第22話 Love connection 世界~The World~
「やあ、お邪魔するよ、お嬢さん」
「あー。ごめんな、静乃ちゃん、すぐ帰るから、勘弁な」
思い切り顔を顰めてお帰り下さいと無言のアピールを続けるも、突然の来訪者は静乃の威嚇なんて物ともせずに特別室の中へと悠々と歩を進めた。
後から続いた永季が、申し訳なさそうにお見舞いの大きな花束を静乃に差し出す。
「いつもありがとうございます・・・」
瑠偉の入院から三日。
毎日欠かさずやって来る、九条会の若頭、
「おっまえ、休暇の意味分かってんのか?」
「本当にきみは仕事が趣味だね、瑠偉。こんなに可憐な花を側に置いておきながら構ってもやらないなんて」
ねえ、と流し目を寄越されて、静乃は必死に視線を逸らした。
取り押さえた暴行犯を連絡を受けて飛んで来た永季に引き渡して、救急車を呼ばずに榊が瑠偉を運び込んだ市内の病院で、泣きじゃくる静乃に向かって処置を終えた瑠偉はこれまでの経緯をかいつまんで説明してくれた。
瑠偉の勤務先であるコンサルティング会社と不動産会社の母体が、地元では有名な九条会である事、茶房のオーナーである那岐は九条会を取り仕切る幸徳井家とは親戚筋に当たり、祓い屋の仕事は基本的に九条会経由で那岐の元に下りてきており、そのサポート役として、瑠偉と、刑事の永季が一緒に動いている事。
この世の理を守り、善良な市民を守る為には、清濁併せ吞んで動く組織が必要なのだと悠然と語ったのは、一報を受けてやって来た颯で、自分の代わりに表立って動いている瑠偉が、今回とばっちりを食らったのだと聞かされた時には、思わず人生初の平手をお見舞いしそうになった。
静乃を守ろうと体勢を変えた事が功を奏したようで、脇腹の切り傷は出血のわりに浅かった。
即日退院を申し出た瑠偉を押し留めたのは静乃と榊で、瑠偉は折れる形になったが、それならと交換条件で、静乃の付き添いを要求して来た。
とてもじゃないが、仕事に行ける気分では無かったので、二つ返事で頷いて親戚の不幸と偽って休暇をもぎ取って、瑠偉に付き添っている。
「さっきまで構ってましたよ。邪魔が入りそうな気配がしたから、仕事をすることにしたんです。構い足りないので、早急にお帰り願いたいんですが」
「心外だなぁ。これでも私は責任を感じているんだよ。ちょっと君を表に出し過ぎたなと思ってね」
「あー。静乃ちゃん、花瓶もうねぇよなぁ・・・ごめんな。女の子には花だって、若が譲らなくてさぁ」
何処からどう見てもその道のプロにしか見えない警察官が、苦笑いで後ろ頭を掻いた。
カーネーションのアレンジから始まって、ガーベラ、今日は薔薇。
そのどれも暖色の可愛らしいもの。
瑠偉をイメージしたものなら、もっと落ち着いた色合いを選ぶだろうから、これは颯なりの謝罪の表れなのだろう、とは思うが、やっぱり瑠偉が危険に巻き込まれた事を有耶無耶には出来ない。
九条会と聞けば怯んでしまいそうだが、どこか浮世離れした空気を纏った颯は、静乃の前では少しも恐ろしい雰囲気も音も出さなかった。
永季が響かせる真っ直ぐな鋭い音と、さらさらと流れる清流を思わせる颯の音は、初めて聴くもので、そのどちらも驚くくらい迷いがない。
そして、最初に出会った頃の瑠偉のように綺麗に感情がコントロールされていた。
静乃が怒っても喚いても、彼は絶対に揺らがない。
だから、こうして遠慮なく鋭い視線を向けられる。
他人の視線と音ばかり気にして生きて来た静乃にとって、誰かを必死に睨みつける経験なんて全く初めてだ。
いっそ新鮮な気持ちすらする。
「お花に罪はありませんので!ありがとうございます!」
「ごめんね、お嬢さん。もうきみの大事な子を危ない目には合わせないからね」
明るい金茶の髪を揺らしてしおらしく口にした颯に、静乃は勢いよく飛びついた。
「それ、絶対ですよね!?約束してくださいよ!」
