第6話 新婚マイナス90日
何かが可笑しい。
あの日確かに自分は彼女に、これから先の人生には絶対に恵茉が必要だと真摯に告げた筈だ。
頬を染めて何度も頷いてくれた恵茉の表情は、すぐにでも思い出せる。
帰国して病院から執務フロアに顔を出したと同時に飛び込んできた彼女に、勢い余って告げたのは、もう一刻の猶予も与えたくなかったから。
自分の気持ちがどこにあって、どっちに向いているのか、何が何でも恵茉に理解して貰う必要があった。
本当は、プロポーズに必要なアイテムを用意して、それなりのシチュエーションを整えたうえで彼女に会いたかったけれど。
指輪のデザインは決められていなかったし、どうせなら気に入ったものを贈りたい、花束は次に会った時に改めて渡して、その足で好きなブランドショップへ連れて行こうと決めていた。
はず、なのに。
「でね、色々考えた結果、彼女が一番良いと思うの。うちの登録者さんの間でもかなり人気の方でね。年齢的にも釣り合うし、何より人柄がほんとにキヨくんの理想通りだと思う。ご自宅の歯科医院の受付をされてるんだけど、気配りが細やかで、笑顔も素敵なの。生まれも育ちも完璧だし、将来を考えるには持って来いの人だよ。登録手続き諸々は後回しでいいって、おばさんが。キヨくんに至ってはもう顔パスだって言ってたよ。成婚料も安くしとくってさ」
「・・・・」
「なにー真顔になっちゃって!あんまりにも理想通りだから言葉も出ないか!私だって伊達にキヨくんの幼馴染して来たわけじゃないんだからね!全力の信頼に応えるべく頑張ったよ」
さあどうだ!とお見合い写真を叩いて胸を張る恵茉に、清匡は軽い眩暈を覚えた。
必死に意識を引き寄せて、どうにかこの現実に折り合いを付けようとする。
「・・・・恵茉、この前の話覚えてるか?」
「忘れる訳ないでしょ!キヨくんが、初めて私に力を貸して欲しいって言ってくれたんだから。どうかな?お眼鏡に適いそう?もし、なんだったらおじさんたちに写真見て貰っても・・・」
「俺は、恵茉が必要だって言ったんだよ」
「うん。だから、私も今までで一番良い仕事した自信がある」
「・・・お・・まえは・・・俺にこの人と結婚して欲しいの?」
「彼女は確かに一押しだけど、実際会ってみないと何とも言えないでしょう?私は、キヨくんに幸せになって欲しいんだよ。折角家庭を持つ気になったんだから、まずは私が力になりたいよ。折角頼ってくれたんだし。勿論、会ってやっぱり違うなって思っても、まだ何人かピックアップしてるから、そこは心配しないで」
コーディネーターの底力見せてあげるよ、なんて朗らかに笑う彼女の表情には、迷いも憂いも見られない。
純粋に幼馴染の幸せの為に、必死になったと顔に書いてある。
「・・・恵茉、自分は・・・?結婚するつもりないの?」
「何言ってんの。まずはキヨくんの幸せが優先だよ」
ありがとうと笑えばいいのか、嘆けばいいのかもう分からない。
ただ一つ確信できたことは、恵茉はやっぱり一ミリも自分を意識しては居なかったという事。
前回の告白は、彼女にとっては、幼馴染からの特別な協力要請で、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
零れたのは渇いた笑み。
あれほど覚悟を決めて帰って来たのに、思い切り振りかぶって投げたボールは見事に見送られてしまった。
ここで恵茉を詰って彼女に好きだと告げる事を想像して、胃の奥が冷えた。
拒絶が返って来る事が何よりも怖い。
恵茉がこれほどまでに全幅の信頼を寄せてくれているのは、これまで過ごして来た時間があるからだ。
清匡は何があっても恵茉を傷つけないという確信が、あるからだ。
一番安全な幼馴染という自覚があるからだ。
決めた筈の決意も、覚悟も、一瞬にして揺らいだ、揺らいで、しまった。
「一応訊くけど・・・何人ピックアップしたんだ・・・?」
「えっと・・・今のところ4人だね。うち一人は、別の人と進行中だから場合によっては三人になるかな?」
「・・・その4人でどうにもならなかったら・・・?」
「え、その時はもうお手上げだから、おばさんの伝手を頼ろう」
「なるほど、恵茉が用意した4人とのお見合いが不発に終わったら、ひとまずお見合い大作戦は終了になるんだな」
「うん、私の預かれる範疇では終了。あ、勿論それでも見捨てるような事はしないからね!」
そこは心配しないで、と豪語する恵茉の責任感の強さには頭が下がるが、今欲しい答えはそこじゃない。
