第21話 Love connection 審判~Judgement~

「今朝は何時に出社されたんですか?」


後部座席に収まって、先日の納涼会で撮った写真を眺めていたら榊からそんな質問が飛んで来た。


勤務時間内の移動は榊に送迎を頼む事も多いが、それ以外は自分の車(今のところの暫定)で出社をしているので、部下より先に自席に居る事も珍しくない。


静乃が最初に選んだ王道の紺色の浴衣も上品で良かったけれど、華やかさには欠けていた。


長年染みついた優等生根性が、選択肢の幅を極端に狭めている事は想像に難くない。


瑠偉がわざわざクローゼット片隅に翌朝の洋服を用意するようになった当初は、結構な抵抗を示していた静乃である。


花を盛りと咲き誇る年頃なのだから、もっと着飾れば良いのに、とくに自分と一緒の時は。


花柄もギンガムチェックも水玉も、着せたい洋服は後を絶たないし、連れて行きたい場所も山ほどある。


接待で利用したレストランや料亭のリストを思い出しながら、静乃が喜びそうなメニューとシチュエーションを考えるのが最近の息抜きの一つだ。


少しずつ静乃の固定観念を和らげて、大切に慈しんで解く作業はどれだけの手間も労力も厭わないと豪語できる位に楽しみだった。


あの子が本当に咲き誇った時に、やっと自分を好きになれる気さえする。


「6時には席に居ましたね」


「・・・そんなに手持ち無沙汰ですか」


「一人だとどうも退屈で・・・」


静乃を部屋に連れ帰った週明けの、あの何とも言えないやるせなさはどう表現すればよいか分からない。


自分の一部がぽっかりと抜け落ちた気になって、静乃が居る時のように朝目覚めて朝食の準備をしかけて、止める。


静乃に食べさせたいメニューがある時は、試作がてら料理を作ることもあるが、平日はやる気が起きない事の方がずっと多い。


月曜の朝、彼女を会社の前で下ろした途端、もう土曜日が待ち遠しくなる。


スケジュール管理以外の目的で、カレンダーを見るなんて初めての経験だ。


どれだけ眺めたって早送りなんて出来はしないのに。


それでも、回って来る仕事量は相変わらずで、無心になって打ち込んでいるうちに週末はやって来るから不思議だ。


「あまり働き過ぎると別の案件が回ってきますよ」


「過労死寸前と言いふらして貰って構わないんですけどね・・・」


「本邸からの呼び出しは久しぶりですね。それもはやてさんからの。幸徳井に一体どんな借りを作られたんです?」


「やむを得ない事情で、西園寺の護符を譲って貰いました」


「・・・は?」


「静乃が、茶房を天の岩戸にしたので、仕方なく」


「そ、れは・・・静乃さんも随分大胆な戦法に出られましたね」


榊が渇いた声で答えた。


「あの子の唯一の友達が奏さんというのは心強いんですが、あそこを逃げ場所にされるとかなり痛い」


この先、生涯ずっと、喜んで彼女の機嫌を取って二度と家出なんてさせないように努めるが、あの茶房に関してはどうにも対処が出来ないところだけが痛い。


勘解由小路かでのこうじと相性が最悪の西園寺の護符は、威力も値段も素晴らしい。


国と上手く利害関係のバランスを取りながら商いを行う勘解由小路や、幸徳井、土御門一門とは異なり、完全にフリーランスで報酬次第で数多の依頼を受ける西園寺は、不思議な事に、九条会を取り仕切る幸徳井家の次期当主であるはやてとは相性が欲く個人的な友人関係にある。


