アルティメット怪談
みあかし
アルティメット怪談
「これはね、私の友達のお兄さんが、その友達から聞いた話なのだけれど……」
夏休みだからアパートに集まって怪談を持ち寄ろう。いまどき珍しいクーラーのないアパートでひと夏をしのぐため、そんな涼を納める企画をしていたのは、女子大学生3人。ステンレスの脚の折り畳みテーブルを囲って各々がうちわをあおいでおり、じっとりと張り付くTシャツの襟元を時折つまんでは気怠そうにしていた。さっきまで2人がインターネットのどこにでも転がっている、言ってしまえばどこかで聞いたことのある話を語っていたものだから、3人の雰囲気はうだるような暑さのせいもあって緊張感のなさに拍車をかけていた。
そんな中、最後の一人、赤い眼鏡をかけた彼女はそんな雰囲気を打破するように、急に怪談を語る噺家のように姿勢を正して語り始めたのだった。アパートの借主の金髪の友人と集まった髪に明るめのインナーカラーを入れた友人もそれを察して少し身じろぎをし、聞き入る姿勢になる。
蝉の声がやけに五月蝿く湿った熱を運んできていた。
***
ある学生のAくんが院へ進む際にやまれぬ事情で引っ越しをして半年後、彼のバイト仲間3人は宅飲みの会場として使うために彼の進学と引越しの祝いを口実として集まっていた。
とはいえ、そこに集まった4人全員がお酒に弱くノンアルコールの飲料を手にしていたし、雰囲気に酔うために大声を出すのは壁の薄さと深夜近い時間帯ではばかられたので、何か特別な雰囲気を味わうべく誰からということはなく近くの心霊スポットに出かけようと言い出したのは、なんとも自然な流れであった。
車を出したのはおかっぱメガネのBくん、助手席に茶色の短髪のCくん、そして後部座席に年中頭にタオルを巻いているDくんとAくんが座っていた。
Aくんが引っ越したところからだいたい車で30分くらいのところには、掲示板にも書き込まれるような有名な廃トンネルがあり、地元の不良や近くに住む大学生たちがよく肝試しに集まるという。治安維持のために立ち入り禁止の看板が設置されたり、事故防止のために明かりがつけられたり等、定期的な整備が入っておよそ想像しているような心霊スポットとはかけ離れてしまっているが、それでもここは出る、というあいまいな噂が浮かれた人々を惹きつけてやまないという。
他愛ない会話をしながら、4人は何事もなくカエルと何かの虫の静かな鳴き声だけがうっすらと聞こえるトンネルの入り口へとたどり着いた。車を降りた時の空気はしっとりと重たく、夜の冷えた温度が心霊スポットらしさを演出しているようだった。4人の肝試しのルールはトンネルを抜けた先にあるといわれている石のオブジェを撫でて帰ってくるというもの。
そんなおどろおどろしい空気と肝試しとは裏腹に、車の中で霊感がある、と言っていたBくんとDくんは揃って平気そうな顔をしていたし、思った以上にきれいにされていて明るく照らされているトンネル内に全員が拍子抜けをしていた。
BくんとDくんが先行して何もないことをやって見せ、冗談を言いながら戻ってくるものだから、順番でCくんまでへらへらと笑いながらトンネル内へ向かったのだった。
ところが、Cくんがトンネル内に入り、下るようなうねりで姿が見えなくなった時、BくんとDくんが急に笑うのをやめて真面目な顔をして黙りこくった。Aくんはさっきまでの冗談の延長だと思い、
「おいおい茶化すなよ」
と、薄ら笑いを浮かべたが、BくんDくんの2人はいたって冷静な態度で静かにトンネル内を凝視していた。
「なァ、これやばくないか」
「まずいことになったかもしれん」
と2人が独り言のようにつぶやき始めたころ、Cくんが慌てた様子で帰ってきた。Aくんは彼の少しおかしい様子に疑問こそ持ちはしたものの、BくんDくんほどには警戒をしていなかった。
「おい、トンネルは抜けられたかC」
BくんがCくんに問いかける。
「何言ってんだよ、途中だいぶ水溜まってるところあったぞ! お前らこそどうやって濡れないで抜けたんだよ。本当はビビッて引き返してきたのか? ありゃ無理だぞ」
Cくんの答えにBくんとDくんの表情が曇った。Dくんが先ほどの独り言くらいの声で聞く。
「俺は昔から鼻が利くタイプの霊感もちなんだけど、途中からドブの川みたいな臭いがしはじめたんだ。C、他に何かあったか」
「他にって、なんもねェよ! 水溜まりで困ってたらお前らがおーいって大声で何度も呼び戻すから走って帰ってきたんだろうが!」
Cはほとんど半狂乱みたいになって怒気を込めたように叫んだ。
Cくんの叫びの残響がトンネルから反響してきたのを発端に全員が息を殺して押し黙り、訪れた静寂の中を、恐怖がトンネルからにじり寄ってくるような感じがして、すぐさま4人は車に飛び乗って帰ったのだった。
アパートに帰るまでの車の中、誰もCくんを入口から呼んではいなかったこと、肝試しで先行した2人は水溜まりなんて見なかったことをCくんに話し、一般的に怪談では幽霊が自分では家の中に入れないこと、逆をいえば、幽霊の呼びかけに応えてしまうと幽霊がつけいる隙を与えてしまう、というようなことをBくんが語り終えたころ——
「もういい、これ以上はやめてくれ」
3人のおーいという呼びかけに応えてしまったCくんはダッシュボードの下を虚ろに見たままそう呟いたのだった。アパートについて、4人は申し訳程度だが塩を全身に少しずつかけ、その日はAくんの部屋で全員が身を寄せ合って寝た。それから何事もなく夜を明かせたので、全員がほっとしたような表情で起きたのは言うまでもなかった。
