第19話 Love connection 月~The Moon~
パウダーブルーの変わり織りの格子柄地に菊と梅が描かれたレトロな浴衣にカナリヤイエローの帯。
赤と紺の組紐で作られた帯飾りを落ち着かない様子で直しながら、屋上に集まった和装姿の社員たちをぐるりと見回して、静乃は所在なさげに縮こまった。
瑠偉の勤務先であるコンサルティング会社の、夏の納涼会に招かれた時は、社員の家族も来るから気兼ねする必要は無いよ、と言われていたが、まさか全員浴衣参加必須だったとは。
夏祭りに一緒に行く友達は居なかったし、夏休みはひたすら予習と復習に明け暮れていた静乃にとっては、初めての夏らしいイベントだ。
会社の屋上でバーベキューと聞いていたのでラフな格好で集まるのだろうと、逆に頭を悩ませたりもしたのに。
何といっても、会社仕様の無難且つフェミニンな洋服と着古した部屋着しか、静乃の部屋のワードローブには揃っていない。
ワンピースは場違いだろうから、それなら動きやすいパンツスタイルで、と勇んで挑めば、会社に向かう前に、百貨店に入っている老舗呉服店に案内された。
ドレスコードがあるんだよと説明を受けながら、ずらりと並べられた浴衣を順番に宛がわれて、最終的に静乃が選んだ紺地に百合の花の控えめなデザインは却下された。
派手では無いかとひやひやしたものの、店員と瑠偉から満場一致の大賛成が出た一枚に袖を通して、納涼会の会場に足を踏み入れれば、想像以上にカラフルな浴衣を身に纏った女性陣が大勢いて、すっかり逃げ腰状態だ。
さすが大手企業は、女子のレベルもかなり高い。
当時は女性の総合職の募集しか無かった為、はなから挑まなかった憧れの企業の一つである。
濃紺の近江ちぢみをさらりと着こなした瑠偉は、案の定花のようにカラフルな女子社員たちに囲まれてしまい、それを遠目から見るのはやっぱりあまり面白くは無かった。
暫く挨拶回りが続くから、榊と居てねと言われているので、覚悟はしていたけれど。
夜空に浮かぶ綺麗な三日月は、夏の終わりを告げる鈴虫の声と相まって最高のロケーションを作り出していた。
静乃の浮かない表情とは裏腹に。
「楽しくはありませんよね。すみません・・・イベントごとになるといつもああなんです」
二杯目の白ワインのグラスを差し出して、榊が生真面目な表情のまま謝罪を口にする。
ブルーフォグの浴衣は瑠偉と色違いのようで、毎年彼が部下たちの分も纏めて購入しているのだと説明されて驚いた。
静乃の浴衣を調達した呉服店とは長い付き合いらしく、その兼ね合いで売り上げに貢献しているそうだ。
静乃の浴衣一揃えでもかなりの値段だったはずなのに、彼の財布は一体どうなっているんだろう。
「瑠偉さんの職場に呼んでもらえるのは、嬉しいんですけど・・・まあ、そうなりますよね・・」
静乃と一緒に居ない時の彼を少しずつ知る機会が増えて、それは、彼が静乃を自分のテリトリーに迎え入れてくれた事を示しているので、当然嬉しい。
気を許してくれているのだと感じられると、その分瑠偉が身近になる。
静乃のこれまでの日常には存在しなかったタイプの男の日常は、やっぱりどこか眩しい。
「人気なんでしょうね」
「上からの信頼は厚いですし、部下からも頼りにされていますよ。私にとっても自慢の上司です」
よどみなく答える榊の声と、音には寸分の偽りも狂いもない。
心底瑠偉を信頼して、尊敬しているのだという事が、その態度と、音で分かる。
「バレンタインとか大変そう・・・」
毎年前夜はネットで大量購入した高級チョコの小分け包装に忙しい静乃である。
瑠偉は両手で抱えられない位の量を貰って来るのだろう。
