第三章

第一話

「というわけで、デートに行きましょう」

「何が、というわけなのか分からん」


 雪の部屋のベランダで、我が物顔でふんぞり返るユマに目を向ける。ユマはわざとらしくしかつめらしい顔を作った。


「大事なのはデートに行くという部分ですよ。理由なんて何でも構いません」

「身も蓋もないことを言うなよ! どうして急に言い始めたんだって聞いてんの。っていうか、ダブルデートするんだろうが」


 捻じ込まれたそれは、本格的に日程が組まれた。デートの話はとっくに終わったはずだ。というわけで、がどこに繋がっているのかさっぱり分からない。

 ユマはやれやれとばかりにかぶりを振る。こちらを見下したような態度が癪に障った。天使のくせに図々しい。これは差別だろうか。


「プールですよ、プール!」


 ダブルデートの目的地を高らかに明言されたところで、ピンと来ない。怪訝だらけの俺に、ユマはますますしょうがないという顔つきになった。やはり釈然としない。


「水着が必要じゃありませんか」

「そうだな」

「だーかーら! それを雪さんと一緒に買いに行くんですよ。プールは来週ですから、今週のお休みに二人でお出かけです! いい案でしょう?」


 落ちこぼれだったはずだ。よくもまぁ、ここまで自信満々に言えるものだと感心する。

 しかし、実際のところ提案そのものに過失があるようには思えなかった。だが、問題もある。


「そうはいっても結局バラバラになるだけだろ。大体、お前の茶々のせいで微妙に様子見られてんだからな、こっちは」

「それを取り戻すためのデートじゃありませんか。そして、場所ならショッピングモールで万事解決です! 何の問題もありません。リサーチはあたしがバッチリしておきますから」

「それ意味あんの?」


 ユマがしてどうするのか。そして、自分たちのデートと呼称するお出かけのプランを他人に丸投げする男はどうなのか。多面的な問いだったが、ユマは迷わず胸を叩いた。平たいな、と失礼な感想を抱く。


「お任せください。きっと役立つ情報をキャッチして参りますから」

「期待しないで待っとく」

「はい!」


 俺の言葉は、言葉通りの意味だった。遠慮や謙虚さなどは欠片もなく、そこまでの信頼をおいてもいない冷たいものだ。

 けれど、ユマはこの世で一番大事なことであるかのように頷いたのだった。




 それから、ユマの姿を見る回数は減っている。夜もどこか宿なり何なりを見つけたのか。お邪魔しに来ることもない。おかげで、俺と雪は以前と変わりない生活を送っていた。

 ベランダ柵ドン事件についての誤解は解けている。それを言うなら雪だって、昼間にユマに迫られていたはずだ。そんな恥ずかしい独占欲を吐き出して言い募った。それが功を奏したのか。雪は緩やかに納得してくれたのだ。

 そして、また繋ぐ? と手を差し出されてしまったのには、頭を悩ませてしまった。そのうえ、甘い誘惑に負けて、少しの間手を繋いでもらった始末だ。あれは慰められているとか。宥められているとか。小さな弟になった気分だった。

 そんなふうに、事件は解決している。しかし、だからといって、すべてを納得しているのかは分からない。俺とユマの会話を聞くときの雪は、少しだけ肩が緊張しているような気もしていた。

 ただ、お出かけに誘うことには成功している。だが、買い物くらいは今更デートになるのか怪しいくらい普通のことだ。特殊なイベントでもないし、それを許されたからといって安心はできない。雪は休日に対して思うところがないように見えた。

 こちらは多少なりとも意識が向かっている。仕方がないだろう。いくら現象はいつも通りと言っても、心持ちが違う。正式には、そういうふうにユマに焚きつけられてしまっていた。休日に向かうにつれて、日に日に緊張感は増していく。

 肝心のユマからの情報がないことにも、多少肩透かしと焦燥を覚えた。とはいえ、初めから全任せにしたつもりはない。

 俺はいつもは写真の保存や加工にしか使わないパソコンを取り出して、ショッピングモールについて下調べをした。こうしていると、やけに気合いが入っているようで余計に落ち着かない。

 行ったことのない場所ではないんだぞ、という内なる声には苦笑する。それでも下調べを入念に終え、ユマの当てが外れてもいいようにしておいた。気が乗ったというほうが正確かもしれない。

 そして、期待も消えかけた前日の夜。ユマはふらっとベランダに現れた。


「その登場やめろ」


 光源となりながら、ふわふわとベランダに着地する。いかにも天使っぽい登場だが、悪目立ちしかしない。誰かに見られたらどうするつもりなのだろうか。頭のおかしいやつか。未確認生物か。何にしても病院に連れて行かれそうだ。


「天使のパブリックイメージは大切じゃありませんか」

「守れているとは思えないけど」

「あたしほど完璧な子はそういませんよ」


 それは嘘だろう。じゃなきゃ認識がズレている。そもそも天使のパブリックイメージなんて知ったことではない。純情可憐とかか? 登場の仕方とはまったく因果関係がなさそうだ。


