第4話 鯉のぼり先生

霊安室の四角に盛り塩をして嫌な気配を感じなくなったのを確認してからエアコンを最大にして部屋を出る。自分が触れれば真夏といえども簡単には溶けないことは分かっているが念には念のためだ。


 社員控室に戻り、マグマのように泡立ち、沸騰したお湯を注いで作ったコーヒーを飲みながらスマホをいじっているとドアが開いた。

 口をへの字に曲げて入ってきたのは身長2メートル近い大柄の黒服を着た男だった。

 白髪の混じった髪をオールバックにワックスで固め、レンズの大きなサングラスを掛けている。それに大きな鼻と四角い顎が相まってどうお世辞を言っても強面だ。そこに学生時代から柔道で鍛え上げた大柄な身体も合わさったから何も知らない人に取っては恐怖の対象でしかない。

 そう、何も知らない人に取っては・・・。

 男を見ると彼は、にっこりと微笑む。

「お疲れ様です。社長」

 社長と呼ばれた男は、への字口を吊り上げて笑う。

「お疲れ様」

 強面からは考えられない穏やかな声と笑みは、いつも誰かを驚かせる。

「ご遺族の方たち、とても喜ばれていたぞ」

 恐らくあいさつされた遺族達もあまりのギャップに驚いたことだろう。

「良かったです」

 社長に褒められたことも嬉しいが遺族に喜んでもらえたのが何よりも嬉しい。

「それにしても"鯉のぼり先生"がついに亡くなったかあ」

 そう言って残念そうに彼の隣に座る。

 何か飲みますか?と彼は聞くが大丈夫と手で制する。

「やっぱりあの鯉のぼりのお家の方だったんですね」

 なんとなく察しは付いていたし、情報も読み直していたが、社長に言われると改めて確信する。


 彼女は、この町でも有名な存在だった。


 悪名とか奇行で目立つとかではない。


 むしろ地域からとても愛されていた人だった。


 戦争で夫を亡くしてからお腹の中にいた娘を1人で出産し、1人で育てた。

 周りから再婚を進められるも「私の夫はあの人だけ」とお断りし、両親や兄弟の力を借りながら大事に育ててきたそうだ。

 その話しが嘘でないことは娘や孫達の反応を見ても明らかだ。

 そして彼女は、人間のとても良くできた人だった。

 老女は、実家の畑を引き継ぎ、農業を生業としながら町の子供たちに習字や絵を教えていたそうだ。

 老女の父親が農家でありながらも勉学に厳しい人で女学校に通いながら学んだ経験が生きた結果だ。それに当時、町はまだ村と呼ばれる規模で手習塾など皆無だったので住民からは重宝された。

 

「俺も小さい頃は良く教わりに行ったな」

 社長は、両手を組んでしみじみと言いながら当時のことを思い出す。

 

 ちなみに社長が習いに行った時は大学生だった娘さんが先生をして、老女は塾長的な立場だったそうだが良く顔を出しては子供達に字を教えてくれていたらしい。

 そして彼女は、人格者でもあった。

 人当たりが良く、穏やかで、誰に対しても丁寧に挨拶し、丁寧に対応した。

 地域の政や行事にも積極的に参加し、民生委員や町内会の役員なども努めた。

 彼女のお陰で祭りの規模も大きくなり、子供達が安全に遠くの学校まで通えるようになるなどその貢献度はとても大きかった。

 思えばあの当時のシングルマザーが世間で生きていく為に、町から認められる為に努力してきたのだろうがその種は着実に育ち、実ったのだ。


 だからこそ"あのような行動"を取っても後ろ指を指されることはなく受け入れられたのだ。


「俺が物心付いた時にはもう鯉のぼりが上がっていたよ」

 社長は、言う。


 老女は、毎年、8月になると鯉のぼりを上げた。

 老女の腰よりも太く、屋根よりも高い丸太を庭に突き刺し、黒、赤、青、緑,橙の鯉のぼりを吊り上げる。

 そして付いた字名が"鯉のぼり先生"だった。

 