「勿論だよ」
鷹揚に頷いた颯の目をじっと見つめるも、そこには何の変化も見受けられなかった。
こなして来た場数が違うのだ。
「これで少しは安心出来たかな?」
「・・・・これっくらい、ですけど」
人差し指と親指の隙間を僅かに広げて見せると、永季がお腹を抱えて笑い出した。
「いやあ、ほんっと静乃ちゃん面白れぇわ!」
「私がどれだけ不安で、どれだけ怖かったのか、此処に居る誰にも正確に理解なんて出来ないと思いますけど!」
顔色一つ変えずに暴行犯を押さえつけた瑠偉のスーツに赤い沁みを見つけた瞬間のあの背筋の凍るような感覚。
動揺を見せない榊がどこかに連絡を入れるのをぼんやりと眺めながら、異常なのは自分なのだろうかと不安になった。
数分で到着した覆面から降りて来た永季が、男を連れて行ってしまった後、ようやく自分の手がずっと震えている事に気づいた。
彼の生きて来た日常は、明らかに自分の知るそれとは異なるのだと、肌で実感した。
「怖い思いさせて、本当にごめんね」
ベッドから手招きした瑠偉が、優しく静乃の髪を撫でて花を飾ってくれる?と問いかける。
「入りきらない分は、昨日みたいに持って帰ってお家で飾って」
「・・・分かりました」
サイドテーブルに置いたままにしておいた本日の花束は、やっぱりずっしりと重たかった。
★★★★★★
「いやあ、こんなに女性に嫌われたのは初めてだよ」
「若、全然傷ついてねぇだろ」
「それだけ僕への愛が深いんですよ」
打ち明ける機会を探っていた九条会との関係を予期せぬ形で口にする羽目になった時には、最悪のパターンも考えた。
伝えれば確実に違う世界に静乃を引きずり込むことになる。
元よりそうするつもりではいたが、もう少し時間を掛けるつもりだったのだ。
が、予想に反して静乃がした事は、瑠偉との距離を取る事では無くて、駆けつけた颯を睨みつけて泣きじゃくる事だった。
こんな状況で不謹慎だと思いながらも、静乃の中で確実に自分の比重が手放せない位大きくなっている事を知って安堵した。
数針縫った脇腹の傷なんて、正直どうでも良かった。
これで、確実に静乃を手に入れられるという高揚感のほうが大きかったのだ。
「まあ、それはそうだろうね。見た目に反して頑丈そうな子で良かったよ」
「頑丈?どう見ても中肉中背の普通の女でしょアレ」
永季の言う通り、周りの目と音を気にして続けていた背伸びを止めた静乃は、あっさりと世の中に溶け込める普通の女の子だ。
自分以外の人間には、無価値であればあるほど良い。
「きみは相変わらずだねぇ。だからモテないんだよ」
ひょいと肩を竦めた颯が、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
永季が盛大に舌打ちして、けれど賢明にも口は閉ざしたままだ。
昔から永季が颯に口で勝てた試しなどない。
静乃が側に居る時には見せなかった狡猾な颯のそれは、永季と瑠偉にとっては余程馴染みがある。
「脆い子だと、瑠偉の重たい愛を受け止められないだろ」
いっそ執着と呼んだ方が相応しいのかもしれない。
呼び名なんてなんだって構わない。
あの子の残りの人生を引き受けられるなら。
そして、彼女からの愛を手に入れられるなら。
「そうですね。重たくても面倒でも、抱えて行ってもらうつもりです」
その代わりに必要な対価なら、どれだけでも支払える自信がある。
それがどれだけ重たかろうが、苦しかろうが知った事かと開き直れる程度には、今の自分は幸せなのだ。
「その覚悟があるならよろしい。今回の件でこの間の貸しはチャラにしておくよ。ご祝儀はなにがいい?別荘を一つ譲ろうか?ハネムーンは必要だろう?」
「それは、静乃と相談してから決めます」
「は!?お前もう結婚すんの!?え、あの子了承してんのか!?」
突然飛んだ話題に、永季が目を白黒させている。
