第五話
「は! 早くしてください」
ひどく狼狽したユマがぐんぐん背中を押してくる。とんだ怪力だ。こういうとき、人外であることを理解させられる。いらない実感だった。
「そんなに大変なことなの?」
力加減が凄まじいので、大股になる。雪は半ば小走りだ。
「もう気づかれているかもしれませんから、一刻も早くお願いします」
逼迫具合に急きたてられる。モール内を走るのは憚られるが、ユマはいつになく真剣な顔つきだった。どことなく青ざめているような気もする。そこまでの難敵たる悪魔は一体どれほどまでに悪辣なのか。
気になるところだが、今は確認している暇もなさそうだ。そもそも本当にいるのか、という議論は取り沙汰するだけ無駄だろう。天使だと押し切られている俺たちに、反論の道はあまりない。
急ぎ足で進んでしばらく、不意にユマの力が弱まった。かと思うと、予期せぬ反動が加わるほどのパワーで引き寄せられる。隣をついてきていた雪も、慌てて後戻りをしてきた。危うくぶつかりかけて、雪の腰を抱く。
「ごめん」
「いいよ。おい、ユマ! 急になんだよ」
「声が大きいですよ! ダメです。もうすぐそこまで来てますっ」
しーっと指を立てているが、そいつの声が一番大きい。俺たちは、さぞかし変なトリオとして見られていたことだろう。子どもであるから、ある程度見過ごされていただけだ。大人だったなら、警備に声をかけられていたかもしれない。
「あ」
俺たちはまったく状況についていけていなかった。悪魔の存在がどこにいるのかも分かっていない。幽霊と鬼ごっこしているのと同じだ。ユマだけが、状況に慌てふためいている。
「あくま……いった!?」
眼前にやってきた人を見た瞬間に口を開いたユマに、無意識にげんこつを落としていた。やはり、衝動的な行動は控えるように心がけなければならない。改めて心に書きとどめたが、同時にこれは仕方がなかろうと文句をつけたくもなった。
「何するんですか」
「あれはパンクロッカー。多分、悪魔じゃない」
実際、ユマが視線を固定させていた黒を基調にしたエッジの効いたファッションの女性は、俺たちには見向きもせずにすり抜けていく。雪の分析が正しいとしか思えなかった。
「いえ、悪魔ですよ!」
「無視して行ったけど?」
「そ、それは……なんか、こう理由があったに違いありません」
「あの人、バンドの人だと思う」
ユマの論をあっさり退ける雪が、モール内に張られた案内を指差す。用意されているビジュアルポスターでベースを持っているのは、すれ違った女性に間違いなかった。
ユマがぎゅむと唇を噛み締める。こちらの半眼からは、ちゃっかり視線を逸らしていた。
「……人騒がせな」
「それほどのご迷惑をかけた覚えはありませんが!」
「この状況で言うなよ」
よく分からないままに、団子になったままでいる。俺は雪を支えたままだし、背中をユマにひっ捕まえられたままだ。俺が通行人からどういうふうに見られているのか。考えることは放棄していた。
「とりあえず、離してくれ」
「あ、はい」
ぱっとユマが俺を解放してくれる。そこまで妙な体勢を取っていたわけでもないが、一気に楽になった。気持ちの問題かもしれない。
一方で、自分は雪からあまり離れようとはしなかった。雪も気にしていないようだ。まったく意識しないわけではない。ドキリとすることも多いし、平静さを保てていると豪語はできないだろう。
だが、長年の基礎がある。他人と比べるとパーソナルスペースは圧倒的に狭かった。
「悪魔に違いないはずなんですよ」
「見分ける方法とかあんのか」
「見れば分かります」
気持ちが飛躍的に消沈してくる。一般的に悪魔呼ばわりするのは褒められたことじゃない。それを、外見ひとつを頼りに決め込まれちゃ堪らなかった。
「それは千里眼的な意味で?」
なるほど。雪の問いかけは考える余地のあるものだ。その目で見れば分かるというのであれば、決めつけにも納得がいく。
しかし、ユマは平常通りにあっけなく言い放った。
「いえ、千里眼は天界から下界を見下ろすためのものですから、何か善悪などを見分けるだとか、人の心を読むだとかそういう能力はありませんよ」
「……だろうな」
