第四話

「なんだよ」

「お荷物持ってさしあげてはいかがですか? こういうときは荷物持ちですよ」

「あれくらい平気だろ」

「結果的に持たないとしても、お声かけされて嬉しくないことはないと思います」

「その手続きいるか?」

「大事ですよ! 手続きは。あたしだって手続きをすることで、金銭を得ることができて、ちゃんと宿を確保できるようになったんですから」

「それ今と関係ないよな」


 公的な手続きと、便宜上の手続きを一緒くたにするのはやめて欲しい。

 そして、ここのところの不在の理由が判明した。その手続きはもっと早く踏むべきものだったんじゃないのか。そうすれば、俺の元へ突撃してくるなどという迷惑行為を起こさずにすんだのではないのか。やはり、この天使はポンコツである。


「とにかく、お話しすることは大事なことですよ。気持ちを伝える気があるなら小さなことから始めるべきです。なんてことのない手続きだと侮っていてはいけませんよ」


 確かに、今更の言葉を交わすことは少ない。お礼を省くほど殺伐とはしていないが、お互いに沈黙を愛するところもあるだろう。付き合いは長い。その中で培った感覚で通り過ぎていることがないとは言えない。

 前後の繋がりや勢いには不透明なところはあるが、根本的に前向きで蔑ろにはしづらいアドバイスであった。どうにも毒されている気持ちは拭えない。

 ただ少しだけ、取り合う気持ちになった。これがいいことと思えないのは、ユマの願いを叶えられそうにもないからだろうか。一方的に授けてもらっているような気持ちにさせられてしまう。殊勝な感情に苦くなった。

 ユマは一切反応しない俺にじれたように、背を押して雪のほうへと押しやる。ととと、といくつか歩調を乱して、雪の隣に並んだ。突如として隣に現れた俺に、雪がこちらを見上げてくる。


「どうしたの?」

「荷物、持つか?」

「……どうしたの?」


 心底、怪訝そうな顔を向けられた。そこまで稀かと、自省する。


「そういうもんだろ」

「したことないじゃん」

「悪かったな、気が利かなくて」

「入れ知恵?」


 そこまでバレるか、と肩が落ちそうになった。俺は普段そこまで粗雑だろうか。雪にはそれなりに意識を向けているはずなのにこのありさまかと思うと、気持ちがめげた。雪は無言であることを肯定と受け取ったのだろう。くつりと喉を鳴らして笑う。


「おかしいかよ」

「ユマさんに振り回されてると思って」


 今度こそ本当に口を噤んだ。振り回されたくない。そう思っているのに、意図せず色々とやらされてしまっている。なんとも膿んだ。


「影響されるんだね」

「俺は別に不感症じゃないぞ」

「マイペース」

「雪に言われたくないんだけど」

「仲良し」

「そんなんじゃねぇって。どうすんの?」

「じゃあ……本のほうだけ」

「なんで?」

「……水着のショッパーバッグ持って歩く?」


 雪はもう、俺にそういうことはできないと決めつけて尋ねていた。苦笑すると、でしょうとばかりに肩を竦められる。書籍の入った袋だけを受け取って、前方へと向き直った。


「ありがとう」

「どーいたしまして」


 礼儀を欠くことはない。それでも、自分たちのやり方で間を省いた行動を取っているのは事実だろう。俺も雪も仕草で補完できると思い込んでいるところがある。

 ユマの言う通りであるかもしれない。気持ちがあるのは間違いないのだから、もう少し行動に移すことがあってもいいだろう。不本意ながら、思うところはあった。

 しかし、だからといって背後からじっとり観察されるのは気色が悪い。あまりに熱烈であるものだから、雪ですら不審さを感じ取って振り返るほどだ。ユマはにこにこ笑っていた。ご機嫌なのは事実だろう。だが、からかい半分であるような気もして顔が引きつる。

 すっかり一同と化した俺たちは、そのままウィンドウショッピングへと赴いた。デートだ、と嘯いていた張本人が邪魔者になっている点は、もうどうしようもない。二人は会話相手として和気藹々としているのだ。下手をすると、こちらが妨害する羽目に陥る。

 そりゃ、俺と雪が出かけることは普遍的なことだ。デートと便宜上の名称があって、意識していたとしても、もうチャンスのない一回限りの大事なものとは違うかもしれない。それでも、どうしてこうなったとユマへの恨み節は生まれるものだ。

 もしかすると、上手く感情を引きずり出されているのかもしれない。食事中や荷物のあれこれも、ここにきて緩々と効果を発揮してきていた。いい雰囲気だっただろ、とまで言うつもりはない。ないが、惜しい気持ちがせり上がる。

 いくら雌雄同体で性別がないと言っても、半分は男だ。嫉妬心がじわじと育まれていた。一方で、雪が楽しそうならそれでいいかという妥協的な感情もあるのだから、難しい。

 雪が好きだと自覚したのは、もうずっと前のことだというのに。今更になって、自分の感情の面倒くささに直面するとは思わなかった。元より、自分の中で雪の優先順位が高いことは分かっている。世話を焼きたい反面、甘えられて困惑することも多い。面倒くささだって自覚はあった。

 だが、ここまで明確に形を持って襲ってくるとは思わない。もしかすると、ユマはそういう部分を刺激しようとしているのだろうか。そんなふうにうがちもした。

 しかし、雪と話すユマは実に長閑な面で企みも何もない。ただただウィンドウショッピング楽しんでいる少女にしか見えなかった。……ワンピースのせいで外目には女子にしか見えないので、騙されるという話でもない。

 こうして見ると、大層お似合いの友人同士に見えるものだ。人目を惹くのはいかんともしがたいけれど。雪がそうであるのは毎度のことなので、もうあまり気にしていない。極端にひどいやつには威嚇めいた視線を向けることもあるが、果たして意図が届き、役に立っているのかは不明だ。自己満足である。

 しばらく、和やかな時間が続いていた。俺はほとんど、執事か何かのように付き従っていただけだ。

 このまま三人の買い物が続くのだろうな、と諦めていた。諦めていたのだけれど、突如としてユマが歩を止めた。釣られて、雪と揃って足を止める。邪魔にならないようにと、端に避ける意識は残っていた。


「どうしたの?」

「悪魔です」

「は……?」


 ユマが唐突なのはいつものことだ。それにしても、素っ頓狂な内容に眉を顰める。

 俺たちは確かに天使という主張を受容していた。ただし、それはなし崩し的でしかない。もちろん、今更拒絶するつもりもない。だが、それは新たな生命体を示唆されたからと言って、即座に対応できるということではなかった。


「お二人とも逃げてください」

「いや、なんだよ、それ」

「悪魔は天使の敵なんですよ」

「敵……?」


 やけに物騒な文言は、余計に事態を複雑にする。こちらはまだ納得もしていないというのに、ユマが俺と雪の腕を持ってぐいぐい引っ張った。俺と雪は顔を見合わせて、困惑を共有する。


「悪魔は何をするの?」

「カップルを別れさせるんですよ。それも天使がくっつけた人たちを、です。お二人が見つかると面倒ですから、早く逃げてください」

「いや、ユマにくっつけられた覚えねぇけど」


 こいつは雪にどの程度のことを話しているのだろうか。

 俺の願いへの協力要請を求めているから、ある程度のことは話しているはずだが、これはもう暴露も同じじゃないかと言いたくなった。それとも、俺はすべてを知っているから、感覚が鋭くなっているだけなのだろうか。


「とにかく、ダメなんですよ。見つかるのは果てしなく問題があります。いいから、二人は逃げられてください」

「ユマさんは?」

「あたしは適当にその辺りを歩き回って、願いを叶える相手を探しているふりをしますから」


 まったく納得はできていない。雪だって、現状の立ち居振る舞いを確認しただけに過ぎないだろう。

 しかし、ユマは俺たちが了承したという判断なのか。何が何でも従わせるという強い意志なのか。俺たちをその場から引き剥がしそうとした。かなりの力で引かれて、移動を余儀なくされる。

 周囲に目を走らせてみるも、悪魔なんてものがどこにいるのかはまったく分からなかった。とはいえ、ユマだって外見で判別は難しいのだから、目視で分からないのもおかしくはないだろうが。


「悪魔ってどんな感じなの?」

「黒いですよ。真っ黒です。腹の底まで焦げ付いています。雪さんの白さが穢されてしまいますよ」

「そんな効果あんのか」

「ありませんけど」


 ジト目を向けても、ユマは悪気のない顔をしていた。こちとら冗談で聞いているわけではないというのに。


「じゃあ、何をするの?」

「ですから、天使がアドバイスをして成立させたカップルを破滅させるんです。それができるのは悪魔だけです。カップル率を平均化するためのお仕事だと言われていますけど、あたしたちにとっては難敵でしかありません。とにかく、お二人に絡まれては困ります」

「私も……?」


 首を傾げる雪の問いはもっともだった。ユマが目をつけているのは俺ということになっている。突然、当事者にされても困るだけだろう。

 ユマもようやくそのことに思い至ったのか。はっと口元を押さえた。腕は放されて楽になったが、いかんせん下手をこきすぎだ。半眼になった俺に、ユマは唇を尖らせて、鳴らない口笛を鳴らそうとした。またそれか。下手くそが。


「とにかく! 雪さんもダメなんですよ。それが佳臣さんのためなんですから、どうぞお逃げください」


 俺も大概、雪への行動力が盲目な自覚はある。だが、雪だって大概俺には甘い。ユマが俺を引き合いに出せば、それなりに納得してしまうのだ。どうするつもりか、とその視線が俺に向けられた。


「……分かったよ。もう出てもいいんだろ?」

「はい。そっちのほうがずっと安心ですので。どうぞ安全な場所ではご自由になされてください。ご帰宅でも構わないと思います」

「だってさ、雪。散歩して帰ろう」


 雪はあっさりと頷く。なすがままになっているが、別に意志が弱いわけじゃない。ある程度、状況に流されたほうがいいこともあると悟っているのだろう。状況を見極める能力は高いようだった。

 何も、悪魔を取り合おうってわけじゃない。けれど、このままユマにガミガミ言われながら歩くよりも、取り合って対処したほうが早い。妥協や面倒くささにかまけた結果論だった。

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