第2話「アリエン・ロッベン」

 溜息交じりに僕の部屋へやってきたリサちゃんに聞くところ、件の殺人鬼はまだ見つかっていないらしい。

「人の夢の中に土足で上がり込んで挨拶もないなんて、随分と行儀の悪い殺人鬼もいたものね」

 困ってるリサちゃんもかわいいよな。

 リサちゃんは物静かな雰囲気のわりには口数多くおしゃべりが好きな方で、僕はいまリサちゃんが話を聞いて欲しそうな目をしているから、リサちゃんの話の腰を折らないように具合良く相槌を打ちながら黙ってその話を聞いている。

 リサちゃんは持参したバヤリースのりんごジュースを飲みながら、淡々と口を開く。

「殺人鬼――というのはね、ただ殺人鬼というだけで観測出来るものじゃないのよ。普通は、痕跡があって初めて殺人鬼だと言われる。つまり今回の場合は『夢の中で殺人が行われた』という証言が多数あったことで、殺人鬼を観測したの」

「夢の中なのに、それはやっぱり殺人と言えるの?」

「そうよ。あなただって出会ったでしょう。人の社会性を殺す『目地殺し』の闇瞳遮光あんどうさえみつや、人の存在感を殺す『気配殺し』の面井野おもいのつみき、人の記憶力を殺す『初見殺し』の刺腑鉄塔さしはらでっど、そして私、人の居場所を殺す『住処殺し』の兵器最終。私たち殺人障害者にとって、人の何を殺すのかはそれぞれ違うわ。そうやって殺人衝動は抑えられる。夢の中で誰かを殺す、そんな殺人鬼だっているということよ」

「なるほどね」

 納得出来るような出来ないような、やっぱり僕には夢の中の殺人を何人も目撃しているなんて、それは集団ヒステリーみたいなもんじゃないかと思うのだけど、僕なんかよりも殺人鬼に詳しい殺人鬼組合の殺人鬼がそれを殺人鬼と言うのだから、それは殺人鬼なのだろう。あるいはその集団ヒステリーの原因こそが殺人鬼であるのなら、やはりその集団ヒステリーは殺人鬼による何らかの殺人なのだ。

 まあ確かに、僕の出会った殺人鬼たちは、人の命を奪うことはなかった。闇瞳さんは子供たちをわがままにしただけだったし、鉄塔なんかは「初対面である」という記憶を殺して人の懐に土足で上がり込んできただけだ。その他にも何人かの殺人鬼に僕は出会ったけど、やはり誰もが、その疎ましい病気に悩まされているというだけの人たちだった。あるいはリサちゃんもそうなのかも知れないし、今度の殺人鬼だってそうなのかも知れない。

「この殺人鬼にはまだ名前がないわ。身元も不明。草の根を分けて調査をしていくしかないわね」

 名前のない殺人鬼――人の夢の中で誰かを殺して回る、薄ぼんやりとした存在。

 そんなものが本当に存在しているのか?

「……殺人鬼として観測出来たってことは、殺人鬼の誰かがそれを観測したってこと?」

「元は噂話よ。殺人鬼組合は日本中の噂話を収集しているの。それが殺人鬼による『殺人』である場合があるから。――その噂話がここにきて、この町で集中して増えた。その噂話を収集した結果、殺人鬼と認定されたの。

 まあ、とは言え、知介の言う通り『そんなものが本当にいるのか?』とはまさにその通りで、こうして手がかりすらまだ掴めていないんだけどね……せめてその殺人鬼が殺しているのか分かればいいのだけど」

?」

「夢の中の殺人が、殺人障害のによるものであれば、何かを殺した結果としてその夢が現れたと考えられるわ。でも噂の発信となった人から、特にそれらしい人を目撃したとは聞かない。まだほとんど手がかりがないのよ」

「ふうん、なるほどね」

 人の夢の中で、人を殺す。

 人の夢の中の誰を殺しているのか。

 そんなものが分かるとは到底思えないので、なるほど、どうやらリサちゃんと放課後に遊べるようになるのは、もう少し先の話になりそうだ。



    ★



 リサちゃんと遊べないあいだ、僕たちはドゥ子さんとの交流を深めていた。

「いやだからさ、たとえばね、たとえばだよ。君たちからすればもう、完全に性の対象なわけじゃん、私は。私、ジョン・ドゥ子はよ」

 その日の公園にいたのは僕とノボルとアッキーとドゥ子さんだけで、ノボルとアッキーがPKの練習をしているのを、僕とドゥ子さんは少し離れたところから眺めている。

 眺めているはずなんだけど、マジでこの人は何の話をしてるんだ?

