第16話 Love connection 悪魔~The Devil~

彼が抱えている仕事のうちのいくつかが、茶房のオーナーである那岐と共同で行う必要があること、その仕事は、コンサル会社にも、不動産会社にも当てはまらないという事。


複雑に入り組んでいるらしい彼の役割について、かいつまんで説明を受けたのは、茶房の帰り道の車の中。


奏と仲良くなって以降、瑠偉と会わない週末には一人で茶房を訪れる事も増えた。


教えられた通り、奏に会いたいと思って道を歩けば、いつの間にか茶房の前に辿り着くようになっていて、もう不思議を通り越して便利だなと納得するよりほかになかった。


瑠偉は自分から進んでプライベートを明かすような事はしないけれど、静乃が尋ねれば機密情報以外の事は大抵答えてくれた。


大学を卒業してから、趣味を作る暇もない位仕事に明け暮れていた事、隙間時間に手持ち無沙汰を紛らわそうと料理を始めたら、意外に楽しくなって今も自炊が苦でない事、最近は週末ごとに静乃に食べさせるメニューを考える時間が息抜きになっている事、那岐との関係はここ数年で、瑠偉は那岐のサポート役を担っているので、夜の外出は大抵彼の付き添いがメインになっている事、その現場で静乃と出会った事。


