第二話

 こいつは本当に、帰りのホームルームをきちんと出てきたのだろうか。そう思うほどに、隼人は俺たちのクラスが放課すると同時にやってきた。俺と雪の間へ割って入ってきて、両方の肩に腕を回す。逃がさないための方策は鬱陶しい。


「行かない」


 隼人はまだ何も言っちゃいない。しかし、雪は即断して腕を抜け出していた。どうやら、捕まえている腕力に差があったようだ。こちらはなかなか抜け出せない。


「離せよ」

「天根がいれば雪ちゃんも気が変わってくれるかもしれない」

「雪の気も何も俺だって気はない」

「強制連行だ」

「ふざけるなよ」


 隼人はずるずると俺をそのまま下駄箱へと引きずっていく。鬱陶しくはあったが、どっちにしろ下校するには向かう方向だ。俺はさして抵抗もなく引きずられていった。雪がとことこと後ろをついてきている。


「巨乳ちゃんもいるぞ。可愛い女の子だ。天根だって興味が湧くような子だよ」


 ねぇよ、と突き放してやりたい。俺の好みは雪固定だ。他に気を取られるようなことはない。それを公言しない代わりに、半眼で睨みつけてやった。

 隼人は一応、俺が文句を抱えていることは察してくれたようだ。


「用はないんだろ?」

「……あるよ」

「その間は嘘くさい」

「嘘じゃないよ」


 後ろからの助太刀に、隼人の歩が止まった。そのタイミングで力が緩んだ隙に、つるりと腕を抜け出す。慌てたような手のひらが追ってきたが、すぐに雪の後ろへ陣取った。


「天根、女子を盾にするのはどうかと思う」

「相手が強くでられない手段を講じるのは妥当だ」


 チャラい隼人にはレディーファーストの精神が宿っている。チャラさとレディーファーストに結びつきがあるのかは知ったことではないが、隼人が女子に弱いことは間違いなかった。


「で? 何の用だって?」

「秘密」

「デートか!?」

「違う」

「今日は早く帰らないといけないんだよ」

「家の用事?」

「そんなもん」

「だったら、雪ちゃんはいいよな?」

「私も一緒」

「家族ぐるみの付き合いなんだっけ?」

「そう。だから無理。ごめんね」


 謝罪つきの断りに、隼人もついに折れたようだ。唇を尖らせて拗ねることは忘れなかったが、食い下がるのはやめてくれた。

 ほっと胸を撫で下ろす。帰らなければならないのは、方便ではなかった。ユマの件だ。今朝、客間を見たときには、ユマの姿はとうになかった。いつの間にどこに消えたのか。やはり、天使なんてものはまがい物だったのか。何にしても、経過観察をするしかない。

 俺と雪は、登校時に放課後にまた確認をしようと約束してあった。ユマに煩わされているのは不本意極まりないが、雪との約束だ。破る気なんぞ更々ない。それでなくとも、合コンには行かないが。

 隼人は連行するのを諦めてくれたが、共に下校するつもりではあるらしい。帰路の同行を拒否するほど人でなしではないし、邪険にしたい相手でもなかった。俺たちは三人並んで下校する。

 雪を間に挟んで、隼人の話題に相槌を打った。穏やかなやり取りは心地悪くない。雪との時間がすべてというほど、俺は狭量ではなかった。隼人に対して、雪がちっともなびかないから安心しているだけかもしれない。ユマのことがなければ、もっと安心していられただろうけど。

 そんなことを考えていたのがよくなかったのかもしれない。こういうときに限って、引き寄せてしまうものだ。


「佳臣さん! 雪さん!」


 後ろからかけられた潑剌とした大声に身を竦めた。雪が振り返るのを見届けて、諦観してたどたどしく首を回す。油切れした機械人形でも、まだ滑らかだろう鈍さだった。

 振り返った俺たちを待っていたのは、昨日から変化のないユマだ。地面に足をつけているだけいくらかマシだった。


「お迎えに参りましたよ!」

「お迎え?」

「今日はお二人にプランを提案させていただきたいのです」

「何の?」

「佳臣さんの願いを叶えるためのものですよ。雪さんはご協力してくださいますよね?」

「そんな話をいつした?」

「佳臣さんの願いが叶うのはいいっておっしゃっておられたではありませんか。でしたら、ご助力を求めて問題ないでしょう? やれることはすべてやっておくのがあたしのポリシーですので」

「私が役に立つの?」

「もちろんですよ。とても心強い協力者様です!」


 晴れ晴れとした笑顔を浮かべたユマが、雪の手を握りこんでいる。熱烈なアプローチだ。雪も当惑はしているようだが、手を引き剥がすことはしなかった。もしも気持ちがなければすげなく剥がしているだろうから、割合好意的なのかもしれない。