「そんな頼りになる天使からの情報ですよ」


 自分で言うことの胡散臭さは、天使からかけ離れていると言ってもいい。


「明日のショッピングモールでは、バンドのライブがあります」

「行かないぞ」

「なぜですか! イベントごとはチェックしておきましょうよ」

「雪はそういう人混みは好きじゃないし、音が大きいのも得意じゃない」

「な、なるほど。さすが佳臣さんです。雪さんのことをよく分かっていらっしゃる」


 ぐぬぬと歯噛みするユマに不安が募る。まさかとは思うが、収集してきた情報はそれだけではあるまいな。


「お店は決められたのですか」

「まぁスポーツ用品店もあるし」

「女性用水着はちゃんと選ぶべきですからね!」

「選ぶのは雪だろ」


 告げた途端、ユマがこの世の終わりかのような顔をした。やっぱり天使の印象はちっとも守られていないと思う。


「佳臣さんが選ぶに決まっているじゃありませんか。でなければ、どうして二人でいかれるんですか」

「デートだからだろ」


 口にするのは僅かに照れくさいが、そういうことになっている。雪はそういうつもりでないかもしれないが、俺とユマの中ではそうだ。


「そうですよ! デートです。女性のファッションを選ぶシーンくらい佳臣さんだって見たことがおありでしょう!? それを実行するときがきたんですよ」

「あの高難度イベントか」

「そうです、そうです。佳臣さんの好みの雪さんにできるチャンスですよ」


 それはやけに甘言じみた響きを持っていて、思わずフリーズしてしまった。妄想に駆け出そうとする脳内を決死の力でストップさせる。水着への好みの反映は、何やら非常にまずい気がした。


「ほらほら。思い描くものがおありでしょう、佳臣さん。健全な男子高校生なんですから、欲求に素直になりましょうよ」

「やかましい!!」

「ビキニだってパレオだってハイレグだってえっちぃ水着だって、お願いしてみる価値はありますよ」

「ねぇよ!」


 具体的な水着名を上げられて、ストップさせた脳が制御をぶっちぎりそうになる。頭が痛い。


「雪さんはお優しいですし、佳臣さんの好みを気にしてらっしゃいましたよ」

「はぁ!?」


 脳が暴走しようとするのを堪えようという感情が大声になって発散される。


「雪さん、雑誌を見ながら悩んでましたよ。ですから、お聞きしたんです。そしたら、佳臣さんの好みが分かるかと聞かれてしまいました」

「……それで?」

「選んでもらえばよろしいのでは? とご提案致しました」


 仕事をしたという疑いのない清々しい宣言に頭を抱えた。つまり、こちらが我慢したところで、周到に手回しをしているというわけだ。要らぬところでの手際のよさには文句でも言ってやりたくなる。

 だが、ユマの自信を突き崩せる気はちっともしなかった。相手に届かない文句ほど虚しいものはない。俺は黙って頭を抱え続けた。


「妄想がお忙しくなってきましたか?」


 無邪気で下品な問いに手が出たのは反射だ。ばしんと頭を引っ叩かれたユマは大袈裟に


「痛い!」


 と騒いだ。


「何するんですか。暴力反対です。よくありませんよ。勢いで手が出るなんて最低です。雪さんにDVなんて許されませんからね」

「するわけないだろ」

「分からないじゃないですか。あたしをぽかすか殴るのと同じですよ。人は人です」

「お前と雪は違うよ?」


 我ながら心の底から哀れんだ声が出てしまって、失礼すぎた。そりゃ、ユマだって憤慨するだろう。


「天使差別です」

「してねぇよ!」


 割と大胆な差別カテゴリを持ってこられてしまって、うっかり突っ込んでしまった。

 嫌なつい、が癖付きそうだ。確かに気をつけたほうがいいかもしれない。雪に手を出すなんて洒落にならない。別の意味なら大歓迎だが、と考える脳内を引っ叩いた。悪影響が出始めているような気がしてならない。


「いいでしょう。百歩譲ってあたしと雪さんが別なのは認めましょう」


 不遜なことだ。言わない良心があるだけで天と地ほどの差があって、雪のほうが高位の存在だからな。


「でも、雪さんだってあたしの案を飲んだんですからね! その差は人間と天使というものでしかありませんよ」

「飲んだ……?」

「そうするとおっしゃっていました」

「お前、本当に何してくれてんの!?」


 雪も大概だが、知識を授けてくれやがったのはこいつだ。雪は有言実行するだろう。行動力が抜群なことは身を持って知っている。


「アシストじゃありませんか」


 俺の混迷を歯牙にもかけない愉快な声だ。


「余計なお世話だ。勝手にするからな、俺は」

「どうぞ、ご勝手に想像力の翼を広げてください」

「やかましい!」


 これ以上は無駄だと諦めて扉を閉める。カーテンを引いて、完全にシャットアウトしてやった。

 ユマの行方は知らない。

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