第四話

「隼人さん、いましたよ。こちらです!」


 割ってきた声に、二人揃ってはっと我を取り戻す。改めて目の合った雪が、指をもじもじと合わせて俯いてしまった。やっぱり、さっさと抱きしめておけばよかったかもしれない。


「せっかく一緒になってたのに、いきなりどっかに消えんなよ」

「悪い。ちょっとハプニング」

「雪さん、お顔真っ赤じゃありませんか。どうされたんですか? ラブラブですか?」

「からかうなよ」


 ラブラブと認めるのはどうかと思うが、イレギュラーで近づいていたことは確かだ。間の悪さを覚えて、ユマの頭にチョップを落とした。恨めしげな目がこちらを向く。


「まさかチャンスを逃しちゃんじゃないですよね? 佳臣さん」


 俺にだけ聞こえる声で突っつかれて、眉を顰めた。

 逃がしたといえば、またとないチャンスを逃がしただろう。何の、と言うとナニのと言う最悪な答えをしでかしそうだが。他でもないこの天使に見つかったせいで逃した。


「あ、その顔は逃したんでしょう! 情けないですよ」


 わっと声を上げられて、雪と隼人から目を向けられる。こいつは、と額を押さえて項垂れた。


「逃した?」


 ことんと首を傾げてくる雪の首元が気になって仕方がない。その紐を結び直した一連の出来事が、脳内から離れてくれなかった。


「こっちの話」

「……そう」


 ついと視線を逸らされて、気まずさが募る。意識が高ぶって、平常心に戻れそうにない。ふーっと大息を吐き出しても、上手く空気が入れ替わっている気がしなかった。吐息が熱い。


「ちょっとトイレ行ってくるわ」


 ばつが悪くなって、逃げを打ってしまった。それこそ情けないことだけど、クールタイムが欲しかったのだ。


「フードコート行ってるからな!」


 追いかけるようにかけられた隼人の声に手を上げて応え、その場を離れた。




 施設内の適当なベンチに腰を下ろして、ぼーっとする。周囲には疲れて休んでいるようにしか見えないだろうが、脳内は目まぐるしく働いていた。

 雪に何をしようとしていたのか。考えれば考えるほど、自分の欲深さに頭を抱える。雪の胸の柔らかくて滑らかな感触が忘れられない。その後の雪の態度だって、忘れてと言われて忘れられるものではなかった。

 プールのど真ん中で悶々としているなんて、とても具合が悪い。想像しているのは雪だけだが、いかんせんいかがわしい野郎にしか思えなかった。何度目になるか分からないため息をついて、立ち上がる。

 いつまでもこうしているわけにもいかないし、雪を放置しておくこともできそうにない。どっちにしたって忘れられないのなら、そばにいるほうがよっぽどマシだ。どこまでも行っても逃れられない自分に失笑を浮かべながら、隼人の言っていたフードコートに向かった。

 近づけば、様々な料理の匂いが鼻先に集まってくる。一人前に空腹を覚えている自分に呆れた。どこまでも本能に忠実なことだ。そうして、本能から雪とのことを思い出している。数十分にも満たないクールタイムでは、何も切り替えられていないことを痛感した。

 フードコートは賑わっている時間帯だ。人混みを掻き分けながら雪たちを探して進んでいると、見知った影を見つけた。金髪はよく目立つ。


「えっと、あたし人と来ているので……」

「いいじゃん、別に」

「ちょっと遊ぶだけだし」


 なんともまぁ、上手い具合に絡まれるものだ。そいつ、雌雄同体ですよ。と野次を飛ばしながら乱入してやろうかと思えてくる。しかし、そんなことを言えば、こっちのほうがおかしな人認定されてしまうだろう。俺はごく普通に近づくことにした。


「ユマ」

「佳臣さん!」


 さすがの天使もナンパには手を焼いていたらしい。こちらを振り向いた顔に、安堵が浮かんでいた。


「何だよ、人って男かよ」

「早く言えっての」


 絡んでいた男二人はしつこい輩ではなかったようで、すぐに去って行く。ユマがあからさまに肩を撫で下ろした。


「意外な弱点だな」

「だって、何を言っているのかさっぱり分からないんですもん」


 ナンパに意味を求めるのもなんだか、恐らくアプローチも分かっていないのだろう。隼人の努力がちっとも報われていなさそうで、同情しそうになった。


「大内は?」

「雪さんのことを聞くんじゃないんですね」

「雪は一人でも動いちゃうけど、大内がお前を一人で動かすとは思わないから」

「隼人さんならお食事を、雪さんは飲み物を買いに行っちゃったところです。雪さんのほうについて行こうとしたんですけど、大丈夫だからと言われてしまいまして。佳臣さんが来るだろうから、誰かが待っておくべきだとおっしゃって」

