してきたこの男もそんな悪役として相応しい人生を歩んできた事を、完璧ではないがぼんやりと思い出していた。


 喧嘩にタバコ、夜遊びで朝帰りは当たり前、授業だってまともに受けた事はない。地頭は良かったのか普通の高校に進学出来た事だけが奇跡と言えるが、転生する以前の俺はどうしようもない不良として生きてきたらしい。


 おぼろげな記憶の中、思い出した自分自身の名前は『進藤しんどう龍介りゅうすけ』で高校一年、さっきのギャルっぽい少女は間違いなく俺の妹であり『進藤まい』という名前で中学二年、単身赴任をしている父親を除いて、母親と一つ屋根の下で暮らしている。


 通っている学校の名前も通学路も、家の構造とか友人関係とか、まだ霞がかかったようではっきりとは思い出せないがある程度は把握する事が出来た。


 だが突如として頭の中に響いたこの世界の説明も、今俺が持っているおぼろげな記憶も、どちらも情報として理解しただけで、それが事実なのかまでははっきりと分かっていないのが現状だ。


 今までの記憶を明確に思い出す必要もあるし、ここが本当にラブコメの世界なのか、一体どのラブコメ作品を舞台にしたものなのか、それを確かめる為にも行動に移さなければならないだろう。


 真面目すぎる性格のせいか、こういう事はきっちりと確かめないと気が済まない。それが幸いしてか俺の気持ちはどんどん前を向いていく。


 それに本当にラブコメの世界への転生を果たしたというのなら、俺が今までマンガやアニメで見る事しか出来なかった華々しい学園生活が待っているという事。


 俺の理想とする甘酸っぱい青春を謳歌する事が出来るあの輝かしい世界が待っている。そう思うだけで胸が高まり始めた。


 転生してきた直後の混乱や憂鬱な気分はもうすっかり消え失せて、今の俺にあるのは新たな人生に対する期待と胸いっぱいの希望だけだった。


 というわけで俺は学校に向かう支度を進めていた。制服に袖を通し、ネクタイを首にかけ、使っているであろう学生鞄に手を伸ばす。


「……っ、学校にタバコとライターは要らないだろ。流石は不良だな」


 鞄の中には教科書など入っておらず、代わりに入っていたのは香水とタバコとライターだ。教科書は教室のロッカーや机の中に置いてあるのか何処にも見つからない、部屋に勉強した形跡が全くないので自主学習は一切していないように思える。


 思い出せる記憶がおぼろげな事もあって、実は大量の課題とか残っているかもしれないが、それを確かめる手段もないんだよな……。


 ひとまず学校に行く準備を終えた俺は部屋を出てリビングに向かった。一緒に暮らしているはずの母親は仕事で朝一番に家を出ているので姿はない、妹も俺より早く家を出たようで今は誰もいない。


 朝食を食べる気にもなれず、とりあえず俺は記憶の中にある学校へと向かう事にした。思い出せる道のりは何となくではあるが、流石に迷う事はないだろう。学校に行って知っている誰かに会えば色々と現状を確認出来るはず。


 家を出ると太陽が眩しかった。夏に近い春の日差しといったところか。俺が過労死したあの時は冬だったはず、時間にズレがあるようだ。


 そして曖昧な記憶を頼りに通学路を進むと、周囲には俺と同じ制服を着る男子高生が増えてきた。可愛いリボンを首にかけたセーラー服姿の女子高生達も見えてくる。


 俺は転生する直前まで社会人をやっていた。高校生活なんて随分と久しぶりだ。


 駆け抜けた青春時代をもう一度やり直すというのは少しワクワクするが、これからの学校生活が不安でもある。


 何せ俺が転生する以前の進藤龍介という男は入学してからずっとまともな行動を取っていない。平気で授業はサボるし、夜間には悪友とひたすら遊び回り、他校の生徒と喧嘩をしたりと問題児以外の何ものでもなかった。妹が朝言っていた事もそうだが、出席日数はギリギリらしい。


 不良として再スタートを切った俺の人生はゼロからではなくマイナスから始まっている。教師からの評判も最悪なのは間違いないだろう。クラスメイトからもどう思われているのか不安で仕方がない。さっきの陽気な気分から一転、学校に向かう足取りがどんどん重くなっていく。


(いや、今の俺なら大丈夫だ……きっと)


 結果だけを見れば俺の前世は散々なものだったかもしれない。両親を早くに亡くし、兄弟もおらず、恋人もなく、ただひたすら孤独に苛まれる毎日。


 だが真面目だけが取り柄だった俺は何事にも真剣に取り組んできた。


 学生時代は決して勉強を疎かにする事なく取り組んできたし、社会に出てからの10年間は多くの人と向き合って様々な経験を積んできた。


 きっとそれは無駄じゃない。

 今度こそ後悔したくない。


 自分の気持ちを奮い立たせて、俺はようやく校門の前にたどり着いた。


「ここが……俺が通っている貴桜学園高校か……」


 目の前にあるのは貴桜学園高等学校。敷地が広く、校舎は新しく綺麗だ。校庭も広く、グラウンドでは運動部が朝練を行っている。


 俺はこの場所で灰色だった青春時代をやり直すチャンスを得た。せっかく貰った第二の人生を無駄にせず、存分に青春を謳歌してみせようじゃないか。


 俺は新しい世界に踏み出した。

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