第二章
第一話
「
昼休み。俺の机に寄ってきた
「夜更かしするような面白いことでもあったか?」
「残念ながら頭を悩ませることがあっただけだ」
「青春してんじゃん」
「何でもそう言えばいいってわけじゃないぞ」
青臭い純情に振り回されている。図らずも遠くもなく、苦虫を噛み潰す。昨晩のことが頭のど真ん中に鎮座して、他のすべてを邪魔していた。
「平気?」
いつの間にか隣に来ていた雪が首を傾ぐ。ちゃっかり机を拝借してくっつけ、弁当を取り出していた。
お前が言うなよ、という文句は飲み下す。少なくとも隼人の前で開示したい情報ではなかった。
「平気だよ」
「雪ちゃんは天根の悩み知ってんの?」
隼人も椅子に腰を下ろして、昼食の姿勢になる。ごく自然に集まるようになって、半年以上が経っていた。俺も自分の弁当を取り出して広げる。
「知らない」
「クールだなぁ、もう」
雪は平常運転なだけで、クールでもなんでもない。そして、知らないなんて嘘っぱちだが、隼人が気づくことはなかった。いや、多分雪にしてみれば本気なのだろう。雪も雪で、俺が何に悩んでいるのかは知らないはずだ。
「それにしたって、そんなになるまで悩むことって何よ? マジで深刻な話?」
口調こそ軽い。金髪ピアスの隼人は、見た目に違わずチャラいところがある。しかし、こちらに気を回してくれているのは本心だろう。存外、情に厚いところがあった。
「そこまでのことじゃない」
「じゃ、何? 恋とか?」
「なんでそうなる」
「夜中に悶々とすることと言ったらそれだろ」
「大内と一緒にするな」
人情があるが、それが誠実であるかは別問題だ。隼人はチャラいことにかけて、まま定評がある。夜遊び……たった今口にした悶々とした夜遊びに励んでいると聞いていた。実情を把握しているわけではないが、女性の知り合いが多いことは事実だ。
「即答すぎて怪しい。何かあったんじゃないのか?」
「何もない」
「え~」
ごちゃごちゃと食い下がってくる声をBGMに手を合わせて、昼食を開始した。
本当に何もない。ただ、やはり同衾はレベルが高かったという話だ。
なかなか寝付くことはできなかった。寝落ちたところで二十分かそこらで眠りが浅くなって目覚める。そんなことを繰り返していた。もちろん、それくらいは折り込み済みだったが、寝返りという自然な行為には考えが及んでいなかった。
俺も雪も寝相は悪くないほうだが、身じろぎひとつしないわけがない。何度目かの目覚めだったか。気がつけば、互いに向き合っていた。雪にそんなつもりは甚だなかっただろう。だが、体格差がある。向き合うと、まるで腕に閉じ込めるような体勢になってしまっていた。
それに気がついて眠りについていられるほど、俺は鋼の精神じゃない。できる限り雪に触れないように、涅槃像のように硬直していた。あるいはそれが、無機物のようでよくなかったのかもしれない。
じきに、雪の足が俺の足へと絡みついてきた。薄い布を隔てて、滑らかな肌が寄せられる。もぞりと身まで寄せられて、胸板にマシュマロのような胸が押しつけられた。潰れた塊がシャツの隙間から覗けてしまいそうで、目が逸らせない。ぐにゅりと形を変えるそれに気を取られている間に、堅固にホールドされてしまっていた。
ぐりぐりと身体を寄せられて、腰がぶつかる。思わず零れそうになった呻きを飲み込むと、喉仏が不穏な物音を立てた。唾を飲み込んだはずなのに、喉が急速な乾きを覚える。熱が身体の中心に集まる気がして、限界だった。
しかし、ホールドは上手く外れない。まろやかな身体に意識が集中して、引っぺがすことも難しかった。呼吸を整えようと躍起になればなるほど、息が乱れる。雪の体臭に、体温は更に上がった。
遅々としているうちに、蛇のように身体が絡みついてくる。ピンチに冷や汗が垂れた。
「雪」
自分では平静に出したつもりの声は、随分はしたなく掠れた低音だった。小声のそれに、雪だって呻きこそすれ起きることもない。なまじ半端に邪魔立てしたせいか。雪は心地よいポジションを確保するかのように身じろぐ。
地獄だ。