 夏の真っ青な空を風に乗って悠然と泳ぐ鯉のぼりの姿は彼もよく覚えている。


 彼の世代にとっては夏になると姿を現す鯉のぼりは珍しいものではなく、当たり前の景色として見ていた。


「鯉のぼり・・・なんで毎年8月に上げてたんでしょう?」

 当然な質問だった。

 鯉のぼりと言ったら5月5日、端午の節句に男子の成長を願って飾られるのが日本での一般的な通例だ。

 "健やかな成長と立身出世を願う"意味の込められた鯉のぼりを8月に上げていけないと言うことはないがそれでも不思議なことには変わりない。

「いや、俺も詳しくは知らない。うちの死んだ親父が町内会役員の時に何度か聞いたことがあるそうだが明解な答えは得られんかったらしい。ただ・・・」

「ただ?」

 彼は、首を傾げる。

 手に持ったコーヒーは既に冷めてしまった。

「あの鯉のぼりは誰かを迎え入れる為に上げていたらしい。それ以上のことは教えてくれなかったそうだ」


 誰かを迎え入れる?


 彼は、霊安室での誰かを呼ぶ優しい声がしたのを思い出す。


 ひょっとして老女は誰かに会いたかったのだろうか?


「ほらこの話しはもう終わりだ」

 社長は、拍子木のように両手を叩いて話の幕を閉じる。

 部屋中に響き渡る柏手に思わず目を大きく見開く。

「ご遺族が話されないことをこちらが根掘り葉掘り詮索するのは良くない。俺たちの務めはあくまで故人が無事に天国にいけるように立派な式を上げて送り出すこと。そうだろう?」

 社長は、サングラス越しに彼を覗き込む。

 側から見るとその筋の人間が睨みつけているようにしか見えない。

 しかし、サングラスの奥から僅かに見える目は巨大には似合わない優しく、つぶらな瞳で思わず笑いそうになってしまう。

「そうですね。わかりました」

 彼は、小さく頭を下げる。

 社長は、彼の返答に満足そうに小さな笑みを浮かべる。

「分かったなら今日はもう上がりなさい。通夜は明後日だ。明日の休みはあいつと出掛けるんだろう?」

 あいつと呼ばれて彼の脳裏にショートヘアで小麦色に肌の焼けた健康的な少女の姿が浮かぶ。

 明日は、彼女と隣町にショッピングに行く約束をしていた。車の免許を取ってからというもの荷物運びにしょっちゅう駆り出される。昔でいうアッシーくんだ。

「あいつも楽しみにしてたぞ」

 そう言って社長は、含みのある笑いをする。

 しかし、彼は困った顔をして頬を掻く。

「社長」

「なんだい?」

「急で申し訳ないんですが、今日の夜、霊安室の見張り番をしてもいいですか?」

 彼の言葉に社長は眉根を寄せる。

「故人に何かあるのか?」

 彼は、何も言わずに小さく頷く。

「1人で大丈夫なのか?」

「山の知り合いの伝手で助っ人をお願いしたので大丈夫か、と」

 そう言ってテーブルに置いたスマホを見る。

 スマホの画面に『助っ人頼んでおいたよ』と小さく文字が浮かんでいる。

 相手は、スマホを持ってきないのだが、何故か通信が出来る。不思議と思っても解明は出来ない。

「俺は冷たいだけで何も出来ないので・・・」

 申し訳なさそうに頭を掻く。

「俺には冷たくすることすら出来ねえよ」

 社長は、すっと立ち上がる。

「残業代はちゃんと付けろよ。それと・・」

 彼の肩をポンっと叩く。

「やること終えたらちゃんと寝てデート行けよ。じゃないと怖えぞ。あいつ」

 そう言って社長・・・少女の父親は部屋を出て行った。

 彼は、社長の背中に小さく頭を下げる。

 

 その後、少女に連絡し、事情を説明すると烈火の如く怒られたのと洋服とスイーツをプレゼントする約束をしたのは言うまでもない。

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