第三話

 雪のオススメを入手してから、俺たちはフードコートに向かう。ちょうどお昼時になってしまっただけに人が多い。

 もう手は繋いでいなかったが、雪との距離は近かった。人混みが苦手な雪が寄り添ってくるのは、いくつになっても変わらない癖だ。行きの電車でも同じようになっていた。いつだって多少は意識するけれど、その動揺を逐一表に出したりはしない。慣れと称して押し込めている部分は、否定できないけれど。

 俺は親子丼、雪はうどんを注文して、席を取った。人は多いといえど、二人分の席は比較的見つけるのが楽だ。料理が完成するまでの時間に、雪がお手洗いに立つ。

 その隙を狙って、ユマが入れ替わるようにやってきた。実際、見計らっていたのだろう。ストーカーをやめろという言葉が効かなかったことは自明だった。辟易もするが、耐性がついてきている。


「今度は何だよ」

「いえ! とてもいい感じだと思います。手を繋ぐとすっかりカップルに見えますよね、お二人とも。お似合いですよ」

「そりゃ、どーも」

「呑気にお礼を言っている場合じゃありませんよ。この際、しっかりカップルになっていただいて、ぎこちないポーズは取っ払いましょう」


 別にポーズじゃない。

 仮に恋人になったとして、スキンシップを取る心の障壁が一夜にして崩れ去るわけじゃないのだ。それは各カップルのペースというものだろう。ユマのカップル感は些かお気楽なものに思えてならなかった。

 失敗続きの天使は、くっついたばかりのカップルを見る機会が不足しているのか。突いたら落ちこぼれじゃないと騒ぎそうなので、胸に秘めておいた。真実を知ったところで、こちらの許容範囲が広がるわけでもない。


「聞いてますか? お食事はチャンスですよ」

「何のだよ」


 食事なんて個人競技もいいところだ。不審を混ぜると、ユマは胸を反らせた。アドバイスひとつひとつがいちいち大仰なのがいかんともしがたい。


「あーんからお弁当ぱくまで、様々あるじゃないですか」

「は? 弁当パクるの? ただの嫌がらせだろ」

「ボケなんですか?」


 真顔も真顔で腹が立つという新たな発見をした。できれば知らずにおきたかったことだ。

 無言の俺に、ユマはボケではないと判断したらしい。思いきり息を吐かれた。世話が焼けるとばかりの態度が気に食わない。


「頬についたご飯粒をひょいって取るやつですよ」

「ああ」


 想像はできたが、納得できたかは微妙だ。振り返ってみれば、俺と雪の間にそういうやり取りはごく自然に発生している。この間も、隼人が呆れていたような気がした。


「それとか、あーんとかやって、交流を深めましょう。雪さんならきっと気にせずやってくださいますよ。遠慮はいりません」

「遠慮してるわけじゃねぇんだよ」


 いざ意志を持ってそういうことをやろうとすれば、自分がぎこちなくなるのは目に見えている。雪への遠慮というよりも、どちらかと言えば、こちらが緊張するだけの話だ。


「それでは、どんどん攻めていきましょう。既にいい感じなんですから、何も心配はいりませんよ。そうして、早くカップルになってください」

「二言目にはそれだな、お前」

「だって、それが最終目標なんですから、当然でしょう」

「だからって、そこまで念を押すことはないだろ。いちいち言われるこっちの身にもなれよ」

「あたしがなぜそんな遠慮をしなくてはならないんですか。くっつけるのがお仕事なんですから、きちんと遂行させていただきます。そのためになら、どんどんアドバイスしますからね」

「アドバイスっつーか……茶化しているようにしか思えないんだよな」

「誰が茶化したりするものですか。恋とは素晴らしいものです。あたしは全力で、佳臣さんと雪さんの恋を応援しています」


 何の衒いもない。直截な言葉が、どうにも落ち着かなかった。こういうところを見ると、ユマが純情な天使であることを今更ながらに思い出す。

 いや、別に天使でなくても言えるだろうが。だが、途端に天使めいていると思うのだから、印象ってのはやっぱりあるのだろう。ユマの言葉を借りるのならば、パブリックイメージと合致している。


「ですから、早くカップルになってください」

「それがなきゃな」

「なんでですか! 同じことじゃないですか。着地点は同じですよ」

「だからって、毎度言われると鬱陶しい」

「急かさないと進展しそうにないんですもん」


 実に的を射た発言に、苦笑が零れ落ちた。俺たちに進展がないのは、まったくもって事実だ。

 ユマは、それ見たことかとばかりの顔をしている。このポンコツに見透かされていると思うと、腹の中がモヤモヤした。


「ですからですね!!」

「ユマさん?」


 再び、ユマの暑苦しい論説が始まろうかというころ。お手洗いから雪が戻ってきた。雪が腰掛けていた場所に居座っていたユマが立ち上がって、席を譲る。

 戸惑いながら雪が座り直したところで、料理の完成を知らせる機械が鳴り響いた。二つはほとんど同時だ。雪が再び立ち上がろうとしたのを先んじて立ち上がる。


「いいよ。俺がどっちももらってくるから」

「え、あ、うん。ありがとう」


 雪はまだユマの登場が消化しきれていないみたいだ。焦ったような返答を聞きながら、俺はテーブルから離れる。ユマが別のところから椅子を拝借してきて、そばに腰を下ろしているのが視界の端で確認できた。

 同席するつもりかよ、と顔が引きつりそうになる。だが、あのまま説明もなしに離席してしまえば、雪にも疑念が残るだろう。事態をややこしくしないためには、離脱されないほうがいいような気もした。どっちにしても、俺にとっては面倒事ではあるけれど。