しかし、異変があったのはそれから数日後。Cくんは突然消息を絶った。
それから、Aくんの身の周りにも少しずつ異変が起きるようになっていた。行く先々の薄暗いところからドブ川のような臭いがしてくるようになったのだ。例えば、室外機だけが並ぶ路地裏、線路わきの駅へ通じる道、街路樹の手入れがされずに生い茂る大学寮までの道。人通りのないどんな場所でもそんな臭いがするものだから、Aくんはどんどん気が滅入っていき、ついにはCくんがそんな道の奥から呼んでいるような気がしてきてしまっていた。そうやってその悪臭と向き合っているうちにCくんが消息を絶った原因になったのは絶対にあのトンネルに肝試しに行ったせいだと確信し、Aくんも途中で切り上げたせいでCくんと同様トンネルを抜けた先の石のオブジェに触れていないことに気づいたのだった。
事実、石のオブジェに触れて帰ってきたBくんとDくんはCくんがいなくなったことに動揺はしているものの、Aくんのような現象には悩まれていないという。
このままではCくん同様、Aくんも消息を絶つようなことになってしまうかもしれない。そんな不安があのトンネルのことを思い出すたび、その奥からジワリと染み出す湧き水のように襲い掛かってくるのだった。
そんなことが続いてだいたい一週間くらいが経ち、Aくんはとある小規模な催しに参加していた。催し、といっても人が多く集まることはなく、毎年今日というこの決まった日に地域の人々が各々日中の好きな時間に三叉路の分かれ道にある石像に触れていくだけというものだ。Aくん自身その催しに参加しようと思って石像のもとへ赴いたわけではなく、引っ越した先のアパートの住民がAくんの疲弊した姿を見て気分転換に、と勧めてくれたのだった。
石像のところに着くと、折り畳みの小さい椅子に座って遠くを眺めている老人がいた。何やら昔の流行歌のようなものを口ずさんでおり、少しだけ不気味だな、という印象だった。
——と、突然老人がAくんに語りかける。
「なァ、若いの。良くないものは、ほれ、これ撫でて落としていきんさい」
Aくんは話しかけられたことに驚きながら、おそるおそる老人が指さした先にある石像を見つめ、一呼吸置いた。
今のAくんには怪しげな老人の言うことでも活路に見えて、神にもすがるような思いでその石像を撫でたのだった。
するとどうしたことか、Aくんの顔の上にずっとあったような恐怖はすっかり消えてなくなって、その日を境にAくんに降りかかっていたドブ川の臭いはぱったりとしなくなったのだという。
後々分かったことだが、あのトンネルが通る山は大昔、大きな川がまっすぐ人里の方へ、それも雨が降るたびに氾濫するような激しさで流れていたため、人身御供をたびたびしていたらしかった。
川は後に工事で流れる方向を変えられて、今は別の方向に流れているということだったが、人身御供の供養をするための石像はその地に残されたのだという。
人身御供のことは次第に忘れられて、撫でると悪いものが落ちるという話だけが伝えられたのがあのトンネルの先にあった石のオブジェではないかといわれている。
——そんな話をAくんに聞かせてくれたのは例の三叉路にいた老人であったが、彼はこうも言っていた。
「あの川はもうほとんど干上がってしまったがな、わずかに流れているのが今この三叉路まで流れてるんよ」
あの三叉路にあった石像は、あの山からの人身御供の怨念のようなものを抑えるために立てられている、ということを暗に示されたAくんは、石像に触りに行くあの日に三叉路までいかなかったらいったいどうなっていたのかと想像するだけでも背筋が凍るような思いになるのだった。
***
「……っていうのが私の用意した怪談なんだけど」
赤い眼鏡の彼女が一通り語り終えると、明るいインナーカラーの入った友人がスマホをいじり始め、とある記事を見せてくる。
「もしかしてなんだけどさ、Cくんがいなくなった顛末ってこれ?」
約十年前、二十代の男性がダムに落ちて死亡、という記事だった。事故の場所は三人が集まっているところから少し離れた市内にあった。
「いや怖がらせないでよ! 風月がそういうの苦手って知っててやってる?」
アパートの借主の金髪の彼女が大きな声で少し怒る。
「いやいや、なんか聞いたことあるなって思ってさ。結局噂程度にしか知らないんだけど、なんかこの事故の後さ、石像触りに行くの友達の間で流行ったなって思い出してさ。ごめんて」
ニヤニヤしながらわびたインナーの友人は、この怪談はここで終わりとでもいうように一旦深呼吸をした。
「たしかに、その話なら私も聞いたことあるよ。んで、この近くにもさ、あの山からの水が流れている水路があるっていう噂と、ちょうど撫でられて削れているみたいな石像もその近くにあるんだよね……」
アパートで怪談をしていた三人の女子大生は、静まり返った部屋でお互い目くばせをすると、部屋の暑さも忘れてサンダルをつっかけ、蝉がうるさく鳴きわめく外へと繰り出し、噂の石像を撫でに行くのだった。 (終)
アルティメット怪談 みあかし @uwashiro_miakashi
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