第9話 バニラアイス

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。


 親しみを込めて。


彼は、生まれ落ちた時から身体が冷たかった。

 

 触れた相手を凍えこごえさせてしまうほどに。


 その手に触れられると骨の芯まで身体が震え、長く触れると皮膚が凍てついてしまう。


 食べ物を口の中に入れるとその途端に冷凍し固まってしまう。


 生まれてすぐに助産師を凍えさせてしまった彼を当然、病院は精密検査したが体温が異常に冷たい以外の異常はなく、検査の結果、"正常"と判断された。


 彼は、体温が凍えるほどに低いだけのただの人間であると医学が証明した。


 体温が異常に低いだけの普通の男の子として普通の生活を送っていった。


 普通の小学校に通い、友達と遊び、町内会のお祭りや運動会と言ったイベントに参加し、両親が共働きだったので放課後は週3回ほど学童クラブに通っていた。


 そして現在、彼は、同じ学童の卒業生である少女と共に

学童の手伝いに参加していた。


 牛乳を500ccに卵を1個、そして砂糖をレシピよりも少し多めに鍋の中に入れて煮立たないように弱火でゆっくり木ヘラでかき回す。

 その際に「美味しくなーれ」とお呪いまじないをかけるのも忘れない。

 少女は、何度も「美味しくなーれ」と呟きながら丁寧に、とろみが出るまで掻き回す。その姿を1年生から6年生までの男子学童たちが「可愛い」と見惚れていていたのだが、少女はまったく気づかずに作業に集中していた。

 充分にとろみの付いた白い液体を長方形のトレーの中に流し込み、バニラエッセンスを足す。

「よろしくね」

「はいよ」

 冷たい男は、右手を上げて次の工程を引き受けると、手袋を外した両手で湯気の上がる熱されたトレーの端を触る。

 その瞬間、湯気が消え去り、液体の表面が新雪のように滑らかに凍る。


 バニラアイスクリームの完成だ。


 子供たちから歓声が巻き起こる。

 

 冷たい男は、手袋をはめ直すとアイスクリームディッシャーで綺麗な丸になるように丁寧にバニラアイスクリームを取り、少女が用意したピンクのカップによそう。

「はい、どうぞ」

 1番前に並ぶ1年生の女の子に渡す。

「トッピングはお好きにね」

 そう言ってにっこりと微笑むと女の子は、少し頬を赤らめて「ありがとう」と言って去っていく。

 女の子の反応の意味が分からず彼は、小さく首を傾げる。

 少女は、その様子を見て「人たらし」と呟き、目を細めて睨む。自分が男子学童たちを魅了していることになんて気づきもしない。

 そんな2人の様子を学童の指導員たちは微笑ましく見ていた。


「今日はありがとうね」

 ふくよかな中年の女性指導員が恵比寿様のような和かな笑顔を浮かべて2人に感謝する。

 子供たちは、2人が用意した手作りアイスクリームを夢中で食べている。そのまま食べる子、チョコスプレーを掛ける子、フルーツソースをかける子など様々だ。

 少女も自分の作ったアイスにチョコスプレーを大量に掛けて食べている。

 冷たい男はと言うと・・・。

 熱々のミルクセーキ上にしたアイスの原液をそのままカップに移して飲んでいた。

 そうすることで口に入った瞬間には程よいアイスクリームへとなっている。

 滑らかな甘みが文字通り口の中全体に広がる。

「ちょっと溢れてるわよ」

 少女は、ポケットから花柄のガーゼタオルを出すと彼の口元を優しく拭う。

「ああっごめん」

「ちゃんと食べないと口元が凍りつくわよ」

 パリパリになったガーゼを膝の上に乗せて少女は言う。

 その様子を見て女性指導員は、くすりっと笑う。

「変わらないわね。あなた達は」

 2人は、きょとんっとした顔でお互いの顔を見て、そして女性指導員を見る。

「学童に通ってた頃から2人はいつも一緒にいたわね」

 女性指導員は、つい昨日のことのように小学生の頃の2人を思い出す。


 1年生の頃から2人はいつも一緒だった。


 冷たい男は、幼稚園出身。

 少女は、保育園出身。


 生まれた病院も違えば町内会も違う。

 親同士も面識もなければ職業も違う。


 接点などまるでない、特に異性ともなれば仲良くなるのも難しい。


 それなのに学童に入所してから1ヶ月後には2人は一緒にいた。

 公園に遊びにいく時も、虫取りする時も、室内でベイブレードで遊ぶ時もずっと一緒だった。

 一緒にいすぎて指導員ですら入り込むことが出来なかった。

 その関係は、2年生になっても3年生になっても4年生、5年生・・・卒業するまで変わらなかった。

「そして卒業してからもずっと一緒とはね」

 呆れを通り越して感心する。

 自分達以外に友人が出来たのかと心配になる。

 そして当の2人はと言うと・・・。

「そう言われてみれば・・・」

「そうね」

 などと、恥ずかしがる素振りすら見せなかった。


 どこの熟年夫婦だ?


 感心を通り越して再び呆れてしまう。


「2人は何でそんなに仲良くなったの?」

 10年以上胸に抱えていた疑問を思わず口に出して聞いてしまった。

「何でと言われても・・・」

 彼は、首を傾げる。

 思い当たる節なんてないといったのが表情から溢れていた。

 しかし、その隣にいる少女は違っていた。

 明らかに頬を赤らめ、アイスのカップを持つ指モジモジ動かす。

 それは熟年夫婦ではない、恋する純粋ウブな乙女そのものだった。

 女性指導員のおばちゃん心が大いに擽られる。

 少女をつっつこうと前のめりなりかけた時、彼が突然声を掛けてくる。

「フーせん」

 フーせんとは、学童での女性指導員の呼び名だ。

「あの子って前からいたっけ?」

 彼に言われ、女性指導員は、振り返る。

 子ども達が漫画を読んだり、カードゲーム、剣玉をして遊んでいるその隅にその子は足を組んで座っていた。


 古い感じの子ども。


 あまりにもな表現だがそれが1番しっくりくる。


 後ろをこれでもかと刈り上げたおかっぱ頭、どんぐりのような丸い目に丸い輪郭、白とピンクの水玉のタンクトップに半ズボンに白い靴下。

 戦時中の子どものような出立ちだ。

 そして何よりも気になるのはその雰囲気だ。

 うまくは言えないが、妙に他の子達と雰囲気が違う。


 人間というよりはまるで・・・。

 

「ああっあの子ね」

 女性指導員は、笑顔で言う。

「今年入った1年生の子よ。可愛いでしょう」

「いつもあんな1人でぽつんっとしてるの?」

「そんなことないわよ。いつもみんなと一緒に剣玉や虫取りして遊んでるんだけど・・・何かあったかしら?」

 女性指導員は、眉を顰め、顎を摩る。

「そういやアイスも取りに来てないね」

 少女も気になって眉を顰める。

 彼は、トレーに残ったアイスの原液を未使用のカップに移すと立ち上がっておかっぱ頭の子に寄っていく。

 少女は、アイスをあげに行ったのだと微笑ましく見ていた。

 しかし、彼が近づき、声をかけた瞬間、おかっぱ頭の子は、怯えた表情を浮かべて彼を突き飛ばし、正面口まで走ってそのまま外に飛び出していったのだ。

 彼もアイスのカップを持ったまま、おかっぱ頭の子を追いかけて外に飛び出す。

 少女と女性指導員、そして子ども達は唖然と2人の去った正面口を見る。

 彼は、おかっぱ頭の子にこう声をかけただけだ。


「君、人間じゃないだろう?」

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