 俺のことに活動的なのは嬉しいが、手放しに喜べそうにもなかった。何しろ、ユマの手は半ば禁じ手だ。叶えたい願いの相手役を引き込んでしまおうなんて、どういうつもりか。プランとやらに、胸騒ぎしかしなかった。

 いつまでも絡んでいるユマに、そろそろ雪を救い出すかと思った矢先。腕を強く引かれて仰天した。

 ぎょっとしてそちらを見ると、ユマを凝視している隼人がいた。力加減が馬鹿になっている。そのギラついた瞳の熱量に胸がざわめいた。ほんのりと頬が上気しているような気がするのは、気のせいだと信じたい。


「佳臣」


 のぼせ上がった声音で俺を呼ぶのはやめて欲しい。隼人がそう呼びたいのは俺ではないだろう。この外れて欲しい勘は、恐らく外れてはくれないはずだ。


「あの子、誰?」

「ユマ」

「外国人か? 知り合いか? 友達? 雪ちゃんとも仲がいいのか? どんな子だ?」


 腕を掴んだまま詰め寄ってくる金髪が煌々としていて、上半身が仰け反る。二人揃って金髪に詰め寄られるなんて、どんなシンクロか。

 隼人は次から次へと質問を投げかけてくる。淀みなさすぎて、口を挟む暇もない。話を聞く気がないのか。大興奮していることだけは分かった。分かりたくもないが。


「ストップ。分かったから落ち着け。俺に聞くな」

「じゃあ、誰に聞けってんだよ!」

「本人に聞けよ!」


 至極真っ当なことに気づけないほど、虜になっているらしい。隼人は目を丸くした。本気で周囲が見えなくなっているようだ。

 人がそんなふうに一目惚れする瞬間を、初めて目撃してしまった。もっと微笑ましい相手であれば、俺も喜んで応援できたのかもしれない。残念ながら、厄介ごとになる気配しかなかった。


「……話しかけていいのか」

「何だよ。ナンパは得意じゃなかったか?」

「あんな美少女は高嶺の花なんだよ!」

「お前、今までの女子に対してめちゃくちゃ失礼だぞ!?」

「うるせぇ。俺にだって分別はある」


 何にしたって正当化できるものではない。まぁ、万人への声のかけやすさを平等と言うのは難しかろうから、責めることもできないが。しゃあしゃあと口にすべきものではない。

 そして、言うほどのものか。今なお雪の手を握って、熱心に口説いているユマの様子を視界に留めた。

 ……いかんせん、天使であるという情報がすべての眼鏡に色を入れてしまう。美少女に見えるとして、人間ではないというがった見方が勝った。もちろん、初見でも厳かな存在だと感銘は受けている。だが、今やもう、その視点はない。

 そして、どれほど言われても、隣で手を握られて困惑している少女の儚さに引き寄せられてしまう。俺はもう、女性の容姿に対して正当な判断はできない。まぁ、こういうのは好みであろうから、誰も公平ではないだろうが。


「ユマ、そのくらいにしろよ」


 見ている限り、雪から離れる気配がない。外見には女子二人が仲睦まじく手を握り合っているだけだ。しかし、一方は雌雄同体。ベタベタと触られるのを見過ごせるほど、俺は聞き分けがよくなかった。

 ユマはその辺りのことに執着はないらしい。聞き分けよく手放した。こうすんなりといくと、自分の器の小ささが嫌になりそうだ。


「はい。協力を取り付けることもできましたから、バッチリOKです!」

「手が早い」

「そんないかがわしい言い方はやめてくださいよ。優秀であると褒めてくださっていいんですから。あたしの実力です」


 ふんすと胸を張って自慢する。そこまで主張されると逆に怪しく、ポンコツなのではと言う不安が立ちこめた。


「とにかく、そういうわけですから、佳臣さんには早速プランを実行していただきますよ」

「聞いてないんだが。というか、了承した覚えもない」

「またまた。そんなつれないことを言って! ここは素直にあたしの案に乗っておきましょうよ。悪いようにはしませんから」


 どう聞いても悪徳な勧誘にしか聞こえない。昨日もそうだったが、言葉のチョイスがとにかく胡散臭かった。


「ひとつも安心できる要素がない」


 それどころか、凶報にしか聞こえてこない。


「なぜですか! 昨晩だってよい思いをされておいでではありませんか」

「してねぇよ!」


 駁した声が路上に反響した。それのなんと説得力のないことか。ないくせに、力強さだけは図抜けていて、雪の顔がこわばる。

 いや、悪かったわけではない。心の反駁は早かったが、いい思いと認めていいのか、という突っ込みも早かった。それはそれで、スケベ心があけすけすぎていただけない。そして、こういうときに限って、雪には葛藤など通じないものだ。

 目の前でニヤついているユマのほうが、よっぽど俺の売り言葉に買い言葉を理解してるだろう。苛立たしい。まったく手助けになっていないどころか、悪影響しかなかった。いや、失言をしてしまったのは俺の落ち度でしかないけれど。


「雪……」

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