第二話

 隣家だ。待ち合わせも何もあったもんじゃない。

 俺たちは休日。時間になると互いの家を出発して、すぐに合流した。慣れたものだ。特にハプニングもなく交通機関を乗り継いで移動する。途中、雪がいくらか人混みに飲まれそうになるのを助けたが、それも常軌を逸してはいなかった。

 いくら心情がいつもと違うといっても、日常はそう安易に変貌したりしない。それを道中に悟り、俺も変に意識したりしないようにした。

 せっかくの買い物だ。気を取られるのは馬鹿らしい。それも、ユマに手綱を握られてのことだ。どうにもモヤモヤする。

 ユマは昨晩シャットアウトしてから、再び姿を現すことはなかった。気にならないわけでもなかったが、神出鬼没なのはいつものことだ。それに、今は雪のほうが優先度が高い。デート中に他の者を気にするような発言が不用意だという考えくらい俺にもあった。頭の中にがっつり存在感を残しているだけで、ちょっと後ろ暗い。

 休日のショッピングモールは賑やかだ。俺たちはとにかく、目的地である水着売り場に向かった。本格的なシーズンまではまだ少し早いけれど、ファッション業界は先取りが基本だ。お目当ての店舗はすぐに見つかった。

 雪の視線が泳いでいるのは目移りしているのであって、例の件を提案しようとしているわけではないと思いたい。

 ……思い込んだところで現実が変化するわけではないので、


「じゃあ、俺見てくるから。雪もゆっくり見ろよ」


 と、先手を打って逃げ出した。

 追いかけてくる視線が物言いたげなことには気がついていたが、鬼の心で無視をする。ユマとは訳が違った。雪の口から直接お願いされてしまったら、俺は拒否できる気がしない。自分の弱点くらい把握している。

 逃げるように男ものの売り場に到達した。しかし、さほど見て回るようなこともない。女性ものと違って、男ものはある程度偏りがあるものだ。丈感と柄の好みがほとんどで、後は大体一緒だった。

 俺は無難にモスグリーンのサーフパンツを選ぶ。こだわりがないのは、私服からして一緒だ。写真を撮るときの色味やコントラストには興味がある。けれど、ファッションのカラーコーディネートとなると話は別だった。俺は地味な色合いばかりで誤魔化している。

 雪はどうだろうか。派手なものを好まないのは同じかもしれない。けれど、オシャレでないとも言い切れなかった。雪は元の素材がいいし、俺には贔屓目がある。個人的にはオシャレだと思っているが、世間とのズレがどれくらいあるのかは分からなかった。

 大体にして、イケメンならシャツ一枚だってオシャレということになる世の中なので、それに準じれば雪だって同等だ。オシャレな美人さんである。

 その雪が、まだ商品を選んでいるのを確認して、俺は店舗外のベンチに腰を下ろしていた。声をかけに行くつもりはない。そんなことをすれば、何のために逃げ出したのか分からなくなってしまう。

 水着を選ぶなんて行為はハードルが高い。見せるものであるし、体感が違うのは分かる。俺自身、区別はついていた。

 けれど、その好みは果てしなく下着と近い気がしてならない。清楚なものを選んでしまいそうになる自分がいる。そして、雪はそれが俺の性癖だと知っているのだ。こんなに気まずいことがあってたまるだろうか。

 この後しばらく、そしてダブルデート当日もギクシャクしてしまいそうなのが目に見えている。この場合のギクシャクは俺が、だ。

 雪はこういうことで動じない。というよりも、そこまで身につまされていないのだろう。こちらの苦労を少しは感じて欲しいところだ。だが、それが雪のいいところでもあると思っているから始末に負えない。何にせよ、俺は雪には敵わないのだ。

 指をくるくると回して指遊びをしながら、雪を待つ。これくらいの待ち時間は屁でもなかった。雪になら待たされるのも吝かではない。

 そのとき、視界に影が落ちた。終わったのか。それともまさか俺を呼びに来たのか。そろそろと顔を上げると、そこにいたのは雪ではなくて拍子抜けした。


「あ、今あからさまにがっかりしましたね。まったく失礼な態度ですよ。まぁ、しかし、雪さんのことを待ちわびているほどなのはよしとしましょう。でも、もっと大きな失点がありますよ」


 腰に手を当てて仁王立ちしたユマが、べらべらと捲し立てる。

 失点が何を示しているのかは明らかで、俺はまたぞろ頭痛がしてきた。アドバイスもアシストもいいが、妙な執着を持つのはやめて欲しい。大体、何を当然みたいな顔をして立ちはだかっているのか。