一つ自分の事を伝える度に、静乃の反応を伺っては、瑠偉が見つけた静乃の癖や嗜好を口にして嬉しそうに笑う。


お互いの一部を共有している感覚は照れ臭いけれどやっぱり嬉しくて、静乃が瑠偉に興味を示す度に、瑠偉は静乃を欲しがる。


秘密を共有するように身体を委ねるベッドルームでの甘いひと時はやっぱり現実味が無くて、翌朝身体のそこかしこに残る痕跡にアタフタするのが週末の常だった。


どれだけ忙しくても、瑠偉からの連絡は途絶えないし、電話が鳴らない日は無い。


静乃が僅かの不安も抱かないように、丁重に扱われている事は出会ってから今日までの彼の態度で嫌というほど理解している。


最初に彼を蹴りつけたのは間違いなく自分だし、やり方はともかく、それに対する対価を求めた事には非が無い。


それでも瑠偉の中ではあれは唯一の汚点らしく、出来ればあの夜をやり直したいとさえ口にした。


文句なしのイケメンが自分の事で盛大にしょげている姿はかなり貴重で、ほんのちょっと愛おしくなることは絶対に内緒だ。


敏感になった肌を優しく指の腹で撫でて、瑠偉は自分の成果に満足げな笑みを零した。


「上手になったね」


「・・・なにが・・」


ブランケットの中に逃げた足を追いかけて来た掌を押さえて、それ以上辿られるのを必死に阻む。


くるりと逆手を取られて引き戻されて、滑らかなシーツの上を滑って彼の元へ舞い戻ってしまった。


汗が引いていく背中を撫でた後で、まだ赤い頬にキスを落として瑠偉が囁く。


「僕に愛されるのが」


気持ち良くて恥ずかしい行為に慣らされたのは事実だ。


最初から巧みだった瑠偉は綺麗に静乃の身体を目覚めさせて、掌の上に落とした。


愉悦に歪む静乃を翻弄しながら、しっかり自分の手綱は握ったままなのが何よりも悔しい。


主導権を取れるだなんて思っていないけれど。


「・・・っ!に、日曜日ですよ!もうしないっ」


声から響いた甘ったるい誘惑の音色に、先週は負けてしまった。


翌朝の浮腫んだ顔と痛む節々を思い出して同じ轍を踏むものかと自分を戒める。


「そう?ギリギリまで静乃を寝かせておく算段は整えてあるんだけど?」


車の中で食べられるように朝食の下拵えは完璧で、着て行く洋服もクローゼットの端にセッティングされているのだろう。


「寝ぐせが直らなくてもいいように、髪留めも積んでおいたよ?」


メイク道具は持ち歩いているので、車の中でもどうにか支度が出来るけれど、毎朝きちんとブローして毛先を巻いている髪だけはどうしようもない。


バレッタを持ってこなかったと不貞腐れた静乃を覚えていたらしい。


先週の教訓を見事生かした瑠偉の発言と行動には頭が下がるけれど。


脱衣所の広い洗面台に真新しいヘアアイロンが用意されていた時には感動して、瑠偉にお礼を言ったけれど、これで日付をまたぐ事が常習化するのはかなり困る。


ショートスリーパーの彼は3時間睡眠でもケロリとしているが、静乃の方はそうはいかない。


「来週は忙しいから、今のうちに癒されたいんだけど・・・駄目?」


「ん、ぁ・・・」


膝の隙間に潜り込んだ武骨な指が、蜜を湛えたままのそこをゆるゆると撫でた。


浅く指を潜り込ませて、気持ちのいい場所を探られる。


どうしようもなくなって目の前の肩に縋りついたら、視界が一転した。


「吸い付いてくるの、わかる?」


「ま・・・って・・・お、く・・・」


解けて蕩けた最奥をそっと辿られて、腰が浮いてしまった。


目を見開いて這い上がってくる快感から逃れようとのけ反れば、彼が枕元に手を伸ばしながら覆い被さって来た。


「まだ柔らかいままだね。ゆっくりするから、ね?」


甘やかすような啄むキスを繰り返されると、とろんと思考が緩み始める。


息継ぎの合間に引き抜いた指の代わりに、確かな熱量が捻じ込まれて息を飲んだ。


彼の熱をまざまざと感じ取って、最奥が素直に震える。


「・・・いい子」


眼差しは確かに慈愛に満ちて何処までも優しいのに、聴こえて来る音は渇望しきっていて、貪欲に静乃を欲しがる。


全部明け渡して委ねている筈なのに。


ぐちゃぐちゃに搔き乱される呼吸と思考の波間で、瑠偉が紡ぐ甘ったるい睦言を何度も聞いた。






★★★★★★





「最近、ちょっと雰囲気変わったわよね。服装も華やかになったし」


付き合い始めたばかりの年下の彼氏とのデートまでお茶に付き合ってよと誘われたターミナル駅のカフェで、先輩社員にまじまじと本日の静乃の格好を確かめられた。


居心地悪く視線を下げる。


週明け瑠偉の部屋から出社する時は、大抵前の夜に静乃が眠った後で彼が選んだ洋服に何も考えずに袖を通すことになる。


今朝の朝食は、バナナとマンゴーのスムージーと、クリームチーズとベーコンのベーグルサンド。


手渡されたランチボックスに入っていたのは、アジのマリネとミートボールのトマト煮と、ブロッコリーとタコのバジルソース和え。


雑穀ご飯は小さなおにぎりになっていて、どこまでも静乃への愛情に溢れたお弁当だった。


紺かグレーを中心に揃えてあった無難なワードローブに、ピンクベージュとミントグリーンが加わって、髪留めが水色のリボンになればそれなりに目を引く。


瑠偉が選ぶものは、静乃の思い描く唐橋静乃からは僅かに逸れていたけれど、そのどれも嫌いでは無かった。


「派手ですか?・・・やっぱりこういう色合いは、もっと若い平井さんの方が・・・」


「あらいいじゃない。いかにも優等生って感じだった時より、今の方がより一層とっつきやすくて私は好きよ。あ、そういえば平井さん、会社辞めるらしいわよ」


「え!?体調、そんなに悪いんですか?」


ここ2週間ほど欠勤が続いていると噂では聞いていたけれど、まさか退職する程具合が悪かったなんて。


目を丸くする静乃に、先輩社員がそれがさぁ、と声を潜める。


「なんか、元彼にストーカー行為して、訴えられたとかなんとか・・・ほかにもSNSであれこれ問題発言してたとかって噂もあるみたいよ。あくまで噂だけどね。人は見かけによらないわぁ・・・」


