第17話 束の間の死(2)
「今日の夜に1組の親子がそちらに行くわ」
香り屋の女主人は、注文を受けた品の確認をしている冷たい男の背中に向かって声を掛けた。
香り屋は、町の少し外れで経営している小さな洋風の古い館の一階にあるお店だ。香水やアロマキャンドル、石鹸やポプリ、お茶やコーヒーといった香りの強い嗜好品を多数取り扱っている。
全て女主人の手作りだ。
店の中も田舎の小さな町とは思えない程に洒落た作りをしており、わざわざ街から若い女性が訪れて購入していく程だ。
冷たい男の務める葬儀社も彼女の店に大量の線香とお茶を受注しており、月に1度、彼が受け取りに来ている。
香り屋のお茶と線香の香りは悲しみ、時に傷ついた遺族や弔問客の心を優しく撫でるように癒し、故人の魂を天に運ぶ手助けをするかのように竜のように滑らかに煙が登っていく。
初めて葬儀場に訪れた遺族は、当然に家族を失った大きな悲しみに打ちひしがれている。式の打ち合わせの時も中々に喋ることが出来ないことが多い。そんな時にこの店のお茶を出し、線香を炊くと心が洗われたように目を開き、少しずつだが話してくれるようになる。そして帰る頃にはスッキリとした、前を向けた表情をしている。
そんな葬儀会社に夜に来る来客と言ったら目的は一つしか考えられない。
「今日は、葬儀の予約も打ち合わせの予約も入ってないですが・・・」
毎朝、出勤するとアポイントを確認するのも彼の役目だ。葬儀会社に基本、休みはない。連絡だって昼のうちにあるとは限らない。夜に連絡が入り、ご遺体を引き取りに行くことだって珍しいことではない。
むしろよくある事なのだ。
そんな日々、忙しい葬儀会社だが今日に限っては葬儀の予定も打ち合わせの予定も、ご遺体を預かる予定も入っていなかったはずだ。
「ついさっき連絡したのよ。彼女のパパにね」
香り屋の女主人は楽しそうに笑い、切長の青い目を細める。白みがかった金髪に整った鼻梁、ゆったりとした黒のワンピースを着ている。どこかの国のハーフということだが詳しく聞いたことはない。年齢も50代半ばか後半のはずだが溌剌として若々しい。
「あのパパも変わらないわね。見かけからは想像も出来ない」
女主人は楽しそうに笑う。
彼女のパパとは彼の務める葬儀会社の社長であり、幼馴染の少女のお父さんでもある。
見かけは古い任侠映画の組長のようであるが外見からは想像が出来ないほどに優しくて面倒見が良くて涙脆くて、そして一人娘を溺愛している。
「社長とはどこで面識が?」
「小学校のPTAで一緒だったのよ。同じ一人娘の親として話しがあったわ」
女主人は、楽しそうに微笑む。
女主人の娘は冷たい男の2個先輩に当たり、小学校だけでなく中学、高校と一緒で容姿端麗、文武両道の才女だ。高校時代は親衛隊みたいなものまで結成され、彼女と仲の良かった彼はよく絡まれていた。
まあ、当の本人は自分に親衛隊が出来ていたことも知らないが・・・。
「そういえば今日、先輩は?」
祭日だから大学と言うことはないだろう。この時期はイベントもないから小学校に実習で駆り出されていると言うこともないはずだ。
彼の質問に女主人は小さく嘆息して、細く白い人差し指を天井に向けたかと思うと両手を合わせてその上に頬を置く。
それだけで何をしているのかが分かった。
「いい人いたら紹介してあげて」
母としての切実な願いに彼は、小さく頷くことしか出来なかった。
彼は、脱線した話しを戻す。
「それでは急に亡くなられたということなんですね」
そうなると昨晩かそれこそ今しがたなのか・・。
しかし、女主人は彼の質問に対し下唇を持ち上げて少し困ったように頬を掻いた。
「10日前よ」
「ふへっ?」
彼は、女主人の言葉が頭に入ってくるのを拒むかのように変声を上げた。
いや、入ってきたとしても理解出来るものではない。
「だから10日前よ。彼が起き上がらなくなって」
「いや、ちょっと待ってください!」
彼は、思わず声を荒げる。
彼が声を荒げるなんて滅多にあることではない。
それこそ彼をよく知る少女や女主人の娘がいたら驚きに目を剥いたことだろう。
「ご遺体を10日間も放置していたってことですか⁉︎それって立派な死体遺棄罪ですよ!」
彼は、半ば怒りを込めて叫ぶ。
ご遺体を丁寧に管理し、無事に天国へと旅立てるのを手伝うことを生業としている人間としてそれは決して許されざること、許してはいけないことなのだ。
しかし、女主人は冷たい男の腹から燃え上がる怒りに臆した様子もなく自分の両の手を重ねる。
「遺体じゃないのよ」
女主人は、煙管の煙でも吐くようにゆっくりと息を吐きながら低い声で言う。
空気が変わる。
日常の延長のような和やかな空気から重くとろりとした冷たい空気へとなる。
まるで異世界に紛れ込んでしまったのような変容に冷たい男と言われる彼の背筋が震える。
「死んではいる。でも遺体ではないの」
まるで魔女の問いかけのような言葉に彼は小さく狼狽える。
いや、まるでではない。
これはまさに魔女の問いかけなのだ。
「貴方にお願いがあるの」
女主人はゆっくりと立ち上がり冷たい男に近づく。
ゆったりとした緩慢な動き、しかし、目を離すことが出来ない。
女主人の顔が目の前に来る。
青い瞳が冷たい男を映し出す。
「なん・・・でしょう?」
女主人は右手を伸ばし、そっと彼の頬に触れる。
彼女の手と頬の間に白い煙が上がり、霜が張っていく。
彼は、慌てて離れようとするが女の子主人の目に囚われ動くことが出来なかった。
女主人は、自分の手が凍りつくのを厭うことなく、言葉を告げる。
「彼に束の間の死を上げて」
女主人から発せられる言葉はまるでお経のようだと彼は思った。理解出来ない言葉が幾つも飛んだと言うのに一つも聞き流すことが出来ない。染み込むもうに耳を通り抜け、脳に入り込む。
「貴方にしかそれは出来ないの」
女主人は、魔女はゆっくりと、しかし揺るぐことを許さない口調で言う。
「オレしか・・出来ない?」
「そう。これは貴方しか出来ない。誰よりも冷たくて誰よりも優しい貴方しか」
「どう言う意味ですか?」
「直ぐに分かるわ」
女主人は、そっと彼の頬から手を離す。
頬に触れていた右手は白い霜が貼り、凍りついていた。
しかし、女主人はそれを見ても瞬きの一つもせず左手の人差し指を立てて、凍りついた右手に触れると、右手は何事もなかったかのように元に戻った。
溶けた様子もなければ跡もない。
右手には、霜焼けすら出来ていない。
魔女・・・。
冷たい男の脳裏にその言葉が過ぎる。
「報酬は心配しないで。会社には相応の額が支払われるわ。それに今回は私からの依頼なので貴方の望むモノをしっかりと支払うわ」
そう言って笑う彼女は、いつもの女主人であり、先輩の母親のものだった。
「よろしくね。冷たい男」
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