「なんで雪さんを一人にしちゃうんですか。せっかくのデートなんですから、そこはせめて一緒に行動すべきでしょう。なんて経験値のないことをしでかしているんですか」


 水着を選ぶことに視点を置いていない意見には、ぐうの音も出なかった。

 これでは、あまりに素っ気ない。デートでの別行動がまずいのはよく考えれば分かることだ。雪にデートの認識があるのかは定かではないが、味気はないだろう。

 つい、いつも書店で別れるのと同じようなニュアンスでいた。もしくは、特殊イベントを回避したい気持ちが強すぎたのだ。自分が気まずくならないことに注意しすぎて、雪の気持ちが疎かになっていた。

 大袈裟かもしれない。それでも、周囲から言われると落ち度として迫ってくる。


「ほら、立ち上がってください」


 ユマのタイミングは見計らったようにバッチリだった。促されるように立ち上がってしまったくのは不覚だ。でも、雪を放っておけない気持ちになっていた。


「どうぞ雪さんの元へ行かれてください。また何かありましたらあたしがアドバイスしてさしあげますので、存分にデートを楽しんでくださいね。見守っていますから」

「ストーカーはやめろ」


 ほだされるつもりはない。今現れたのだって、千里眼で見ていたからに違いないから、そこを許容してやるつもりはなかった。勝手に覗かれているのは、いくら相手が天使だろと気味が悪い。言い捨てた俺に、ユマは何やら文句を並べ立てていたが、それこそ無視して雪の元へ向かった。

 促したのはユマだ。文句はあるまい。

 雪はすぐに見つかった。向こうも同じように俺を見つけたようで、雪のほうからパタパタと駆け寄ってくる。手に紙袋を手にしていることにほっとしつつ、どこかで無念にも思ってしまっていた。自分の浅はかさが虚しい。


「いいの見つかったか?」

「楽しみにしてて」


 耳が熱を持ったような気がした。

 雪の言葉は時々意味深になる。そばにいた店員さんからほの暖かい目を向けられて、余計に気恥ずかしかった。水着を選ぶイベントを回避したところで、すべての特殊状況下から逃れられるわけではないらしい。

 雪は他意なくこちらの返事を待っている。俺はひどく曖昧な相槌を打ってから、


「行くぞ」


 と雪の手を取った。こっちのほうがだいぶ恥ずかしいと気がついたのは、やってしまった後だ。このときの俺には、即刻その場を離れたいという思考しかなかった。

 雪の手首を掴んで、モールの中を突き進む。日頃からそばにいるから、どんなに気が急いていても歩調で無理をさせることはない。次の目的地は本屋にしようと、行きしなに決めていた。俺がそちらに向かっていることは明白なのだろう。雪は何も言わずに俺に連れられていた。

 店舗内では流れ上、目立っていたかもしれない。だが、モールに出てしまえば手繋ぎくらいすぐに埋没する。離すタイミングを完全に見失ったまま、俺たちは本屋に到着した。


「佳臣は写真集とか機材でしょ?」


 用がある場所が違うのはいつものことで、雪のほうは文芸コーナーだ。それぞれ別れるのが通例だが、先ほどのユマの台詞が効いていた。


「今日はいいよ」

「文芸見るの?」

「オススメ教えて」


 日常的に読まないというだけで、苦手ってわけじゃない。雪にオススメを紹介してもらうこともあった。今日もまた、そのときがやってきただけだと思ったらしい雪は、分かったと軽く頷く。

 反応は薄いように思えるが、心なしか足取りが軽い。いつの間にか、手を引かれているのは俺になっていた。

 雪の紹介は簡潔だ。俺の好みを把握していることもあるし、元の性格もあるのだろう。押しつけたところでその気にならないと分かっているらしい。力加減が絶妙だった。

 このバランス力に慣れていると、ユマのやり方は極めて不合理に思える。手間でもあるし、鬱陶しさが勝っていた。芯から無益とまでは行かないが、圧が強すぎるのだ。

 後はやっぱり、あのテンションと何の裏付けもない自信だろう。あれは勘弁して欲しい。恋のキューピッドを実行する相手は俺でなくてはならないのか。いい加減、その辺りを詰めたほうがいいのかもしれない。

 あまりにもなし崩しだし、ユマにだっていいことはない。カップルを成立させるという目標のために俺たちに構うのは時間の無駄だ。思えば、何度も伝えようとしてきたが、とことんまで遮られ続けていた。

 どうすればそこまで落ち着きなくいられるのか。おかげで落ちこぼれているのではないか、と要らぬ解析をしてしまいそうだった。

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