第3話

「有川さん、面会の方がお見えです」


 入院が半年を過ぎようかという頃、思いがけない見舞客が現れた。聖和だ。ここのところはもう身体も以前より言う事を聞かなくなり、いくつかの管が終始ついている自分は果たして人間なのだろうか?等と昔なら考えないようなことを考えるようになって諦観や達観で過ごしていた故に感情を失いかけていたが、久々に色んな感情が血液のように全身を巡る脈動を感じた。


「久しぶり」


 そう言った聖和は、昔の面影はおぼろげながらあれど年相応の中年男性の佇まいを見せていた。


「ど」


 どのツラさげて、と言いかけたが人間と言うのは不思議なもので俺の口からゆっくりと出た言葉は「どうしてた、今まで」だった。


「色々あってさ」


 頭をかきながら聖和はゆっくりと語りだした。夢を追いかけて出てはいったが、やはり声優だの俳優にはなれなかったこと。いくつかの転職を経て、今は中小企業ではあるがなんとか生計を立ててつつ趣味で小劇団に属していること。結婚して男の子ふたりの父親であること。俺はそれを黙って聞いていた。ひとしきり近況を話し終えた聖和に俺は尋ねてみた。


「ずっと受け取り拒否だったのに、なんで来た?」

「俺も最初は嫌だったさ。でも嫁と子供の手前、どうしても知らん顔できなくてさ。それに一つ伝えなきゃと思って」

「何をだ」

「母さんが……3年前に死んだからさ。今の親父と同じように……その」

「ガンでか」


 聖和は瞳を伏せ静かに首を縦に振った。70を過ぎていればもう何の拍子に逝ってもおかしくはないが、別れたとはいえ長らく生活をともにした和子はもうこの世にいないのだという厳然たる事実は、自分がガンに侵され恐らく余命幾許もないことよりも堪えるものだった。それを聞いた時になんだか自分の緊張感の糸が切れたような気がしたのと同時に、聖和や和子が出ていったことへ初めて向き合えるような気がした。


「すまなかったな、今まで」

「なんだよ急に……親父らしくもない」

「今にして思うと、お前たちには今更かもしれんが苦労をかけた」

「もうそういうのはいいよ。ほんとに許してないなら来てないだろ」

「一つだけどうしても謝らせてくれないか。老人の戯言と思って聞き流してくれてもいい」


 明確な日付は覚えていないが、あれは聖和が中学のジャージを着ていたから30年程前になるだろうか。ふとある夏の夜のことを急に思い出した俺は、聖和の目を見ながら口を開いた。

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