 ため息を零しながら、おぼんを二つ受け取ってテーブルへと戻る。ユマと雪はすっかり復調したのか。普通に会話をしていた。マイペースとマイペースは、まったくもってマイペースなことだ。

 テーブルにおぼんを並べて、雪のほうへうどんを滑らせる。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 自然に食事を開始する俺たちの様子を、ユマが黙って見つめていた。この視線の圧力は、きっと俺に先ほどのあれやこれやを実行しろというものだろう。分かりやすいにもほどがある。意志を伝えるのが上手いのは見事なことだろうが、この場面に限っていえば不快なだけだ。

 俺はスルーしたまま、てきぱきと箸を動かす。相手をしたら負けだ。勝負事ではないかもしれないが、隙を見せたら突き入るどころか破壊して割り込んでくることが確定している。


「佳臣さん」


 どうやら、隙がなくても作り上げようという魂胆らしい。次に何がくるのか予測はできなかったが、どうせろくなことは言わないに決まっている。そう予見ができるからこそ、俺は口にものを頬張ることで沈黙を保った。


「雪さん、雪さん。おうどん美味しいですか?」


 他愛なく標的を変えられて、警鐘が鳴る。雪は滔々と相手をしていた。


「美味しいよ。ユマさん、お昼は?」

「あたしは大丈夫ですよ!」

「……いる?」

「いえいえ! 本当に大丈夫ですから。あたしより、佳臣さんのほうが食べたいって顔をしてます」


 貫こうとした無言を盾に取られる。半端にものを詰め込んだせいで、でっち上げに反論する口内の余裕がない。もごもごとくぐもった音になった。

 その間に、行動力の化身は行動に移っているものだ。うどんを箸で持ち上げた雪が、ことんと首を傾げた。


「食べる?」

「いーよ」


 俺が食べたそうかどうかなんて、ユマを通さなくても雪のほうが察知できるだろうに。こんなときに限って、そういった勘はどうにも鈍るようだった。

 瞳が、いらないのか? と探るような目つきをしている。それは半分、あげるのに。という純粋な厚意の塊だ。


「……分かったよ」


 こういうとき、妥協するのはあげるほうじゃないだろうか。なぜ、もらう側が譲歩しなくてはならないのか。立場があべこべだ。

 間抜けなポーズであることは承知で、口を開けて顔を寄せる。ひな鳥とはこういう気持ちなのか。あちらは生きるのに必死であろうから、比べるのはおこがましいだろうが。

 雪は器用にうどんを口に入れてくれた。吸って飲み下す。こしのある麺は美味しくて、だしがよく沁みていた。美味い。


「どうですか、佳臣さん」


 この茶化す存在がいなければ、俺ももうちょっと感じ入ることができたのかもしれない。もしかすると、逆に慣れすぎていて何も感じなかった線もあるが。


「美味いよ」

「では、ここは交換といきましょう。ほら、雪さんに親子丼を差し上げてください」


 さささと手のひらで促される。

 どうしてお前が主導権を握っているんだ。文句のひとつでもふたつでもつけてやりたいが、雪もこちらを見ている。泰然とした顔は、ただ流れに乗っているだけな気がした。具体的に食欲があってのことではないようだ。

 けれど、こうして見つめられてしまうとこっちは弱い。ついてきたスプーンに親子丼を掬う。雪よりもユマからの期待の眼差しが強くて、どうしてこうなるのかと頭を悩ませた。


「ほら」


 こんなに渋々なあーんは果たして成立しているのか。まったく、ときめきがない。テンション上がっているのは、ユマだけであるような気がした。

 気がしていたのだけど、雪がぱくりとスプーンに口をつける瞬間には、どくりと心音が跳ねる。間接キスだ、なんて今更な感想に襲われた。自分の番で平然としていたことが、信じられない。そして、何よりうっかりときめいているチョロさにも愕然とした。

 これでは、ユマの思い通りではないだろうか。


「美味しい」


 零した雪が、ぺろりと唇を舐める。あどけない仕草が、心を撫で上げた。思わず額を覆った俺に、ユマがニヤつく気配がある。


「どうしたの? 佳臣」

「なんでもない」


 不思議が解決したわけじゃないんだろう。けれど、雪は無駄なことにこだわりを持たないさっぱりした性格だ。飄々と食事を再開させる。

 それこそ、間接キスなんて考えは微塵もないような態度だ。翻弄されてばかりなのは、あながちいつも通りだけれど、それにしたってしてやられた感が否めないのはなぜなのか。思わず、元凶を睨みつけてしまう。


「よかったですね、佳臣さん」


 口をぱくぱくと動かして、ほとんど音のしない状況下で告げられた台詞に眉を顰めた。満更、その指摘を全力で拒否できないことが鬱陶しい。

 ただ、それでユマの気は済んだようだ。そこからは、更なる提案を寄越すようなこともなく、大人しくそばに座っていた。用がないなら離脱しろよ、と思ったのだが、こうして見ておくのが用なのだろう。そう気がついてしまったことにげんなりする。

 雪はさほど気にもとめていないのか。淡々と食事を摂っていた。俺が離席している間にどんな説明がなされたのか。気になるところだ。わざわざ掘ろうという気にはならないけれど。

 雪とユマが雑談をぽつりぽつりと交わすのを耳に留めながら、こちらも食事を勧めていく。じきに食べ終わり、そろそろ行こうと席を立ち上がった。おぼんを片付けて、フードコートを出る。

 後ろをついてきていたユマに唐突に腕を引かれて、危うく転びそうになった。

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