が、一先ず4人のお見合いをクリアすれば、恵茉とのこの茶番は終わる訳だ。
こちらとしては、恵茉以外の誰かを選ぶつもりは毛頭ないし、揺れるつもりもない。
必死にこれだけのデータを用意してくれた彼女には申し訳ないが、逆にこれが、他の誰でもない恵茉しか選べない事を立証するチャンスなのではと思った。
自らの手で選りすぐった女性達を悉く袖にした清匡の事を、正しく恵茉が認識した時に、初めて彼女と同じ土俵に上がって口説けるのだ。
これまで燻っていた時間を思うと、悪くないように思えた。
その間に、少しずつ恵茉との距離を縮めて、巧弥以外の枠から脱出して、異性としての距離を認識させる。
先に彼女の叔母と口裏を合わせておく事に決めて、恵茉の逃げ道を完全に塞げばおあつらえ向きの一幕は完成だ。
あとは綺麗に踊って見せるだけ。
最終的に責任を感じた恵茉を無理やり巻き込む可能性もあるが、それは一先ず置いておく。
彼女が誰に焦がれて、どんな憧れを抱いて生きて来たか、誰より知っているのは自分だ。
死ぬほど悔しいが、それを綺麗にトレースするのもやぶさかではない。
「大丈夫、きっと上手くいくよ。キヨくんさえ良ければ、相手にプロフィールを紹介して、最初のデートをセッティングするけど・・・」
「分かったよ。それで進めてくれて構わない。恵茉が、俺に一番似合うと思った女性なんだろ。信頼してる」
「キヨくん・・・!信じてくれて嬉しいよ」
「でも、俺はこっちに戻って間もないし、ここ最近ろくにデートもしてないんだ。それらしい場所に案内して欲しいな。彼女の趣味とか嗜好に合わせた場所がいいんだろ?」
「任せて!お勧めのデートスポットがいくつもあるから、案内するよ。キヨくんに関しては、巧弥くんとは別の意味でエスコートは完璧だと思ってるけど」
ホテルマンを名乗る以上、他者はすべからくもてなす対象である。
男性は勿論の事、女性はとくに丁重に。
不自然でないフォローの仕方は、綺麗に頭に入っている。
覚えるまでもなくそれを昔から素でやってのけた兄を間近で見ているので、多少複雑ではあったが。
「そう言えば、私、キヨくんとデートスポットなんて回った事なかったね!ちゃんと案内できるかな・・・」
下調べはしてるんだけどね、と苦笑いを零す恵茉に向かって手を伸ばす。
「恵茉」
「うん?」
「デートスポット巡りじゃなくて、デート、しよう」
膝の上に行儀よく揃えられたままの手を捕まえる。
「うん?」
「その方が良いよ」
「ああ、予行演習的なことね!分かった」
あっさり頷いた恵茉の警戒心のなさに、思わず不安になる。
「相談者から同じような依頼受けてホイホイ頷いてるわけじゃ・・」
「女性慣れしてない男性登録者さんの場合は、勿論付き合うよ。本番での失敗は後々引きずることになるから。デート予定地を一通り回って、道順とかも相談したりするよ」
「・・・・」
「そんな険しい顔しなくても、別にテストじゃないんだからさぁ。相手を思いやって一緒に楽しい時間を過ごそうって気持ちがあれば大丈夫だよ。ほら、いつもキヨくんは私の事ちゃんと気にかけてくれてるでしょ?それにプラス好意があれば十分です」
言われるまでもなく気にかけて来たし、心配して手も口も出して来た。
過保護にしてきた自覚もある。
が、確かに恵茉を異性として扱ったことは無い。
身内の延長のような気安さでいつも接して来た。
その点巧弥は、最初に出会った頃からずっと、恵茉の事は丁重にお姫様扱いして来た。
女兄弟がいないせいもあるのか、きちんと、異性として一線引いた距離で恵茉と向き合っている。
だから、恵茉は、巧弥の前では我儘も言わないし、泣きべそもかかない。
必死に背伸びして素敵なお姫様になろうとする。
「プラス好意・・・」
「当日は、私の事を特別な女性だと思って接してよ。簡単でしょ?」
それは今までも変わらない筈なのだが、彼女が口にするとまるで魔法のようにその単語が輝き出す。
「この上なく特別だと思って来たんだけどな」
いつも別格の場所に綺麗に隔離して来たのだから。
握った指先に頬を寄せると、目を剥いた恵茉が慌てて横並びのソファの端まで逃げ退った。
「今じゃなくていいんだってば!」
真っ赤になって指を引き戻そうとする彼女の狼狽えた表情に、ほんの少し溜飲が下がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます