第16話 束の間の死(1)

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。


 親しみを込めて。


 彼は、生まれ落ちた時から身体が冷たかった。

 

 触れた相手を凍えこごえさせてしまうほどに。


 その手に触れられると骨の芯まで身体が震え、長く触れると皮膚が凍てついてしまう。


 食べ物を口の中に入れるとその途端に冷凍し固まってしまう。


 生まれてすぐに助産師を凍えさせてしまった彼を当然、病院は精密検査したが体温が異常に冷たい以外の異常はなく、検査の結果、"正常"と判断された。


 彼は、体温が凍えるほどに低いだけのただの人間であると医学が証明した。


 体温が異常に低いだけの普通の男の子として普通の生活を送っていった。


 普通の小学校に通い、友達と遊び、町内会のお祭りや運動会と言ったイベントに参加し、順風満帆とは言えないまでも平穏な生活を送っていた。

 そして現在、彼は葬儀会社で働いていた。


「父に束の間の死を与えてください」

 

 霊安室に入るや老婆は、冷たい男に懇願した。


 老婆は、ひどく草臥れてくたびれていた。

 どんなに優しい表現を探しても当てはまるものがこれしかないほどに彼女は草臥れて、そして疲れていた。

 雨も降っていないのにじとっと濡れた長い白髪、窪んだ目、年輪の刻まれた浅黒い肌、枯れ木のように細く、血管の浮き出た手足。

 しかし、着ているものはとても上等なものだ。

 薄紫のとても丁寧に糸を紡いで作られた着物。腰に締められた帯も浅葱色の上等なものだ。そして着物の足元には墨で描かれたのではないかと勘違いを起こすような見事な彼岸花が描かれていた。

 その全ての印象が老婆を三途の川の番人とされる脱衣婆を連想させた。

「死・・・ですか?」

 彼は、掠れるような小さな声で言う。

 この空間で1番使われてきた言葉を。

 この空間に置いてこの言葉は決して忌なる言葉ではない。むしろこの世での苦行を終えて次の世界へ旅立つ為の新たなステップとなる前向きな言葉として使われる。

 しかし、今、彼が口にした死と言う言葉は、文字通りの忌なる意味を成してしまっていた。

 老婆は、頷く。

 そして窪んだ目を開いて彼を、冷たい男を凝視する。

「はいっどうぞ父に束の間の死を。貴方なら出来るのでしょう?父に束の間の死を与えることが」

 そのあまりに強く、暗い眼差しに彼は、思わず目を逸らし、祭壇の前に横たわる遺体を見た。


 その遺体は、あまりにも痛々しく、そして若々しかった。


 顔は、内出血により真っ青に染まり、額だけでなく、頬にも顎にも瘤と裂傷が存在している。恐らく目視出来ない身体の部分にも無数の痣や裂傷が存在するのだろう。

 仕事柄、様々なご遺体を見るがここまで酷い怪我を残したまま運ばれてきたのは初めてだ。血を流した跡がないのが逆に気持ち悪い。

 しかし、もっとも異様なのは怪我以前に身体的特徴だ。

 遺体は、あまりにも若かった。

 二十代といっても差し支えない。

 痣と怪我のせいでほとんど見えなくなっているが僅かに残った肌にはまだ艶が残っていた。髪も黒く、今は強付いているが恐らくストレートで長毛の猫ようにさらっとしてきたことだろう。

 少なくともこの老婆の父親と言うにはあまりにも若すぎる。

 しかし、痣と裂傷だらけのその顔はどことなく老婆の面影を残していた。

 老婆は、三度言う。

 

「どうか父に束の間の死を」


 冷たい男は、半日前のことを思い出す。

 香り屋の女主人から頼まれた依頼を。

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