「・・・全然そんな風に見えなかったのに・・・」


「でも、ちょっとあの子異様な位静乃ちゃんの事気に入ってたから、一歩間違えれば同じような事になってたかもよ?実害ないうちで良かったじゃない」


静乃と同じ香りを纏って、静乃よりも華やかな洋服に身を包んで軽やかに笑う平井の笑顔に、胸がじくりと痛んだ。


あの子からは常に羨望の音が強く響いていた。


その中に、別の感情が隠されていたのだとしたら、それは紛れもなく強い嫉妬心だっただろう。


初対面の時から、憧れてます!と全力で好意を示されたのは初めてで、疑う余地なんて全くなかった。


「・・・そう、ですね」


「誰かになりたい、ってのは誰しも抱く憧れだと思うけど、そこが歪むとどうしようもないからね。私にはあの子はちょっと異質に見えたわ」


「・・・私は・・・どう、ですか?・・・異質・・ですか?」


精一杯自分を良く見せようと必死に背伸びを続ける自分こそ、本当は誰よりも異質ではないか。


響く音に囚われて、誰からも好かれる人物像に縋りたいと思ってしまうのは、もうただのエゴだ。


「ちょっといい子過ぎるとは思うけど、私だって自分を良く見せたいって欲はあるし・・・とくに今日みたいな日はね」


これでも気合入れてるんだから、とシャツワンピースの襟を直す先輩社員はいつもよりもアイメイクが濃い。


蠱惑的な目元にきっと彼は惹きつけられるだろう。


「先輩、綺麗ですよ」


自分を良く見せたい、と素直に口にできるその清廉さが、静乃には眩しい。


「あら、ありがとう」


コンパクト片手に丁寧にグロスを塗り直す彼女から視線を通りの向こうへと移す。


19時を回った繫華街は、サラリーマンやOLが行き交っている。


ブランドショップが立ち並ぶ居留地の一角は、さすがに人通りは少ないが、それでも大きなショッパーを手に出て来る人はそれなりに居た。


と、角のブランドショップに入って行く長身の男女が目に留まった。


「え・・・?」


夏場でもきちんと絞められたネクタイ。


暗い紫みを帯びたプルシャンブルーのスーツは静乃も見たことがあるもの。


腕を絡めて隣を歩く女性の細いヒールと、タイトなグレーシルバーのワンピースは、彼の隣を歩くために誂えられたのだと思える位、しっくりと馴染んでいた。


「あ、駅に着いたって。静乃ちゃん、付き合わせてごめんね。あれ・・・どうかしたの?」


スマホを片手に帰る準備を始めた先輩社員が、静乃の顔を見て怪訝な表情になる。


「あ・・・いえ。何でもないです・・・デート、楽しんできてくださいね」


必死に笑顔を取り繕って、真っ黒に塗りつぶされていく思考を押し留める。


彼に女性の秘書は居ない。


そして、瑠偉は静乃を連れてブランドショップに入ったことは一度もない。


仕事の関係者かもしれない。


でも、仕事関係者なら腕を組む必要は無い。


昨夜の今頃は、二人で食事を楽しんでいた。


あの部屋には、他の女性の形跡なんて見当たらなかった。


瑠偉から向けられる愛情と熱は、確かに静乃にだけ真っ直ぐ注がれていて、それはもう溺れてしまう位に甘ったるい。


あれが嘘だったとは思えない、思いたくない。


違う違うと必死に否定しようとすればするだけ、疑問が浮かんでくる。


ふと、平井の顔が脳裏に浮かんだ。


一心に懐いて来る可愛い後輩の、別の一面について、少しも考えた事なんて無かった。


彼女の何も、見えていなかったのだ。


瑠偉の事も、絶対にそうだ、と言い切れるのか。


ぐらりと、足元が揺らいだ気がした。


あの男は、この恋は、どうしようもなく厄介だと、分かっていた筈なのに。

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