第四章

第一話

 気持ちのよい爽快な陽気の日曜日。待ち合わせ場所は駅前だ。俺は雪と二人で向かった。

 今日の雪は、淡い水色のシンプルなワンピースに、カーディガン。素足にミュール。麦わら帽子。リゾートにいるお嬢様のようで、道行く男の視線が時々止まる。そばにいるとそれがよく分かった。

 近頃は、威嚇の回数も増えている。目つきが険しくなってきているような気さえしていた。さすがにそこまでではないと思いたい。

 待ち合わせ場所には、既に隼人が待っていた。バッチリオシャレに気を配ったチャラ男は、大層目立っている。こちらを発見すると、さらりと手を上げた。なかなかスマートだ。世の女性は隼人のこういうところに釣られたりするのだろうか。


「おはよう」


 合流して挨拶を交わす。そこそこに、隼人の腕が肩に回ってきた。馴れ馴れしい態度は暑苦しいが、隼人は構わずに俺にくっついてくる。何が悲しくて、朝からこんなふうにくっつかれなければならないのか。

 こちらは半眼を向けたが、隼人の瞳はキラキラときらめいている。感情のギャップが著しいことだけは分かった。


「今日は頼むぞ」

「……ああ」


 この二週間。事あるごとに持ちかけられていた協力の要請だ。ユマとの関係を取り持って欲しいと根回しに余念がなかった。俺は飽き飽きしながら相槌を打つ。隼人は潔く満足したようで、すぐに離れていってくれた。

 心の底からため息を零す。この気疲れは、隼人から与えられるものだけにではない。この通り、隼人からはユマとの後押しを求められている。一方で、ユマからは雪と仲良くするようにと厳命されていた。二つの願いは反目していない。利害は一致しているだろう。板挟みではない。

 だが、これを両方からサラウンドで聞かされ続けてみて欲しい。辟易もしてくるというものだ。


「お待たせ致しました!」


 この数日の気苦労の片割れが、早足で駆け寄ってくる。いつも通りの姿形だ。

 ちなみに、今のユマの根城は聞いていない。ユマはふらっとベランダにやってきては、俺に口やかましくプランを押しつけてくるのを怠らなかった。元気そうなので、聞かずじまいでいる。宿の確保ができるようになっていたと言っていたから、大丈夫なのだろう。


「荷物多いね」

「はい! たくさん遊びましょうね」


 どこでどう揃えたのか。雪の問いにはそういうものも含まれていたように聞こえたが、ユマはあっけらかんと答えた。

 斜めがけされたバッグはパンパンに膨れ上がっている。中はビーチボールや浮き輪だろうか。近年オープンしたばかりのレジャー施設にあるプールが目的地だ。たくさん遊ぶ、にはかなり適した場所であるだろう。


「それじゃ、行きましょう。ユマさん」


 意気揚々、ユマのエスコートに走った隼人に呆れながらも、雪と一緒に後を追った。プールまでは電車で三駅かかる。改札から既に予感はしていたが、乗り込んだところで人の多さに圧倒された。

 先んじていた隼人たちとは、人混みに分断されてしまう。今日はひときわ人数が多かった。いつもどこかでイベントがあるのが平常の世の中だ。こんなこともあるだろうと割り切って、雪を身体で人混みからセーブする。


「ありがとう」

「うん」


 さりげなく動いたつもりだが、こうして察せられていると擽ったい。無愛想な相槌を返して、雪を守り続ける。振動にふらつく足元を踏ん張っていた。雪も同じように踏ん張っているようだが、どうにも動きが危うい。


「大丈夫か?」

「ダメかも」


 ここまで正直だと、逆に清々しかった。人混みが苦手なのは知っている。限界を伝えてくれるのはありがたかった。


「もたれていいぞ」

「平気?」

「……倒れるときは一緒で」

「頑張ってね」


 ここで絶対を言えない俺は情けないだろう。けれど、日頃運動をしているわけでもない。ただ、図体がでかいだけの男だ。バランスを保てる自信はないし、雪を守り通せると豪語できるほど豪胆でもない。

 胸元のシャツを握られて、どくりと心臓が粟立つ。雪の小さな手のひらが必死にすがってきて、腕の中に収まった。自分から提案しておいてなんだか、あまりの近さに天を仰ぐ。爽やかで華やかなシャンプーの香りが鼻先を擽った。

