第8話 恋登り
「それきっと旦那さんだよ!」
彼の話しを聞き終えた少女がこちらを見て言う。
あの後、倒れるように休憩室で仮眠を取ったら昼を過ぎようとしていた。
恐る恐るスマホを見ると着信と怒りの嵐だった。
スマホで話しながら何度も頭を下げ、私服に着替えて車を走らせる。
そして怒り待つ少女を見て・・・時が止まる。
今日のためにお洒落をしてきた少女はどんなに控えめにいっても見目麗しいかった。
レモン色の白いフリルのついたワンピース、花の飾りのついた編みサンダル、小ぶりな腕時計、小鳥を模したイヤリング、そして薄く化粧をした輝くばかりの愛らしい顔立ち・・・。
どんなにむすっとしていたも愛らしさの方が引き出されてしまう。
少女は、見惚れている彼を訝しみながらも小さい声で「仕事お疲れ様・・・」と言って車に乗り込んだ。
彼も慌てて車に乗り込んでエンジンを掛け、走り出す。
そして「何があったの?」と質問され、話し出してから、今に至る。
「やっぱりそう思うかい?」
何となくそんな気はしていた。
少女の姿になった老女の魂が男性を見る目。それはまさに愛おしい異性を見る眼差しそのものだった。
自分は、彼女のことを知っている訳ではないがあれだけ美しく、そして泣くほどに家族から愛された人だ。そんな彼女が再婚もせずに1人でいたこと、それは亡くなった旦那さんただ1人を愛していたからに他ならない。
そこは納得出来る。
しかし、どうしても腑に落ちないことがある。
「なんで鯉のぼりなんだろう?」
彼女が毎年、鯉のぼりを上げていたことは知っている。しかし、それと亡くなった旦那さんがどうしても結びつかない。
彼の隣で彼女も「うーん」と唸って小さな顎に指を乗せる。
その仕草が堪らなく可愛らしい。
直接でなくバックミラー越しに見ないといけないのが悔しい。
「ひょっとして・・・」
彼女は大きな目をさらにら大きく開いて彼を見る。
「鯉のぼりって毎年夏にあがっていたよね?」
「ああっ。君も小さい頃から見てたろ」
小学校の夏休みの頃、2人して公営のプールで泳ぎながら鯉のぼりを見て喜んでいたのを思い出す。
「あの鯉のぼり・・・きゅうりとなすの代わりだったんじゃないかな?」
「きゅうりとなす?」
意味が分からず、彼は眉根を寄せる。
次の瞬間、点と点が線になる。
「お盆か!」
お盆の時期、きゅうりとなすに割り箸を折ったもので四つ足を作った精霊馬をお供えする。ご先祖たちはきゅうりの馬に乗って彼の世から戻り、なすの牛に乗ってゆっくりと帰っていく。
「きっとお婆さんと旦那さんにとって鯉のぼりが精霊馬だったのよ」
その推理が正しかったとしたら昨夜、5匹の鯉のぼりと一緒に旦那さんが現れたことも説明がつく。
「でも、なんで鯉のぼりなのかは分からないままだな?」
「きっと旦那さんと何か約束してたのよ」
それに関してはいくら話したところでもう分かることはない。
分かることはないが・・・。
「ロマンチックだね」
少女は、小さく微笑む。
2人は毎年、鯉のぼりを上げ、そして会っていたのだ。いろんなことを話していたのだ。
生きている間も、亡くなってからもずっと心が繋がっていたのだ。
そして一緒に登っていった。
こんな美しいことがあるだろうか?
「恋登りか・・・」
彼は、ボソリッと呟く。
「えっ?」
少女は、思わず聞き返す。
彼は、頬を赤らめる。
声に出てるとは思わなかった。
「い、いや、なんでもない」
彼は、少し声を上ずらせながら運転に集中した。
少女は、にやにやと彼を見つめていた。
翌年、老女の住んでいた家に孫夫婦が住み出した。
そして、8月、黒、青、赤、緑、橙の5匹の鯉のぼりが真っ青な空を泳いだ。
風車がカラカラカラと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます