第3話 老女

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。


 親しみを込めて。


 彼は、生まれ落ちた時から身体が冷たかった。

 

 触れた相手を凍えこごえさせてしまうほどに。


 その手に触れられると骨の芯まで身体が震え、長く触れると皮膚が凍てついてしまう。


 食べ物を口の中に入れるとその途端に冷凍し固まってしまう。


 生まれてすぐに助産師を凍えさせてしまった彼を当然、病院は精密検査したが体温が異常に冷たい以外の異常はなく、検査の結果、"正常"と判断された。


 彼は、体温が凍えるほどに低いだけのただの人間であると医学が証明した。


 そして彼は体温が異常に低いだけの普通の男の子として普通の生活を送っていった。


 普通に地元の小学校に通い、勉強し、友達と遊んだ。地域のイベントにも親子で参加した。

 そして中学校、高校も地元で過ごし、順風とは言えないまでも楽しかったと言えるくらいの学生生活を満喫することが出来た。


 そして現在、彼は葬儀会社で働いていた。


 廊下の足音一つ上がらない霊安室の中を啜り泣く声が弦楽器を奏でたように震えて回る。

 白い棺の中に小さく小さく横たわる老女の前で彼女の家族たちが泣いていた。

 老女ほどではないが棺に縋り付いて泣く白髪の女性は娘さん、その肩に手を置いて目を赤く腫らしている頭髪のない男性が娘さんの夫、その後ろで泣いている40絡みの女性2人が孫だろうと彼は、霊安室に入る前に読んだ情報を頭の中で整理し、観察していく。

 故人、そしてご遺族の続柄、関係性、そして想いをしっかりと認識し、対応していくのは葬儀会社の最低限のスキルの一つ。

 

 それから旅立たれる方、そしてそれをお送りする方々に失礼などあっては決してならない。

 

 彼は、棺に横たわる老女の頭元に立つとゆっくりと白く、分厚い手袋を外す。

 その途端に部屋の温度が2℃ほど下がったように感じ、孫の1人が顔を上げる。

 彼は、老女に向かってゆっくりと頭を垂れる。

「失礼致します」

 そういうとそっと彼女の頬に触れた。


 冷気が上がる。


 彼が触れたところから白い煙が上がり、老女の身体を包み込んでいく。

 白装束が糊を付けられたようにハリを持ち、白髪が煌めき、肌は青白いものの滑らかな陶器のように美しく光る。

 まるで精巧な蝋人形のようで今にも動き出しそうな輝きがあった。


「終わりました」

 彼は、ご遺体から手を離すと丁寧にお辞儀をする。

「ご遺体を傷つけないように取り組ませていただきました。ご葬儀の日まで生前のまま保つことが出来るかと思います」

 白髪の女性が顔を起こし、彼に向かって頭を下げる。

「ありがとうございます。母も喜んでいることと思います」

 そう言って小さく笑みを浮かべる。

「お噂には聞いてたけどこちらに頼んで良かったわ」

「ありがとうございます」

 彼は、もう一度頭を下げ、分厚い手袋を両手に嵌める。

 部屋の気温が戻る。

「本当に貴方が触れると冷えてしまうのね」

 白髪の女性の後ろで赤く目を晴らした女性が口を開く。老女のお孫さんの1人で確かご長女の方だったと思う。

 昔で言うおかっぱくらいにまで短く切った髪と細い長身が目を惹く。顔立ちも知的でどこか老女の面影があった。

「どういう現象なのかしら?それともマジック?」

 長女の質問に彼は、首を横に振る。

「いえ、私にもよくは・・・・生まれついての体質としか・・・」

 長女は、ふうんっと顎を摩る。

 女性に対しては失礼かもしれないがその仕草が妙にイケメンだなと感じた。学生の頃は女子にさぞモテたことだろうと思う。

「それじゃあ霊能力みたいなものではないのね?」

 少しがっかりしたように言う。

「そうですね。ただ冷たいだけです」

 彼は、少しも悪いことをしていないのに申し訳なさそうに頬を掻く。

「残念。鯉のぼりがお婆ちゃんを迎えにきてるか分かるかなと思ったのに」

 今度は、彼が質問する側になる。

「鯉のぼり?」

 なぜ、今季節外れな鯉のぼりの話しになるのだ?

 彼が質問すると長女は意外そうに目を丸くする。

「貴方、この町の出身じゃないの?知らないの?祖母のこと?」

 そう言われてようやく思い至る。

 

 そうだ、この老女の家は・・・。

 

「ほら何馬鹿なこと言ってるの」

 老女の娘・・・長女の母が嗜める。

「すいません。娘が馬鹿なことを申しまして」

「いえ、そんなことは・・・」

「それでは葬儀当日まで母のことをよろしくお願いします」

 老女の娘が頭を下げると、次女もそして長女も頭を下げる。

「畏まりました」

 彼も丁寧に頭を下げる。


 遺族が霊安室を出て行ったのを確認してから彼は、飴細工に触れるように優しく老女の顔に白い布を掛け、棺の前に設置された祭壇にある供物を整え、新しい水に取り替え、そして香炉に線香を3本三角になるように刺し、火を付ける。

 そして合掌し、目を閉じて小さく短いお経を唱える。


 声が聞こえた。


 誰かを呼ぶ優しい声が。


 彼は、目を開き周りを見回すも突然だが霊安室の中には誰もいない。


 しかし、声は聞こえる。


 彼は、棺の中の老女を見る。

 老女に変化はない。

 白い布に顔を覆ったまま横たわっている。

 しかし、その表面から青白い炎のようなものが陽炎のように揺らめいているのが見えた。


 先程、長女に言ったことは嘘ではない。

 彼には霊能力と言った類のものはない。

 祓ったり、霊を降臨させたりそんなことは出来ない。

 しかし、この体質のせいか人よりも感覚が敏感な為、見えないモノが見たり感じたりすることくらい

は出来る。


 首筋に不均等なブラシで撫でられたような不快感が走る。


 彼は、部屋の角を見る。


 闇色のドロのようなモノが蠢いているのが見える。


 良くないモノは角に溜まる。


 彼は、胸ポケットから四角い小袋を取り出すと闇色のモノに近づく。

 そして小袋の封を切ると中身をばら撒く。

 白くざらめくものが闇色のモノに降りかかる。

 塩だ。

 葬儀会社で働くものとして塩を持って歩くのは習慣となっており、ないと逆に落ち着かなかった。

 闇色のモノは、身悶えるように身体を震わせ、蛞蝓なめくじのように溶けて消えていく。

 見えなくなったのを確認し、安堵の息を吐く。

 再び、首筋に不快感が走る。

 彼は、別の角に目を走らせるとそこにもどろっとした闇色のモノが蠢いていた。

 彼は、困ったように頬を掻く。


「こりゃ助っ人を呼ばなきゃダメか」

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