「そうか」


 分かりやすく分担したらしい。ユマが立っていたそばには、ちょうど四人がけのテーブルが一セット揃っている。待つしかないようであるし、俺はその一脚を引いて腰を下ろした。隣にユマが腰を下ろす。


「雪さんとのチャンスを逃したんですか?」

「しつこいぞ」

「だって、気になるじゃありませんか。せっかくのチャンスならものにして欲しいところですよ。それこそ、せっかくのダブルデートなんですから」

「大体、なんでダブルデートになったんだよ」

「隼人さんが提案してくださったんですよ」


 今更ながらに深い納得を得た。

 キューピッドをやるわりには、ユマの恋愛アンテナはどうにもズレている。ナンパの意味を解せないほどだ。自分がされることを解せなくても、意味合いを察することはできてもいいだろう。それができないのだから、よっぽど鈍い。というよりも、壊れていると言っても過言でもない。

 俺へのアドバイスだって、通り一遍押せというものしかなかった。駆け引きなんてものは存在しない。そういうものが欠如した人間から、ダブルデートなんて有用なアイディアが出てくることはないだろう。

 常日頃、遊び回っている隼人なら、すぐさま出てきてもおかしくはない。つまり、隼人にしてみれば、このデートは自分たちのものであって、ユマが俺たち……俺に構っているのは、予想外のことだろう。哀れだ。


「だからこそ、失敗するわけにはいかないわけです。お分かりですか?」

「だから、それは自分のペースで……」

「またとないチャンスを逃しておいてそんなようなことを言われても信用がありませんよ!」


 それを言い始めたら、失敗続きのキューピッドたるユマの言葉は徹頭徹尾信用がない。そもそも、逃したのはほとんどユマのせいだ。半眼を向けると、思いのほか真っ直ぐに見つめられて閉口した。


「あたしは佳臣さんに幸せになって欲しいんですよ」

「……自分のためにな」

「それはそれですけど!! でも、ちゃんと考えてますよ。雪さんはとても素敵な人ですし、二人が交際を始めてくださればあたしも嬉しいです」

「だから、それは」

「だから、だからっていつも、言い訳ばかりじゃありませんか。早くしないと、雪さん取られちゃいますよ。あんなにも素敵な方、そういないんですから。そのためにも、あたしは全力でサポートしますから、佳臣さんも前向きに考えてくださいよ。気持ちを伝えたいというのは本気なのでしょう」

「それは、まぁ」


 初手から詰め寄られてばかりいて、明確に答えたことはない。ようよう認めてしまった俺に、ユマの顔がこれでもかと輝く。ぱしんと両手で両手を捕られてしまった。


「幸せになりましょう!」


 勢いに面食らって微苦笑になる。それをどう解釈したのか。ユマはいっそ発光でもしているんじゃないかってほどの笑顔になった。


「――そーな」


 雪と幸せになれるなら本望で、圧力に負けて相槌を打つ。首がもげるほどに頷かれた。感極まっているらしい。


「大丈夫です。そのときまであたしがそばにいてお助けしますから。きっと一緒に幸せを掴みましょう!」


 どこか既視感のある言葉だなと思った。一緒に、と繋いだ手を思い出す。

 その拍子に、ばしゃりと異質な音がした。カップジュースを取り零した主は雪で、陰鬱な瞳が俺だけを捉えている。胸の前で拳が握りこまれていた。

 その瞬間、雪のショックが手に取るように分かる。そして、その理由をも理解した。


「雪」


 ユマの手を放り出したところで、雪が逃げ出す。動転したまま駆け出そうとして、腕を引かれてつんのめった。苛立ちに振り睨んだ先にいたのは隼人だ。


「お前とユマさんって、できてんの?」


 お前も勘違いか。思ってるよりずっと本気なのか。感心も確かにあったが、今は邪魔以外のなにものでもない。

 ぐいと腕を振りほどきながら、


「ふざけんなよ」


 と喚く。


「誰がそんなやつとできるか。離せ」


 我ながらひどい言い回しだ。だが、隼人はその威勢に飲まれてくれたようで、ぽかんと力を抜いた。その隙に抜け出す。


「俺には雪がいる」


 それだけを言い残して、俺はその場から駆け出していた。

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