第二話

「ユマさん、可愛いよなぁ」

「そうかよ」


 着替えながら零される惚気に、半端な相槌を打つ。男にでも可愛いという感情を抱くことはあるだろうから、雌雄同体のことを引き合いに出すことはしなかった。


「白いワンピースが映えるよな」

「そうな」


 こちらの気のない反応は、どうでもいいのか。共感を得る気はないのか。いっそ興味がないかのようにさっぱりした態度で、ぽつぽつ零す。

 確かにユマにワンピースの印象はあったが、それをどうこう思ったことはない。雪のワンピースのほうが脳内に焼き付いている。映えると言われて思い浮かぶのは、どうしても雪だった。

 そこからも、ユマの容姿や会話から得られた情報の感想が投げられる。俺は変わらず、適当に相槌を打ち続けていた。隼人は俺の態度に文句も出てこないほどに、感情を解き放つことに熱中しているようだ。

 そこまで惹かれるものがどこにあるのか。まさか、天使だからそんな能力があったりするのか。そんな邪推をしたいくらいに、隼人は熱烈だった。

 着替え終えるまで延々と続いたそれを流して、更衣室のそばで女子二人を待つ。


「どんな水着だと思う?」

「ゲスイ真似すんなよ」

「ゲスイと思うお前のほうがムッツリだろ」

「女子の水着を予想するのは悪趣味だと思う」

「男同士のやり取りなんだから、許容範囲だろ」

「聞かれても知らねぇぞ」

「ユマさん、気にするかな?」

「さぁ」


 しないだろう。雪も気にするほうではないかもしれない。しょうがないという諦めだろうけれど、人のエロ本を引き合いに出していたくらいだ。想像しているくらいなら、鷹揚に受け流すだろう。俺の好みを知りたがっていたという話もある。


「ノリ悪いなぁ」

「はしゃぎすぎなんだろ」

「はしゃぐだろ、そりゃ。ダブルデートだぞ。そっちだって、もう少しテンション上がったりしねぇの?」

「……普通」


 雪と一緒にいるのは日常だ。子どものころから、あらゆるテーマパークにもアミューズメントパークにも一緒に行ってきた。いつだって二人だったわけではないけれど、大体の行事も共に体験してきている。

 プールだって一緒に行ったことがあるし、今更テンションが爆上がりすることもない。ただ、水着の件を改めて引き合いに出されると、多少は思うところがある。それこそ、ムッツリと言われても仕方がないけれど、水着姿を見たのは中学生のころが最後だ。

 うちの高校には水泳の授業がないし、中学の授業ではスクール水着だった。いわゆるプライベートというか。遊びで着る水着姿なんて、しばらく目にしていない。一体どんな水着を選んだのか。気にならないこともなかった。


「お待たせ致しました!」


 今朝方も聞いた挨拶で現れたユマに、隼人が目を瞬いている。

 ワンピース型の水着は、ユマに似合っていた。印象強く結びついているワンピースを持ってくるあたり、パブリックイメージを大切にしているのか。自分のことが分かっているのか。

 隼人が呆然としている間に、ユマの後ろから雪がひょっこりと顔を出す。目が合うと、そろそろとユマの影から出てきた。

 白色のビキニ。上は首元に紐をくくるタイプの無防備なもので、白い塊が豊満に揺れている。下はパレオで、透け感のあるスカートのような裾から生足が覗いていた。滅多に見ることのない白い太股が晒されている。長い黒髪は邪魔にならないようにか。高い位置でお団子になっていた。


「綺麗ですね」

「そうですか? ありがとうございます。隼人さんも素敵な水着ですよ」


 二人が話しているのが、耳を素通りしていく。雪から目が離せなくて、黙って見つめ合っていた。


「佳臣……?」

「あ、ああ」


 ろくすっぽ声が出ずに、咳払いで誤魔化す。

 隣では、隼人の口からとめどない褒め言葉が放出されていた。そんな状況下に置かれると、どうにも感想を言わなければならない空気になってくる。雪だって、どうしたらいいのか分からないのだろう。心持ち、もじもじと足の位置を変えていた。

 多少、隼人の口の回りが恨めしくなる。視線を投げていると、なぜかユマのほうと目が合った。その視線が雪に流れてから、顎をしゃくるように雪を示される。それはつまり、褒めろということだろう。分かってしまったことに、歯噛みしそうになった。

 勧められてから感想を述べるというのもいい気はしない。だが、だからってそのまま無言で貫き通すことも難しそうだ。何より、下からじっと見上げ続けてくる雪の視線を無視することなど、俺にはできない。


「似合ってるな」

「そう?」

「うん」

「清楚系?」

「おい、こら」


 睨み下ろすと、雪がクスクスと笑い声を立てる。珍しい態度に、苦笑が零れた。どうやら、テンションが上がっているらしい。

 雪が楽しそうだと、こちらまで引き上げられる。胸がいっぱいになって、ユマに感想を言うように押し切られているような気持ちが目減りした。気軽な調子を取り戻し、楽しそうな雪の頭をぐりっと撫でる。


「髪の毛乱れちゃう」

「そしたら結び直してやるよ。垂らしてるのも清楚系っぽいし」

「いつものほうが好き?」

「今日のも可愛いよ」


 自主的に伝えられた気がして、気が抜けた。雪の目が緩く伏せられる。はにかむような笑顔に、胸がキュンと締め付けられた。頭から手を離すと、雪がそこに触れて微笑みを浮かべる。文句なしに可愛くて、周囲のことが頭から抜け落ちていた。


「天根くーん。イチャついてるとこ悪いけど、そろそろ行くぞ」

「さっきまで口説いてたのはそっちだろ」


 ほっこりと安息を得ていたところに、肩を組まれる。やり返すように告げると、隼人の口元が歪んだ。


「それをはっきり口に出してくれるなよ」

「事実だろ」

「この野郎」


 ぐっと力を込められて、緩く首を絞められる。おふざけの代物で苦しみはまったくないが、鬱陶しさは十分だ。タップして気持ちを訴えると、隼人は力を緩めながら俺を引きずり始めた。


「おい」

「ほら、行くぞ。水に落としてやる」

「やめろ!」

「ユマさん、雪ちゃん、行こう」

「はい!」


 返事をしたのはユマだけだったが、雪もほくほくとついてきている。意気軒昂っぷりはなかなかのものらしい。

 それにしても、ユマは隼人と俺のやり取りに着目していないのか。口説かれているとは気がついている様子もなかった。それとも、天使にはそうした概念はないのか。恋のキューピッドのくせに勘が悪いようだ。まぁ、恋のキューピッドとしての活躍はないし、勘が鈍いのは分かりきっている。

 そのままずるずると隼人に連行されて、プールサイドにたどり着いた。そのまま投げられる道もあったが、どうやら人目と常識が勝ったらしい。飛び込み禁止を守るくらいには、隼人は自制心があった。

 チャラいわりに、というと偏見だろう。だが、隼人がチャラいのは紛れもない事実だ。そのわりに、隼人はテンション任せに動かない。俺はあえなく解放されて、ちょっとばかりほっとする。


「ユマさん、行きましょう」


 どんな感情の切り替えなのか。隼人は俺をすっかり放り出して、ユマに向き直った。道すがら、男とじゃれている場合じゃないと思い直したのだろうか。それにしたって、情緒不安定なのかというほどの切り替えだった。

 放置された俺の隣に、雪がやってくる。


「泳ぐか?」

「うん」


 こくりと頷く雪は、運動神経もかなりいいし運動も好きだ。昔は、俺について遊び回るお転婆だった。二人で木登りをして、怒られたこともある。小さな切り傷や打ち身は、常態化していた。

 雪の瞳がキラキラ輝いている。


「行くぞ」


 そう言って、先んじた。水温に、身を震わせる。温水プールといえども、最初は身体が慣れないものだ。

 水の中から、雪に向かって手を伸ばす。笑って呼ぶと、雪が俺の手を取った。雪が入ろうとしているのを見計らって緩く腕を引くと、小さな水しぶきが上がる。

 水濡れになった雪が、口を尖らせて見上げてきた。すぐそばにいる雪が、空いている手のひらでばしゃりと水を叩く。弾んだ水滴が顔面を濡らし、視界をきらめかせた。そのまま手を離されて、両手で水浴びをさせられる。雪はシニカルな笑みを作ってから、すいと泳ぎ逃げていく。

 俺はすぐに気を取り直して、それを追いかけた。




 俺と雪は二人。追いかけっこをするように、施設内を堪能して回る。途中、隼人たちと行き交うこともあったが、そこは自然に別行動を取った。

 別に隼人の願いを聞き入れたわけでも、ユマのアドバイスに背を押されたわけでもない。これは単に、雪と二人きりのほうが心労がないからだ。そのうえ楽しめるのだから、こうなることは自然だった。

 とはいえ、まったくの不干渉というわけでもない。仮にもダブルデートと称してグループで来たのだから、すれ違えば言葉くらいは交わす。その例にならって、雪のウォータースライダーを待つ最中、ユマが近づいてきた。


「どうですか? デートは上手くいってますか?」

「そっちこそどうなんだよ」

「隼人さんはお話が上手なんですね。プールの雑学をいくつか仕入れました」

「へぇ?」

「飛び込みはNGだそうで」

「それは雑学とは言わないからな」

「え!?」


 驚く天使に失笑を浮かべる。


「マナーだよ」

「はー……地上にはたくさんのものがあるのですね。とても大変なところです」

「天界にはないのか」

「地上ほど厳しいことはありませんよ。自由なところですから」

「なのに、生まれ変わりたいわけか」


 ユマは少し悲しげな笑みを浮かべた。失言をしたかと咄嗟に顧みるも、何が引っかかったのか分からなかった。


「だからですよ。自由すぎると不自由を覚えるものです。それに天使は不死身ですからね。楽しいというよりも退屈になります。天界にずっといたいと思うものはあまりいないんですよ」

「……なるほど」


 暇を持て余す生活を知っているわけではない。ただ、無味乾燥な心情は知っている。俺をそこからすぐに救ってくれたのは雪だ。


「そうですよ! ですから、きっとキューピッドとして佳臣さんに好きだと言わせてみせますから!」

「……自分のタイミングで言うって言ってんだろ」

「そんなこと言わずに早く言ってお付き合いを開始させましょう」

「だから、それは」

「水着をガン見し続けてるじゃありませんか」


 図星に閉口する。


「時々、周囲を殺しそうな目をしていますよ」


 追撃には我慢ならずに項垂れてしまった。

 雪と一緒に遊び回ることは楽しい。二人のしつこい邪魔者がいないことも素晴らしい。だが、雪が人目を惹きすぎることには、靄が濃くなっていた。

 気持ちは分かる。俺だって、胸の谷間に目が吸い寄せられそうになるし、密着するたびに鼻血を心配してしまうほどだ。雪が魅力的なことはよくよく分かっている。日頃だって目を惹く女の子なのだから、水着姿となればなおのことだった。


「こういうとき、彼氏さんなら独占し放題ですよ。心配だってどんどん口にすればいいじゃありませんか。可愛いんだから自重してくれって。きっと雪さんだってキュンとしてくれますよ」


 きっとなんて確証はどこにもなくて、疑いの眼差しを向ける。ユマは自分を少しも疑わない顔つきでいた。ここまで失敗続きのキューピッドがよくもまぁそんな顔ができたものだ。そのポジティブ具合には、呆れを通り越して尊敬すら覚える。

 俺にはそんな独占欲丸出しの言葉で、雪が喜んでくれるなんて自信はない。恋人同士であったとしても、雪が束縛を嫌うタイプだったらアウトだ。そう考えると、そうそう口にできることではなかった。

 大体、自分が雪の水着姿にそこまでの情念を抱いていると告げることが恥ずかしい。他人の水着を少しも気に留めないこともまた嘘だろうが、雪のそれを気にしているのは他の誰とも意味が違う。

 それこそ、ユマと比べても天地の差が……


「そういえば、それどうなってんの?」


 別の意味で気になることを思いついて、口が滑る。ユマがあけすけなアドバイスばかりを寄越すものだから、こちらも図太くなっていた。


「それとはどれのことでしょうか?」

「下」


 と、水着に包まれている下半身に目を下ろす。


「セクハラですよ、それは。いくらあたしが雌雄同体だとしても、セクハラだという事実は揺るぎません。それに天使に汚れた発言をするなんて、よっぽど罪深いですよ!」


 手でガードをされると、途端に卑猥な発言をさせられた気分になる。だが、これは純粋な疑問であって、そこに身体的に陥れようという意志などなかった。


「邪推するなよ。大内が気づけない程度には女体で済んでるんだなと思っただけだ」

「大きさを変えられますからね」


 セクハラ扱いしていたくせに、すんなりとタネを明かされた。人体の不思議すぎて、ついつい身体に目をやってしまう。


「胸を大きくしましょうか」

「せんでいい!」


 悪戯っ子のように笑われて、舌打ちが零れそうになった。


「じゃあ、佳臣さんよりも大きく……痛いっ!」


 とんでもないことを口走る痴女みたいなやつに容赦はしない。頭を手のひらで鷲掴みにしてやった。


「痛いですよ! すみません。見たりしませんから許してください」

「セクハラはそっちじゃねぇか」


 千里眼に言われるのはぞっとしない。ギリギリと痛めつけていると、頭にチョップが落ちてきた。


「天根。何やってんだよ」

「ちょっとセクハラを働かれたんでな」

「だからって手を出すなよ。ユマさんは大切にしろ」

「贔屓がすごいな」


 とはいえ、これ以上痛めつけても仕方がない。解放してやると、ユマはそそくさと隼人の後ろに隠れた。ユマが隼人の元へ駆けたのは単純な逃亡で、他意などないだろう。しかし、隼人には喜ばしいことらしい。やに下がっていた。

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