そんな万能な能力があるのであれば、俺が散々呆れ返っていることにも気がつけることだろう。それから、俺たちをカップルとして成就させることは叶わないということも分かるはずだ。ユマがそういうことを察している様子は一切ない。
「ですから、見て分かるというのは悪魔であるからですよ」
「分かってなかっただろ」
「いいえ。きっと、悪魔でした」
「向こうはユマさんのことが分かるの?」
「分からないんじゃないですか?」
「なんだ、その曖昧なのは!?」
思わず声が大きくなる。言うほど大儀な目には遭っていないのかもしれない。とはいえ、振り回されるのはストレスだ。
「だから逃げるしかないんじゃありませんか。他の手法はないんですよ。悪魔であるという予測して行動を取ることは必定です」
「知らねぇから」
「佳臣」
くいと服を引かれて、雪の顔を見下ろす。温厚に首を左右に振られて、呼吸を整えた。俺の制御を解き放とうとするのも雪だが、鎮めてくれるのも雪だ。ユマに対して息巻いているのを諫められているのは分かった。
「帰るか」
「もう遊んでいってもいいんですよ?」
「悪魔がいるんじゃないのか」
「……分かりませんし」
ユマが唇を尖らせて不貞腐れるのに、後ろ髪を掻く。悪魔の話が本当なのか何かもはや謎だ。これもプランへのスパイスだとか言い出さなきゃいいが。とはいえ、あの切迫感が偽物とも断言できそうになかった。
「どうする?」
「佳臣はもう、用事ないの?」
「ああ」
「じゃあ、帰ろう」
困ったときは雪に投げるのが通例だ。雪はさっぱりしていた。お互い、さほどアクティブなわけじゃない。元々は静かな場所で緩やかに過ごすほうが好みだ。外に出かけることがないわけじゃないが、ある程度のタイミングで引き上げる。
その波長はよく合っていた。お互いに相手のことを気遣ってのことか。それとも、習慣めいたものか。何にしても、適度に引き上げる。そういう流れができあがっていた。
今回もその流れに身を任せた結果で、別にユマに呆れを募らせて離れようというわけではない。その意志が毛ほどもないとは言わないが。だが、平常運転だった。
「え!? 本当に帰っちゃうんですか? せっかくの二人でのお出かけではありませんか」
「三人になってたけどな」
はっとユマが分かりやすくショックを受ける。やっぱり、何も考えていなかったな。邪魔しているという自覚もなかったのだろう。
「なら、せっかくじゃありませんか。どうぞ、あたしはもう帰りますので、二人で時間をお使いくださいませ」
「じゃあ、帰る」
「どうしてそうなるんですか!?」
ユマが調子を取り戻して騒ぎ出した。俺と雪は顔を見合わせる。ため息を零すような仕草を取ると、雪は苦笑を零した。俺よりもよく分からずに引っ掻き回されているというのに、この余裕っぷりは羨ましいくらいだ。
「いいだろ。俺たちの自由にさせてくれよ。二人で帰る」
ユマが釣れるように、二人と言い回しをしたのはわざとだった。そういえば、ユマだって食い下がりはしないだろうと、厄介なものを遠ざけるやり方だ。褒められたやり方ではない。でも、これ以上は付き合っていられないというのが本音である。
俺が雪に気持ちを伝えられるように画策してくれることにまで、文句をつけようとは思わない。まったく無意味な存在だと邪険にするつもりもない。だが、悪魔だなんだと天界の常識を持ち込まれて振り回されるのは勘弁だった。
既にこのデートを邪魔されていると言っても過言でもない。どれだけ普段通りだとしても、やはりその意識は拭えなかった。
多少なりとも雪との進展を望んだような俺の口ぶりに、ユマの顔が輝く。それを視界に入れると同時に、雪の手を取った。
「じゃ、そういうことだから。ここで」
「……ばいばい」
ほとんど顔も見ずに進んだ俺に、雪の挨拶が続く。ユマは俺たちを囃し立てながら、見送りの台詞を喚いていた。他人のふりをしたくて、ほとんどを聞き逃してやったので詳細は知らない。
残りの時間を、俺と雪は手を繋いだまま二人で過ごした。先日から、何かと手を繋ぐ機会が増えている。それは、多少はユマのおかげと言えなくもないのだろう。総合的には。そう思うくらいには、雪の隣は心地がいい。
終わり良ければすべてよし。そう思ってしまう自分のチョロさにはやっぱり愕然とするのだった。
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