第5話 火車
「遅れたら本気でキレるからね!」
少女が可愛らしい卵型の顔を真っ赤に染め、綺麗に整った眉を吊り上げて怒りながらも夜食を届けてくれてから5時間が過ぎようとしている。
時計はあと15分もすれば深夜の2時を刺すところだ。
彼は、夜食の最後の一口を食べる。
バケットに鳥の胸肉のロースト、トマト、スライスチーズを挟み、甘辛いソースで味付けしたモノ。
これを彼が食べれる温度まで直前にオーブンで加熱するとチーズが満遍なく溶けてソースと絡み合い、口福を生む味となる。
「お前にも美味しく食べてもらえるよういつも研究してるんだぞ」
社長は、揶揄うように笑い、少女に怒鳴られていた。
彼は、ゆっくりと咀嚼して味わい、飲み込むとゆっくりコーヒーを飲む。
「ご馳走様でした」
彼は、両手を合わせて言うとゆっくりと立ち上がる。そして部屋を出て正面玄関へと向かった。
施設内は、照明のおかげで明るく、とてもご遺体を預かっているとは思えないほど清潔だ。
しかし、ガラス張りの自動ドアの正面玄関から見える闇に覆われた光景は冷たい男でも薄ら寒く感じる。
電源の落ちた自動ドアの鍵を開け、手動で横に引っ張ってドアを開ける。
夏の生ぬるい風と草の匂いが鼻腔に入り込む。
鈴の音が聞こえる。
柔らかく、思わず振り向いてしまうような鈴の音が。
そして闇の中に小さな影が浮かぶ。
輪郭が見える見えないかの朧げなシルエットが綿毛のようにゆっくりと、ゆったりと近寄ってくる。
正面玄関から溢れる灯りに照らされて影は少しずつその姿を晒していく。
少し金色がかった茶色の短毛、小さな頭の上に付いた三角の耳、ビー玉のような青い目、短いがしっかりと地面を踏み締める手足、アクアマリンを想像させる水色の首輪には炎のような小さい鈴が付いている。
そして特徴的なカギ尻尾・・・。
どこからどう見ても完全無欠な茶トラの猫だ。
茶トラ猫の姿を確認すると彼は、口元に笑みを浮かべる。
「お久しぶりですね。火車さん」
彼がそう声を掛けると茶トラは、猫とは思えないような不貞腐れた顔をする。
「その名前は嫌いにゃ」
茶トラが喋ると同時に炎色の鈴が震える。
見かけ通りの愛らしい声色で言う。
「・・・でも正式に継がれたんですよね?もらった連絡にそう書いてありましたよ」
再び炎色の鈴が震える。
「勝手に言われただけにゃ。ミーは長老がそんな風に呼ばれてたことも知らなかったにゃ」
むすっとしながら前足を舐める。
「それよりもさっさと依頼の場所に連れてくにゃ。遅くなるとママさんに怒られるにゃ」
ママさんって誰だろう?と思ったが余計な話しをしても仕方ないと思い、言われるままに茶トラを正面玄関から入れて案内する。
茶トラは、さも自分の家かのように胸と尻尾を張って歩く。
「ところで火車さんって・・」
「火車いうにゃ」
「すいません」
「で、なんにゃ?」
「いや、いつから人の言葉話せるようになったのかなって・・・」
初めて会った時はニャゴニャゴしか言ってなくてコミュニケーションを取るのを随分苦労したのを覚えている。
茶トラは、歩きながら首をきようにこちらに向ける。
「ヒメのおかげにゃ」
「ヒメ?」
彼の頭の中に方カードゲームのピンクのドレスを着た姫が浮かぶ。
「これのことにゃ」
茶トラは、首を揺すって鈴を鳴らす。
「ミーが喋ると勝手に通訳してくれるにゃ。慣れるまでは勝手に人間語に変えるから大変だったにゃ」
世話のかかる子どものことでも話すように言う。
茶トラの話してくれたことはまるで理解出来なかったが昔から流行った動物翻訳ツールのようなものなのだろうと勝手に解釈した。
「なんだ。てっきり猫又みたいに年取ると猫って喋れるようになるのかと・・・・」
しかし、彼はそれ以上、言葉を出すことが出来なかった。
茶トラの殺気の篭った双眸が彼を射抜いた。
明らかな殺意を持って・・・。
彼は、思わず唾を飲み込む。
そして学ぶ。
例え生物としての種類が違おうが女性に年は聞いてはいけないのだ、と。
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