第7話 迎え
彼と茶トラは、入口の方を向く。
金色の霧が霊安室の中に入り込んでくる。
彼は、手袋をはめ直すとゆっくひと立ち上がる。
茶トラもそれに続いて立ち上がる。
金色の霧は、2人の足元を埋め尽くし、川のようにせせらぎながら流れを作り、池となった。
黄金の池の水面が滑らかに揺れる。
「これは・・・」
「悪いモノではないにゃ」
そういって茶トラは鼻を霧に近づける。
確かに足元から感じる温もりはとても心地良いものだ。
夜の疲れがゆったりと消えていくように気持ち良い。
風車の音が聞こえる。
カラカラと笑い声のような風車の音が。
黒く、大きな影が入口を抜けて入ってくる。
一瞬、闇色のモノどもかと思ったが感じる気配も色も違う。
溢れる気配は春風のように香り高い。
その色は夜空のように優しい黒だった。
それは巨大な魚、黒い鯉のぼりだった。
黒い鯉のぼりは、金色の池にその身を浸し、優雅に鰭を動かしながら泳いでいく。
鯉のぼりは1匹だけではなかった。
深い海のような青い鯉のぼり。
血液のような鮮やかな赤い鯉のぼり。
香りたつ新緑のような緑色の鯉のぼり。
そして焼ける夕日のような橙色の鯉のぼり。
鯉のぼりたちは戯れるように、舞うように祭壇の、老女の棺の周りを泳ぐ。
風車のカラカラ笑う音が霊安室の中を木霊する。
棺の前に若い男性が立っていた。
丸く剃り上げた頭、切長の目、整った鼻梁、薄い唇、細い身体に甲子柄の青い着物を着ている。
ずっと目を離さずに見ていたはずなのにいつからいたのか彼も、茶トラも分からなかった。
男性は、小さく微笑むと老女に向かって手を差し伸べる。
差し伸べられた手を老女が握る。
いや、老女の遺体からぬけでるように現れた白い手が男性の手を握った。
脱皮するように青白い光を放ちながら老女の遺体から若い女性が現れる。
艶のある、黒い鯉のぼりと同じような夜空色の髪、絹のような白い肌、大きな目、熟れた唇。
若い頃の老女だと彼は直感する。
完全に遺体から抜け出ると2人は抱きしめあった。
『やっと一緒にいられるね』
これはどちらの声だったのだろうか?
5匹の鯉のぼりが2人の間を泳ぐ。
金色の池を飛び出して宙を舞い、2人を包み込むように空を泳ぐ。
鯉のぼりの隙間から2人が彼と茶トラを見る。
2人の唇が動く。
ありがとう
そう言われた気がした。
5匹の鯉のぼりが2人を完全に包み込む。
カラカラと風車の笑い声が木霊する。
金色の光が霊安室全体を覆う。
彼と茶トラの間を何かが抜けていく。
そして光が消えた瞬間、そこにもう鯉のぼりはいなかった。
金色の池も消え去っていた。
あるのは祭壇と老女の遺体が眠る棺、そして清浄な空気だ。
「・・・終わったみたいにゃ」
茶トラは、そう言って身体をぐーっと伸ばす。
「あの男性は・・・」
「多分、あのお婆ちゃんの大切な人にゃ」
後ろ足で耳の裏を掻く。
「それじゃ故人はずっとあの人を呼んでいたんでしょうか?」
「かもにゃ」
茶トラは、大きく欠伸をするとお尻を彼に向ける。
「疲れたから寝るにゃ。報酬はあとで受け取りに来る」
猫らしく用件が済むとさっさとその場を去っていく。
彼は、霊安室を出ていく茶トラに頭を下げる。
そして祭壇に向かうと香炉に線香を3本刺す。
「お水は後で持ってきますね」
小さく呟き、目を閉じ、合掌する。
お経を唱え、深く深く頭を垂れる。
目をゆっくりと開き、合掌を解く。
「どうぞ、あちらでゆっくりとお休みください」
彼は、もう一度ゆっくりと頭を垂れ。そして霊安室を後にした。
風車のカラカラ笑う音がしたような気がした。
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