「個人からの物は受け取らないようにされていますので、毎年部署ごとに数個受け取られるだけですよ。それもご心配でしたら、あらかじめ釘を刺しておかれては?」
「・・そ、そこまで言う権利は・・」
苦笑いを浮かべた静乃に、榊が真顔で答える。
「もう十分おありだと思いますよ。むしろ鷹司は喜ぶかと」
「・・・私、冬が来ても一緒に居ていいんですかね・・・?」
瑠偉に訊けば二つ返事で頷いてくれるだろうことは分かっていた。
知りたかったのは、客観的意見だ。
恋に溺れた当事者同士ではない場所から、きちんと自分のこと見て欲しかった。
瑠偉の前にいる静乃は、会社で見せる唐橋静乃ではないので、どんなに言葉と心を尽くされても無条件に胸なんて張れない。
「静乃さんのお気持ち的には?」
受け取った白ワインを軽く揺らして、口を付ける。
従業員が主体になって行うバーベキューかと思いきや、専用のケータリングスタッフが全て料理を準備してくれる本格的なもので、アルコールの種類も、子供向けのソフトドリンクの種類もかなり豊富だった。
家族連れには、子供が退屈しないように玩具のプレゼントまであるらしい。
離職率が低いのも頷ける充実した福利厚生は羨ましい限りだ。
良く冷えたフルーティーな白ワインを、味わうよりも流し込んで目を閉じる。
嘘の音は、きちんと分かるけれど、榊は静乃に嘘は吐かないだろうと、何となくそう思った。
「・・・一緒に居たい・・ん、ですけど・・・勿論!瑠偉さんが、ご迷惑でなければ・・・」
愛想を尽かされる可能性があるのは、間違いなく自分の方だ。
どう頑張って背伸びしたって、同程度の女性は世の中にごまんといる。
静乃にしかない何かに瑠偉が惹かれてくれたのだとしたら、それをよすがにするよりほかにない。
その魅力の効力が切れない事を祈るより、ほかにないのだ。
最終審判を待つような気持ちで、榊に向き合う。
唇を引き結んで答えを待つこと数秒、榊が初めて目元を和ませた。
「そのお気持ちがあるのなら、この先どれだけでもそれは叶いますよ。そうなるように、私も尽くします」
「・・・・!」
初めて、テストで百点を貰って褒められたような気持ちになった。
母親からの手放しの拍手とハグと同じ位気持ちが高揚している。
真摯な音はきちんと静乃の耳に届いて、萎れかけた気持ちを鼓舞してくれた。
「あ、ありがとうございます・・っ・・・嬉しいです・・!」
「なあに、そんなに嬉しい事があったの?」
気配もなく真後ろから顔を覗かせた瑠偉が、肩越しに静乃の顔を覗き込んで、眼を眇める。
「っ!っべ、べつに・・・」
「ええ?なあに?気になるなぁ。榊と二人きりで内緒話なんて許せないよ。大事な花が萎れてないか見に来たら・・・随分幸せそうだね」
ひょいと眉を持ち上げた瑠偉が、分かりやすく拗ねた顔になる。
「榊さんに褒めて頂きました」
「いえ、そんなことは」
「僕の方がずっと静乃のこと褒めてるでしょう?よく見せて」
当たり前のように可愛いね、と口にする瑠偉の思考はさておき、かけられた魔法の言葉たしかな威力を持って静乃の心を強くした。
恋心を強化する為には、魔法の呪文は必須アイテムだ。
「色も、柄も絶対にこっちの方が可愛かったよ。遠目にも、静乃の事をすぐに見つけられるしね。イヤリングは、間に合わなくてごめんね」
「簪で十分ですよ」
立ち寄ったアクセサリーショップで見つけた可愛らしい涙型のラピスラズリは、生憎ピアスしか在庫になかった。
「イヤリングって、静乃らしいよね」
「ピアスホール空ける勇気が無くて、あと、母にも申し訳なくて」
折角産んでもらった身体にわざわざ好き好んで穴を空ける必要はないのではと漠然と思って生きて来た静乃である。
ピアスが主流の昨今は、イヤリングは流行りのデザインがあまり多くは無かったけれど、ベーシックなものを好むので、不便は感じていなかった。
「マグネットピアスも、たまに付けるんですけど、やっぱり落としちゃうこともあって・・・」
「ふーん・・そう。じゃあ、可愛いイヤリングを今度贈るよ」
「強請ってませんからね!?」
「強請ってくれた方が嬉しいんだけど」
「私のワードローブ、全部瑠偉さんが選んだものばっかりになっちゃう・・・」
「そうしたいんだよ。迷惑かな?」
「・・・」
寂しそうに首を傾げる仕草さまで含めて何もかも完璧だ。
彼は本当に自分の使い処を間違えない。
「有り難いですけど・・・っ」
「じゃあ嬉しい?」
「嬉しいですけどっ」
「ならいいよね」
「でも限度がっ」
「仰せつかった役割が多いから、有り難い事に収入は増える一方なんだよ。資産運用でそれなりに回してるけど、これといった目的が無くて困ってたんだよね。家も車もあるし・・ああ、そうだ、車はもう一台位あってもいいんだけど。だから、静乃の事は必要経費の一部だよ」
「あの高級車で十分では!?」
恐ろしく座り心地の良いシートと、極端に振動の少ない助手席を体験してしまったら、バス移動が苦痛で仕方なくなる。
「いつも静乃を乗せてる車はね、社用車なんだよ。もうほぼ僕の車にしてるんだけど。そのうち他の車も見に行こうね。好きな車知りたいし」
「車に好き嫌いなんてありませんよ!」
「それなら、静乃が僕と一緒に出掛けたくなる車を選ばないとね」
楽しそうに笑った瑠偉が、それで、何の話をしてたの?ともう一度尋ねて来る。
助けを求めようと榊に視線を向ければ、すでに彼は別の男性社員たちと談笑を始めてしまっていた。
静乃の視線を追いかけて、榊を見止めた瑠偉がふむと考える仕草をを見せる。
「随分打ち解けたみたいだね」
「最初は、ちょっととっつきにくい感じがしてたんですけど・・・ほら、榊さんっていかにも男の人って感じだから・・・」
瑠偉の温和なイメージとは真逆を行く榊の硬質なイメージは、女性によっては不得手とする人もいるだろう。
かくいう静乃もそのタイプだった。
けれど、実際に話してみれば、実に裏表のない実直な真面目な男性である。
「ああいう頼りがいのある人が、瑠偉さんの側に居てくれるのは、安心っていうか・・・あ、私が言うのもおこがましいんです・・・っけ・・・」
ど、と紡ごうとした言葉尻は、瑠偉の唇の中に消えた。
軽く屈んでほんの一瞬だけ唇を合わせた後で、瑠偉が意地の悪い笑みを浮かべる。
ベッドの中で時折見せるその表情は、彼のスイッチが入った事を示していた。
「そんなに言うなら、僕も男らしい所見せないとね?惚れ直して貰わないと」
大きく一歩踏み込んだ瑠偉が、帯の下に器用に腕を潜らせて静乃の背中を抱き寄せた。
「あの・・・もう十分・・・」
「そう?お腹が満たされたなら良かったよ。じゃあ次は僕を満たしてくれる?」
「そ、そうじゃなくって・・・私の気持ち、分かってるでしょ・・?」
にじり寄って来た綺麗な顔から逃げようと、必死に顔を背ける。
含み笑いを零した瑠偉が、楽しそうに口を開いた。
「それなら静乃こそ、僕の気持ち分かってるでしょ・・?いまどんな音が聴こえてるの?ちゃんと伝わってるといいんだけど・・・」
懇願するような囁きは、甘ったるい蜂蜜まみれの音色と共に静乃の心を焼き尽くした。
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