第2話 Love connection 魔術師~Magician~
「っはー、よし、もう一杯」
出て来たお茶を2秒で飲み干して、居酒屋よろしくお代わりを要求した強面の男が、隣の空席を長い足で乱暴に引き寄せて脱いだスーツの上着を適当に放り投げる。
「全くどこのチンピラですが。もう少し味わって飲むということを覚えた方がいいですよ、
水と言われたものの、額面通り水を出すわけにも行かず、奏では空のティーカップに冷やしていたハーブティーを注いで差し出した。
「市民の平和を守るお巡りさまだよ!」
いやもう繫華街で立っていたら、確実のその道の幹部である。
警察手帳を差し出されてもやっぱり疑いたくなってしまう位胡散臭い。
どう見たって正義の味方には見えないのに、これでも立派な正真正銘の国家公務員なのだから、世も末である。
永季とは正反対の丁寧な手つきでティーカップに口を付けた
永季と並ぶと完全に静と動の瑠偉が、柔らかい赤墨の髪をかきあげる。
「
他地区を仕切る組織と比べても秀でた統率力を誇る九条会の幹部がわざとらしく溜息を吐いた。
彼は人の顔色を読むことに長けている。
奏は慌てて自分の頬を押さえたが、後の祭りだった。
あまり感情が表に出ないタイプだと自覚していたのに、どうにも彼らに対しては勝手が違うようだ。
瑠偉が纏うムスクの香りと混ざるのは、冬の朝の香り。
永季が持つ夏の夜の香りとはやっぱり綺麗に対を為している。
どちらも奏を不安にさせない、優しい匂いだ。
奏の持つ人が放つ感情の匂いを嗅ぎ取ってしまう
どれだけ表面で笑って見せても、漂ってくる匂いに混じった混沌とした感情は隠す事が出来ない。
当然のように自然と他人と距離を取るようになって、ごく限られた奏にとって安全な人間とだけ接して生きて来た。
けれど、目の前の男たちは、側に居ても少しも不快にならない。
どれだけ言葉が乱暴でも、辛辣でも、根底に漂う心地よい香りは、奏でを安心させこそすれ不安には絶対にさせない。
だから、奏の保護者は彼らをこの店の客人として招き入れているのだ。
「その規律に煩いお前が、榊泣かせてまで強引にスケジュール変更してまで一般人構いに行ってんのは体の相性が良すぎたからか?っごふ!」
「女性の前で下品な事言うもんじゃありませんよ。すみませんね、奏さん、躾がなってなくて」
「人を犬呼ばわりすんじゃねぇよ!」
永季が大声で吠えて、頬にめり込んだスプーンを引っ掴んで投げ返す。
瑠偉はそれを視線も向けずに受け止めて、ティーソーサーに戻した。
「あなたがさっき犬のお巡りさんって言ったんですよ」
「言ってねぇ!」
「粗野な男は女性にモテませんよ」
「黙れインテリヤクザ」
知った事かと鼻息荒く二杯目のハーブティーを一気に飲み込んだタイミングで、瑠偉がちらりと隣に据わった視線を向けた。
「とくに、ほのかさんには」
「ごふっ!」
案の定盛大に噎せた永季が、涙目になって胸を叩いた。
いつの間にかここ最近の彼の最強ウィークポイントになっていた唯一の友の今後がほんの少しだけ心配になる。
インテリヤクザと強面刑事、そして得体の知れない自称占い師の祓い屋。
普通に生きていたら多分お目にかかる事の無い男たち。
つい先日まで限られた小さな世界で自分と自分の手の届く場所だけを守って生きて来た奏には、少々極彩色が過ぎる。
強烈な印象を焼き付ける割に、本人たちは無自覚なので、こちらの感覚が狂っているのかと思ってしまう。
「永季さん、すぐお水入れますねー」
グラスに水を注ぐ奏の前では、永季が顔を真っ赤にして今にも泡を噴きそうになっていた。
「おまっ、な、なんで・・・」
猪突猛進を地で行くこの刑事の好意は、初対面の時から物凄く分かりやすかった。
いくら鈍感なほのかでもはっきりと自覚できる位に。
「あなたが馬鹿みたいに利用している花屋、うちの管轄ですよ。昔馴染みとして助言しておきますが、表にある花全部、なんて貰った方が困りますよ。ねえ、奏さん」
「あはは・・・まあ、あ、でも、ほのかは花好きなんで。はい、お水どうぞー」
「ほら見ろ」
「量を考えろと言ってるんです」
初対面の時からこの二人の喧喧囂囂のやり取りは変わらない。
古くからの知り合いだという刑事とヤクザのコンビは、大抵揃って顔を出して、揃って帰って行く。
涼しい顔でハーブティーを啜る瑠偉が、永季を完全に無視してそれにしても、と肩をすくめた。
「
「お前が追っかけ回してる女、あれだろ?こないだの夜に、那岐が予言した左肩の女だろ」
「左肩の女・・・?」
射殺すような視線を向けた瑠偉に悪びれもせずに永季がにやっと口角を持ち上げる。
口喧嘩で絶対に敵わない永季は、瑠偉の弱みを掴んだ事が嬉しくて堪らないようだ。
三十路過ぎの大の大人が子供の様に目をキラキラさせている。
絶対に本人には言えないが、こうしてみると確かに永季はどこか犬っぽい所がある。
忠犬かと問われれば答えは絶対に否だが。
「それがな、仕事の夜に那岐が顔見せるなり瑠偉に向かって言ったんだよ。左肩と、女に気を付けろ。運命が降って来るって」