自分の股間のありように、最悪の覚悟を決めた。そうして諦めていると、雪が不意に身体を反転させる。その一瞬を見逃さずに、俺はベッドから滑り降りた。心拍数が跳ね上がり、とても生きた心地がしない。
手を出さなかったことは上出来だが、感情を膨らませては同じようなものだった。俺は盛大に頭を抱えてしばらく、トイレへと駆け込んだ。
早朝のことだ。
そのまま雪のいるベッドに戻れるわけもなく、シャワーを浴びて、弁当作りに没頭するふりをした。おかげで今日の弁当は、いつもより手間暇がかかっている。雪のほうはデコ弁にしてやった。そこに罪悪感があるということは知らなくていい。
「そういえば、今日の放課後空いてるか?」
「用件を先に言えよ」
「興味なきゃ暇じゃないって姿勢嫌いじゃないぜ」
「そりゃどーも」
「カラオケは? 雪ちゃんも」
「大内君と?」
「他校の生徒も一緒」
「合コン?」
「いいだろ?」
「人数足りないの?」
「ていうか雪ちゃんに会いたいって言ってるやつがいてさ。よかったら来てくんない?」
「興味ない」
にべもない雪は、俺の作った弁当を掻き込んでいる。ひたむきなのが丸わかりで面白い。頬にご飯をくっつけていた。そこに指を這わせて、米粒を取る。
「ありがとう」
「ん」
面倒くさくて、そのまま米を食べた。雪はノーリアクションだったのに、無関係な隼人が目を剥いている。大袈裟なことだ。
「……誘ったところで見込みないんだよな」
「は?」
「いや、こっちの話。幼なじみって距離感ねぇよなと思っただけ」
「そんなことない」
「いやいや。雪ちゃんはもうちょっと警戒心みたいなものを持ったほうがいいと思うよ」
「どうして?」
「天根も男だよって話」
「知ってる」
「本当かよ」
苦い顔には、同意をしたくもあった。確かにもう少し、警戒心のようなものはあったほうがいい。俺の平穏のためにも、気を配ってくれるとありがたかった。
「それで、天根は? 来るか?」
「行かない」
「ったく、二人揃ってよ。少しは俺の顔を立ててやろうとかそういう友達甲斐はないのかね」
「ごちそうさまでした」
「おーい。雪ちゃん。俺の話聞いてた? 天根に手を合わせるのはやめて!」
「だって、佳臣が用意してくれたものだから」
「そういうことじゃなくてね!?」
噛み合わない二人だ。隼人がやけにヒートアップしているのはいつものことだが、とことんズレている。この場合、雪がマイペースなだけだろうけど。でも、俺はそんな雪のペースのほうに慣れてしまっている。
「お粗末様」
「お前らなぁ」
「今日のお弁当は豪華だった。どうしたの?」
「気が向いただけだよ」
「早起きしてた」
「まぁな」
「嫌だった?」
多くを語らなくて通じるのは難儀だ。意識が昨日に巻き戻された。
緩く首を傾げるのに連動して、胸まで揺れる。やたらと目についているのは分かっていた。昨日の柔らかさが身体にまとわりついているようだ。煩悩を静めるために写経でもしたほうがいいかもしれない。
「佳臣?」
沈黙ですら受け取ってしまう雪の表情が曇る。言い淀んでいる最大の理由は、それこそ口に出せない。からくも、秘密を抱えてしまうことになっていた。
「嫌だなんてことはない」
「渋々だったくせに」
「分かってんなら少しは遠慮しろよ!」
「嫌だったんだもん」
たちが悪いと叫び出したくなる。それでも、我が儘が可愛いと思えてしまったら、後には引けないものだ。
「やっぱ二人、何かあったんだろ」
「だから、ないって」
「怪しい!」
「しつこいな」
「大体、お前らはな……!」
隼人の延々続きそうだった声は、いいところでチャイムに遮られた。ナイスタイミングだ。雪はさっくりと机を元に戻し始めていた。隼人も歯噛みしながら諦めたようだ。
「カラオケだからな!」
最後に捨て台詞みたいに言い残した隼人が、自分の教室へと戻っていく。俺と雪は顔を見合わせて、肩を竦めた。意見は同じことだろう。
雪がいるのに、合コンになんて行くわけもなかった。
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