九条会の公の連携先は国と那岐の実家である勘解由小路なので、今回は個人的にはやてに借りを作ったことになった。


これまでも粉骨砕身身を賭して来たつもりなので、どうにかそれでと言いたいところだが、相手が相手なだけにまあ無理難題をそのうち吹っ掛けられるのだろう。


公の場に顔を見せないようにしている次期当主の名代を仰せつかる事も多いので、またどこかのパーティーに顔を出すことになるかもしれない。


どこに行っても中間管理職というのは肩身が狭い。


それでも、静乃が手元に戻って来たので、こちらの損害はゼロと言って差し支えなかった。


後は同じ轍を踏まぬように尽くすことだけだ。


「日付が変わる前に開放して貰えそうにありませんね」


「その覚悟ですよ。だから、寄り道をお願いしたんです。今夜は電話出来そうにないから」


「時間が無いので、目の前の路肩に停めますがよろしいですか?」


「ええ。構いません。すぐに戻ります」


見えて来た静乃の働くオフィスビルを見上げて、表示されたままの浴衣姿の写真をひと撫でする。


呉服屋で着付けを終えた直後に油断した静乃を写した一枚だ。


髪を結い上げられている最中の少しだけ緊張した横顔。


助手席を眺める時とはまた違った表情のそれは、物凄く貴重だった。


側に居ると真正面から覗き込んで、彼女の瞳に確かに自分が映っている事を確かめずにはいられない子供っぽい自分が常に勝つので。


心の奥にある不安を綺麗に拭おうと、必死に安心と愛情を届けてくれる唯一無二の存在は、数百万の護符の何百倍もの価値がある。


「最近、漸く働く意義を見出したんですよね、僕。これでも社会人二桁こなして来たのに・・・遅すぎますよね」


「一生見つからない人も多いそうなので、見つけられただけでも十分では?」


「それは・・・確かに」


あの子のを取り囲むすべてのものに目を向けて、自分と彼女が望むものだけを与え続ける為には、やっぱりそれなりの対価を払う必要がある。


それが、労働なのだとしたら、生涯現役というのも納得できるな、なんて思ってしまった。


お待ちしております、と榊に見送られて車を降りる。


10分だけ会えない?とメッセージを送ったら、30秒後には地下鉄の駅前で待ってます、と返事が来た。


実際の所10分も時間が取れるかは謎なのだが、この後の面倒な会食の前にほんのひと時英気を養っておきたかった。


「瑠偉さん」


待ち合わせ場所の地下鉄に降りるエスカレーターの近くで手を振る静乃を見つけた。


週明け無理やり持ち帰らせたレースのタイトスカートはやっぱりよく似合っていた。


「待たせてごめんね。お仕事お疲れ様」


「瑠偉さんもお疲れ様です。これからまたお仕事でしょう?今日中には帰れそうですか?」


「この後会食なんだよ。美味しいメニューがあったら覚えて帰って来るね。だから、夜連絡出来そうになくて」


それ位の楽しみしか見出せそうにない。


「今日は、僕の電話を待たずに寝てね」


静乃が眠る0時前には必ず仕事の手を止めて連絡を入れるようにしていた。


が、そんなことをしようものなら間違いなく颯の餌食にされる。


「分かりました。先に寝ます」


静乃の言葉に、今夜もまた一人であのベッドに潜り込むのかと溜息を吐きたくなる。


せめて隣に居てくれればいいのに。


不自然ではないやり方であの家から彼女を連れだす方法を必死に探しているなんて、知られたら間違いない再び天の岩戸は閉じるだろうけれど。


「おやすみが言えなくて・・・・」


ごめんね、と紡ごうとした視線の先で、運転席に居たはずの榊が見えた。


一瞬だけこちらに視線を向けて、静乃の背後に入る。


まさに今エスカレーターを上がって来たばかりの、静乃のレプリカ、平井美羽の姿が見えた。


静乃の背中を睨みつけて、険しく顔を歪めた彼女がパステルオレンジのワンピースのフレアスカートの後ろから、何かを取り出す。


何となくそうなる気がして、あれから数日静乃に護衛を付けていたが何も動きが無かったので外したばかりだった。


酷くプライド傷つけられて屈辱と憎悪に塗りつぶされた人間の末路は、大抵同じだ。


不自然でないように静乃の手を引いて、その場から離れる。


後は榊が上手く対処するだろう。


上がって来る報告は大凡予測が付いたが、これ以上譲歩するつもりは無かった。


「ごめんね。明日は今日の分もおやすみを言うからね」


「瑠偉さんお酒強いけど、あまり飲み過ぎないでくださいね。先週も会食って話してたでしょう?私と一緒の週末も飲んでたし・・・」


「よく覚えてるね。でも静乃と飲むのは楽しいお酒だったから負担になってないよ」


「そういう事じゃありませんよ・・・」


顔を顰めた静乃の前髪を優しく撫でて、悪意からさらに遠ざけようと腕を伸ばした。


「ねえ静乃。僕が傷付けて来たものがいくつあったって、きみには一番綺麗なものだけをあげたいんだ。どうかそれを赦してね」


祈るように願うように呟けば。


ゆっくりと瞬きをした静乃が、そっと瑠偉の頭を撫でた。


「私、もうずっと許してますよ・・?完璧じゃなくても、駄目な所があっても、そんなの関係無い位、い、一緒に居たいと・・・思ってるから」


必死に言葉を紡いで、また安心させようと微笑むいじらしい静乃に、今日だけは甘えさせてねと心の中で謝る。


「愛情って信じてるよ」


彼女の耳元で響く音が、どうか最上の幸福に満ちていますように。


濁りや歪みは全て引き受けるから。


「私も・・・好き、だから・・・」


噛み締めるように紡がれた言葉に、瞳を合わせて微笑めば、ふわりと笑った静乃が急に何かに気づいて顔を強張らせた。


「瑠偉さ・・!」


まさか榊が対応を誤ったとは思えない。


訝しく思いながら振り向けば、斜め前の街路樹の影から飛び出して来た男が手にしたナイフを振りかざしていた。


夜間帯にはさして珍しくもない事態だが、いまこの時は物凄く困る。


レプリカの出現ですっかり気を取られていた事に舌打ちが零れた。


グロックを永季に貸したままにしていた事に気づいた時には、真後ろに男の影が迫っていた。


咄嗟に静乃の頭を抱えて、深く抱き込む。


死にたくは無いが、それより何よりもまずはこの子に傷を付けたくない。


静乃の短い悲鳴と、脇腹に走った痛みで顔を顰めた直後。


「瑠偉さん!?」


地下鉄から駆け戻って来た榊の声で、切りつけた男がぎょっとなって振り返った。


その隙に静乃を突き飛ばして遠ざける。


顔面蒼白の彼女を早急に慰めたいけれど、暫くは無理そうだ。


こんな風に日常から切り離すつもりでは無かったのに。


「幸徳井颯・・・じゃ・・・ない!?」


ようやく人違いに気づいたらしい男の愕然とした隙だらけの背中を蹴り倒して圧し掛かるのと、榊が男の肩を踏みつけるのが同時だった。

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