第3話 Love connection 女教皇~High Priestess~

「瑠偉の恋人が、そんなに気になる?」


奏が留守番を任されている茶房、miroir《ミロワール》のカウンター席で、新しく持ち帰った茶葉を試飲しながら、那岐が不自然そうな顔になった。


奏がこの店に立つようになってからふた月。


メニュー表もレジスターもない不思議な茶房は、客が来る日も来ない日もある。


これまでの時間で分かっている事は、那岐と、彼が許可した人間が店に居る時に客はやって来ない事と、複数の客が一度にやって来る事が無い、ということ。


外から那岐が戻って来たので、恐らく今日はもう店じまいになるのだろう。


「んー・・・ちょっとだけ。と、いうか永季さんいわくまだ恋人じゃないみたいな言い方だったけど、やっぱり恋人なの?」


「現状は違うけど、最終的にはそうなるから」


「それも視えてるの?」


「あの夜に、空から降って来た運命を瑠偉が繋ぎ止めるイメージが浮かんだから、まあそうなるだろうね。忠告の意味は無かったみたいだけど」


「左肩?」


「ちょっとだけタイミングがずれていたら、蹴飛ばされる事は無かった筈なんだけど、あれ位のインパクトが無いと、瑠偉の心は動かないから、彼らにはちょうど良かったかもしれない」


分かるような、分からないような不思議な言い回しは、出会った頃からずっと変わらない。


彼と一緒に居ると時間間隔が曖昧になって、今が朝か夜かも分からなくなる。


ふわりと彼を包み込む白檀と冴えた月夜の香りを吸い込むと、指先が甘く痺れる。


「六合、これ右端の棚の一番上に。ちょっとキツイから一般には向かないな」


カウンターの奥でせっせと仕入れた品物を片付けていた少年姿の六合が、行儀よく返事をした。


「だからお止めしたんですよ。需要なんてありませんってば」


「そのうち永季にでも飲ませてみるよ。ああ、あと、瑠偉の頭痛薬用意しておかないと。これちょっと混ぜてみようか」


「やめてくださいよ・・・店が戦場になりますよ」


「まあ、それもそうか」


楽しそうに笑った那岐が、思い出したように奏に視線を戻した。


「奏が俺の周りに興味を持ってくれるのは嬉しいけど。あんまり一般的ではないからなぁ・・・リハビリには向かないかもね」


誰よりずば抜けて一般的ではない男がさも他人事のように嘯いて、別の茶葉をポットに入れた。


「私これでもあんたよりずうっと常識的な生活を送って来たのよ!?世の中に普通に溶け込んで生きて行くためのリハビリが必要なのは、どう考えても那岐、あんたの方だからね!?」


「そうだね。でも、俺は一生普通と異質の間を行ったり来たりして生きてくことになるから、リハビリも一生かかると思う。永季や瑠偉とは、始まりが違うからさ」


さもどうでも良さそうに呟いて、蒸らしたお茶を湯呑に注ぐ。


嗅いだことの無い不思議な匂いが広がって、すぐに消えた。


手を翳して奏に向かった匂いを堰き止めた那岐が、目を伏せる。


「あまり吸い込まないようにして」


慌てて息を吐いて一歩後ろに下がると、食器棚の上に置かれていたメモ用紙が目に入った。


帰り際、頼まれた伝言を書き留めたものだ。


「忘れてた。那岐、瑠偉さんから仕事の進捗確認が・・・」


いくつかの名前で占い師として社会貢献(本人曰く)している那岐の昼間の仕事は瑠偉の勤めるコンサルティング会社の相談役だ。


家業の易占で企業利益を守ることに一役買っているらしい。


契約締結についての日程相談と、取引先についての確認が箇条書きにされているメモは、奏が差し出す前に那岐の手元に引き寄せられていった。


さらっと一瞥して、ひょいと指を翳せばメモ用紙が青い炎になってすぐに消える。


「メールも電話も繋がらないって、瑠偉さんがぼやいてたけど?あの人って、那岐の秘書なんでしょ?あんまり困らせたら駄目だよ」


「必要な仕事はこなしてるから。この半分以上がずっと先の納期だし、半分以上あいつの八つ当たりだよ。意外と心が狭いな」


気に留める必要なし、と青い炎が消えた中空を軽く握って手を振る。


出会った時から穏やかで誰よりも紳士的で常識的な彼が、実は見た目よりずっと神経質で気が短い事は、このふた月で何となく分かっていた。


奏の前で声を荒げる事は無いが、永季と那岐の前では恐ろしく辛辣になる。


人の笑顔を見てぞっとしたのは初めての経験だった。


「八つ当たり・・・」


そんな底なし沼のような男の八つ当たりと聞いただけで背筋が凍る思いがしそうなものだが、那岐はむしろ面白がっているようだった。


こういう反応は永季と同じだ。


「仕事に追われて、気になる相手にもなかなか会えなくて、ストレス溜まってるんでしょ。なんせあの顔とあの肩書だから、来るものを拒まず、去るものを追わずで苦労無しだったし。それがいきなり油断したところにクリティカルヒット食らって、一気に心を持ってかれたから、今までのセオリー通りに行かなくて困ってるんだよ。一途で馬鹿な熱血漢が右往左往するのもそれなりに面白いけど、百戦錬磨の色男がなりふり構わず右往左往するのはもっと面白いだろ」