 こっちからは近づきすぎないように。下手をすると痴漢だ、と今までよりも気合いを入れて踏ん張った。雪は俺が倒れかけて凭れようと、近づきすぎようと、きっと状況を鑑みてくれる。その信頼はあったが、だからって甘えていいわけじゃない。

 しかし、人混みを耐えるのはそう簡単ではなかった。さっきから、後ろ側の誰かの肘が背中にぐりぐりと当たっている。どうにも痛くて、逃げるように動いてしまった。

 そうすると、雪に抱きつく形になってしまう。ついぞ我慢できずに、閉じた扉に手をついて雪を腕の中に閉じ込めた。ユマに勢い込んで柵に追い詰められたときのようなことをやっている。その苦々しさはままあった。


「悪い」

「大丈夫。いいよ」


 俺が苦戦しているのは分かっているのか。雪がシャツを引いて、そばに寄せてくれる。いくらか背は楽になるが、密着度はギリギリだった。

 そのギリギリに耐えていると背後から


「ぎゃう」


 と素っ頓狂な呻き声が聞こえる。不穏さに首だけ振り向くと、俺と人混みの間でユマが身動きを取れなくなっていた。まさか雪との接触に持ち込んだのはこいつか、と眉を顰める。

 視線が合うと、ユマは苦い顔になった。


「……大内はどうした?」

「はぐれてしまいまして」

「ほう?」


 わざと近づいてきた説が高い。俺が予想を立てていることをユマも予想しているのか、空笑いを浮かべている。そんなものだから、バレバレになるのだ。苛立ちが募るが、後ろでごたごたされているのも面倒くさい。肘が脇腹に突き刺さるのも無視はできなかった。

 無理やり身体を捻って、ユマの腕を引く。


「うわっ」

「こっちに来とけ」


 隣に引き寄せると、自分を攻撃していた肘の感覚がなくなった。やっぱりこいつだったな、と半眼する。それを救ったかと思うと腑には落ちないが、自分を楽にするためだ。


「雪、もうちょっと寄るぞ」

「うん」


 ユマのスペース分、雪を抱き込む。片腕が背中に回って、身体の間で胸が潰れていた。ばくばくとはしゃぐ心臓の音が聞こえてしまいそうで、余計にドキドキする。

 してやったりの顔をしているユマが恨めしかった。




 生殺しのような状況に、喜びと緊張を携えた時間を越えて、息をつく。人混みを抜けて外気を吸えるようになって、ようやくひと心地がついた。


「ユマさん、大丈夫でしたか?」


 遠くから、隼人がすっ飛んでくる。髪が乱れている辺り、本気で探していたようだ。


「はい。この通りです」

「心配なんで、あんまり目の届かないところに行かないでくださいよ」


 隼人の心境がユマに届いている気配はなかった。きょとんとしたユマに、隼人が苦笑を浮かべている。


「行きましょうか」


 プールまでは徒歩で十分ほどだ。隼人は相変わらずユマのエスコートのみしか考えていない。隼人にしてみればアプローチであるのだろう。俺にとっては、都合のいい問題回収者であった。

 俺は雪と並んで、二人の後を追う。いつもは俺に独善的な弁舌を振るうユマが、今は隼人から振るわれているようだ。いい気味だとまでは思いやしないが、珍しい光景だなとは思う。


「佳臣」

「ん?」


 前方に気を取られていたら、横から意識を引き戻された。首を傾げると、ひょいっと手を伸ばされる。目を瞬くうちに、頭を撫でるように髪を梳かれた。まるで小さな子にするそれだ。身長的にかなりギリギリまで背伸びしてくるものだから、危なっかしい。


「……何やってんの」

「乱れてたから」

「お前も乱れてるけど」

「どこ?」


 見上げてくる顔つきに、喉を鳴らす。何を待っているのか。分からないほど浅い関係ではない。そっと手を伸ばして、そのしなやかな黒髪に指を通す。アホ毛が飛び出している部分を整えて、不動心を保って手を離した。


「もういいよ」

「綺麗になった?」

「ああ」


 俺が文脈を意識しすぎているのは分かっている。だが、雪の美麗を褒め称えるようで、尻こそばゆい。勝手に心がジタバタして、つい早足になりそうになるのを堪える。下手に態度を出すことも気恥ずかしいし、雪を置いていくつもりもなかった。

 二人隊列で進んだ俺たちは、無事にプールに到着する。男女に分かれて、更衣室に向かった。道中の隼人は鼻歌交じりで機嫌がいい。とても好調な交流が築けているようには見えなかったが、本人が楽しいのならそれでいいかと放置しておいた。

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