「永季」
「こいつも俺も、怪訝な顔して適当に頷いてたんだけど・・・その現場で女に左肩蹴飛ばされてやんの。なっさけね!どんな押し倒し方したんだよ・・・うおっ!っぶねぇな!」
大慌てで身を捩った永季が、それしまえ!と喚いた。
いつポケットから取り出したのかも分からない、グロックの銃口をぐりぐりと押し付けながら瑠偉が涼しい顔でハーブティーを飲み干す。
カウンターから身を乗り出さないと見えない位置でのやり取りは、奏への配慮なのだろうが、もうすでに瑠偉の纏う空気が通常時のそれとは異なっている。
最初この店に現れた時に受け取った名刺に書かれていたのは、有名な不動産会社の相談役と、大手コンサルティング会社の統括部長という役職。
その肩書がしっくりくるエリートサラリーマンという風貌の彼の裏稼業を聞いた時には耳を疑ったが、こうして瞳を鋭くした彼を前にすると、確かに初対面の時に感じた王子様のようなきらきらしさは欠片も見当たらない。
平素から自分を偽る事と、他人を欺くことに長けた男なのだと窺い知る。
「それ以上余計な口を聞いたら、脇腹に穴が空きますからね」
「こっわ・・・」
「あの・・・瑠偉さん、それで肩のお怪我は・・・?」
どう考えても素人ではないこの男の肩に一発食らわせる技量を持った女性なんて、本当に存在するのだろうか。
腕や背中ならまだしも、肩となるとその状況にどうしたって疑問が浮かんでしまう。
この容姿なので強引に迫らずとも、そういう相手には事欠かない筈だが一体どんな経緯で蹴飛ばされたのか。
「ご心配なく。ただの打撲ですよ」
「玄人に打撲って・・・生霊の類じゃねぇだろうな」
常人の仕業だとはどうしても考えられない永季の言葉に、奏も思わず頷いてしまう。
此処に来るまではそういった話には無頓着だったが否応なしに目に入ったり耳にするようになってからは、そういうものなのだと受け入れるようにしている。
那岐と一緒に居る限り、ずっとついて回る話題だからだ。
「・・・生身の女性ですよ」
珍しく不貞腐れた声でぼやいた瑠偉に、永季がくわっと目を見開く。
普段は綺麗に感情を包み隠している彼が、本音を零すところを見るのは初めての事だ。
永季の態度を見る限り、かなり貴重な瞬間なのだろう。
「なんだよ!惚れてんのかよ!」
バシバシと遠慮なしの力で昔なじみの背中を叩いて、永季が聞かせろ聞かせろと身を乗り出す。
「僕のことより、自分の事に専念されては?ほのかさんの主治医、若くて人気の
完全にあちらがリードですね。と瑠偉が目を伏せる。
「っは!?なななんでお前が」
「うちが管理しているビルで起こった事故なんですから、責任者としてお見舞いに伺うのは当然でしょう?入院費用の全額負担と、当面の店賃免除、慰謝料とお見舞い金の支払いについての説明を兼ねて」
それは、本来不動産会社の担当の仕事であって、相談役の瑠偉がわざわざ自ら出向く必要なんて無い筈なのだが。
先々の関係性も見越して彼が動いている事は明白だ。
不用意な面倒事に唯一の友を巻き込みたくは無いが、こうして関わってしまった以上最後まで責任を持って保護して貰わなくては困る。
もう二度と厄災絡みで怪我なんてして欲しくは無かった。
「俺に言えよ!」
遅咲きの初恋に右往左往している永季が、真っ赤になって椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「警察の介入は事件の処理までですよ」
「うるせぇ!」
現在この街の平和は、祓い屋とヤクザと警察の微妙な共同戦線の上で保たれているらしく、その中継ぎ役として面倒事を押し付けられた瑠偉と永季はある意味では被害者だ。
「奏さん」
「はい!」
「近いうちに、女性を一人ここに連れてきます」
「っはい!」
例の左肩の女だと、すぐに分かった。
これだけの容姿と、無双といっても過言ではない表向きの肩書を以てしても”追っかけ回す”必要がある女性は、一体どんな傾国の美女なのだろうか。
彼がひとたび微笑めば、コロッと掌の上に落ちてこない女性は居ないように思うのだが。
「榊同様に、入店許可を貰いたいと、那岐に伝えて貰えますか?」
「はい、分かりました」
「お願いしますね。僕からのお願いは悉く無視されるので」
ひょいと肩を竦めた瑠偉が、腕時計で時間を確かめて静かに立ち上がる。
「永季、幹部会の時間ですよ」
「ん。スーツ、どうする?」
「向こうで着替えます。ネクタイして下さいね」
だらしない永季の襟元を一瞥して、瑠偉が眉を顰める。
「お前の無難なやつ、締める意味あんのかね?」
「あるから締めるんですよ。奏さん。ご馳走さまでした。それではまた・・・ここは禁煙ですよ」
早速胸ポケットから赤と白のパッケージを取り出した永季の手からそれを奪って、瑠偉が注意した。
指摘を受けた永季が、思い出したように奏を振り返って眉を下げる。
「あ、わりぃ・・・またな」
自分に対する謝罪だと、すぐに分かった。
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