愉快そうに喉を震わせる那岐を見つめ返して、奏は仕事仲間の二人を気の毒に思った。


「瑠偉さんに笑顔で口説かれて頷かない女性っていないような気がするんだけど」


「それ、奏も入ってる?」


ひやりとした声音と共に、身を乗り出した彼の指先が頬を撫でる。


白檀の香りが強くなって、那岐の機嫌を損ねた事に気づいた。


「い、一般論だよ、一般論。だってテレビで見る俳優よりアイドルより顔も声もいいんだから!」


社長の座まで上り詰めて広告塔にでもなったら、売上は簡単に倍増しそうな容姿の彼だが、目立つ事は好きではないらしく、どれだけ打診を受けてもこれ以上の昇進は受け入れないつもりらしい。


裏稼業とのバランスも考えてそうしているのだとは思うが、有名スカウトマンが聞いたら歯噛みして悔しがるに違いない。


「その客観的評価は、まだ続きそう?」


部の悪さを自覚して早々に視線を逸らした奏の顎を引き寄せて、面白くなさそうな声で那岐が問う。


「いえ、もう終わり!り、六合!!」


元幼馴染の名前を必死に呼べば、すうっと那岐が目を細めた。


「もういないよ」


肝心な時に助け船になってくれない主思いの少年だ。


じいと奏の深層心理を探るように両の目を覗き込まれる。


青墨色の前髪の隙間から覗く瞳の光彩が、再会したあの夜と同じように紺桔梗で染まっていく。


吸い込まれるような、深淵に飲み込まれるような、底知れない恐怖が足元から近づいて来る。


息を詰めそうになった途端、那岐の指が耳たぶを引っ掻いた。


霧散した重苦しい空気に、ほっと胸をなでおろす。


金輪際、瑠偉の容姿についての言及は避けようと心に決めた。


「ねえ、その一般論について質問なんだけどさ」


ミステリアスだけれど、柔らかい、馴染みのある空気を纏わせた那岐が首を傾げる。


「は、はい!なんでしょう!?」


どうか無難に答えられる質問が来ますようにと身構えた奏に、那岐があのさぁ、と口を開いた。


「女の子って、自分を脅迫して来た男の事、好きになるわけ?」


「・・・・ん?」


脅迫、とは、他人にあることを行わせようとして,生命や名誉などを害するとおどしつけること。


何処をどう見ても自分を害そうと近づいてくる男に惹かれるのは、余程特殊な嗜好を持つ女性に限られるのではなかろうか。


危険と隣り合わせの恋に惹かれる女の子が稀に存在するとしても、あくまで少数派であることに違いはない。


というか、脅迫って!!!!


「え、ちょっと・・・瑠偉さん、相手の女性を脅して恋人にするってこと!?」


もしや裏稼業を匂わせて、無理やり手籠めにするつもりなのかと、あの穏やかな笑顔を頭の中で睨みつける。


「どうも奥の手で、訴訟を起こすって脅して捕まえたみたいだな」


「っはあ!?なにそれ!!!恋なんて始まらないでしょ!むしろマイナス100からのスタートだからそれ!ほら、那岐前に言ってたじゃない!人の運命はいつだって何通りもあって、それを選ぶのは自分だって!那岐が見たいくつかの未来のうちの一個では、二人が恋人になるのかもしれないけど、別の未来では二人は他人のままなんじゃない?だって気の毒過ぎるでしょ相手の女の人が!脅された相手を好きになるなんて、絶対にあり得ないよ!」


少なくとも奏の価値観ではそうだ。


向けられた敵意が例え仮初であったとしても、その事実は変わらない。


どれだけの好意を向けられても、マイナスがプラスに転じる事は絶対にありえない。


憤る奏に、うんうんと鷹揚に頷いて、那岐が笑顔を見せた。


「うん。奏の言い分はよく分かった。瑠偉と同じやり方を選ばなくて本当に良かった」


「瑠偉さんに言ってあげてよ、ちゃんと誠実に思いを寄せるべきだって」


「・・・俺は時々本当に、奏の思考が眩しいよ」


嬉しそうに、どこか誇らしげに、那岐が笑った。

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