「ずっとそのつもりでしたよ。もう少し待とうと思ってましたけど・・・気が変わらないうちに未来を誓って貰います。僕もその方が動きやすい」
彼女に伝えるべき事項は全て伝えた。
必要ない情報は今度も遮断して上手く操作すれば良い。
この辺りの仕事は本職なので得意だ。
後は上手くお姫様の機嫌を取って、こちらのレールに乗せるだけ。
「ちなみに休暇ってどれ位貰えます?」
どうせならこの際たまりにたまった有休を綺麗に消化してしまいたい。
必要な決裁を下ろし終えたら、さっさと代理承認の権限を下ろしてラップトップは放り出してしまおう。
「きみが望むだけ、と言ってあげたいところだけれど、さすがに上が怒るよ」
「せめて一週間は確保してくださいよ。これでも身体を張ったんですからね」
「その割にピンピンしてるじゃねぇか」
ちょっと顔を顰めれば、すぐに静乃が様子を伺ってくれて、頼まなくとも四六時中側に居てくれるのだ。
それを狙って、静乃を連れて自宅に引きこもるつもりだったので、少し予定は崩れたが、普段の平日よりはずっと彼女の事を見ていられる。
抜糸が済んでいたらとっくに安静にはしていられなかったはずだ。
こちらとしては一刻も早くこの通い妻状態をどうにかしたい。
「羨ましいなら次は永季が身体を張ればどうです?きっとほのかさんも付きっきりで看病してくれますよ」
「病院嫌いのほのかにそんな事させられる訳ねぇだろ!」
「へえ・・そうなんですか。お見舞いに行った時には何も仰ってませんでしたけど・・・あなたもそれなりに距離を縮めてるんですね。見直しましたよ、お巡りさん」
見た目に反して奥手の代表のようなこの男が四苦八苦しながら女性を口説く姿はなかなかに見ものだ。
「うっせえよ!」
「っわ!びっくりした・・!!永季さん、喧嘩しないでくださいよ」
花瓶に花を活けて戻って来た静乃が、顔を顰める。
「それじゃあそろそろ失礼するよ。お嬢さん、うちの瑠偉をよろしくね」
ベッドから離れた颯がひらりと手を振って、永季を連れて病室を出ていく。
「華やか・・というか、派手なお二人ですよね・・・お花、枕元でいいですか?」
「うん、ありがとう。ねえ、静乃」
大きな花瓶をよいせとサイドテーブルに乗せた静乃の手を取って、ベッドに腰かけるように促した。
特別室のベッドはダブルサイズなので、彼女がいつ泊ってくれても良いのだが、生真面目な静乃は面会時間を過ぎると手を振って帰ってしまう。
彼女にはまだ自分の家があるからだ。
「指輪をね・・・贈りたいなと思うんだけど・・・受け取ってくれる?」
「・・・・ええっと・・・それ・・は」
「うん。結婚して欲しいと思ってる」
「ほ、本気で・・・・?」
「軽はずみで言える言葉じゃないよ。残りの僕の人生賭けてるんだよ。この先ずっときみが居ないと困るから・・・お願い。ずっと一緒にいてください」
こればっかりはひたすら真摯に口説くよりほかにない。
どれだけ愛情を傾けても、静乃の心だけは見えないし、好き勝手には出来ない。
握った手を確かめて、静乃が目を伏せて微笑む。
「・・・・私こそ、ずっと一緒に居させてください」
「ありがとう。うんと幸せにするからね。僕が静乃を一生大事にするよ」
これほど心から誓える事は無かった。
世界中に胸を張って言える唯一の事だ。
頷いて泣き笑いの顔を見せた静乃をそろりと抱きしめる。
彼女の心がどれだけ頑丈でも、それを壊さないように守っていくのは他ならぬ自分の役目だ。
何より誇れる役割だ。
柔らかく啄んだ唇は、金木犀の香りがした。
ようこそ底なし沼の恋へ。
僕の愛が枯れないことを、一生かけて証明してみせるよ。
Love connection ~その男、厄介につき~ 宇月朋花 @tomokauduki
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