「いやドゥ子さんマジでなに? 僕ら思春期だからそういうのやめて欲しいな」

「そんな俯瞰的に言われちゃうと私も少し冷静になりそうだけど、まあ聞いてくれよ少年。シロスケくん、君になら話せる気がするんだよ」

「僕のことをシロウスケってちゃんと呼んでくれたら考えても良いかな」

「シロースケだと間延びしちゃってかわいくないからなあ……」

「まあいいけど……僕だけあだ名っぽいとアッキーが悔しがるから、アッキーのこともアツキじゃなくてアッキーって呼んであげてよ」

「やぶさかじゃないな。そうするそうする。……それでまあ、つまりシロスケくんたちが私のことを性の対象として見てるじゃん?」

「僕は見てないけど、見てるやつもいるかもね?」

「じゃん? で君らが私のことをおか……ははは。はしたないけど他の言い回し知らないや、私のことをおかずにするじゃん?」

「何を恥ずかしがったのか分からないけど、その言い回しなら初日に聞いたからね」

「おかずにするじゃん?」

「まあ僕はしないけど、するやつもいるかもね?」

「そんでさ、私が君らのことをおかずにするじゃん?」

「何言ってんの?」

「それってもはや広義の性交渉だと思うんだよね」

「いや本当に何言ってんの?」

 この人、マジもんの変質者じゃん。

 やば。警察に通報した方がいいかもな。

「いやまってまって! ごめんって! ちょっと男子中学生との距離の詰めかた間違えたわ。シロスケくんって弟みたいだからいけそうな気がして」

「弟だとしてもヤバいでしょ、こんな話をしてくる姉は」

「そうかな? うちの弟は嫌がってなかった気がしたけど」

「ドゥ子さんと同じ変質者だったか、めちゃくちゃ人の良い弟さんだったんだね」

「くそ、なんでだ……男子はみんなえっちなおねえさんが好きなんじゃないのか……」

 もしいまの一連の下りがドゥ子さんにとっての「えっちなおねえさん」の解釈だとしたら、ドゥ子さんにはその素養がないと言わざるを得ないだろう。えっちなおねえさんはもっと魔性があり、ミステリアスで、色香がある。ような気がする。僕の貧相な想像力の上では。

「……あ、そういえばドゥ子さんと会った日に、ドゥ子さんのことを訪ねてきた、ちょっとえっちなおねえさんがいたよ」

「ほう、つまりえっちなおねえさんを訪ねてきた、ちょっとえっちなおねえさんがいたってことね?」

「いやドゥ子さんを訪ねてきた、ちょっとえっちなおねえさんだよ。いや、えっちなおねえさんってなんだよ。なんかドゥ子さんの知り合いのような違うような、そういうことを言ってたよ」

「へえ、誰だろう。この町に私のことを知ってる人は、家族以外にほとんどいないはずだけどな」

「えーっとたしか、名前が……針山錵さんって言ってたかな」

「針山……なるほど。その人は私のことをなんて言ってた?」

「ドゥ子さんのことは知らない人だけど、見てると心がざわつくって言ってた」

「ふーん、そう、そっかそっか」

 さっきまでの楽しそうな変質者顔から一転して、針山錵の名を聞くとおねえさんは少し考えるような表情をした。

 長い睫毛、すっと通った鼻筋、少し薄めの唇……。

 普段からそうやって理知的な顔をしていれば、なるほどやはりアッキーが夢中になるくらいには美人なのだろう。

 でも、なんだろう。

 僕はその顔を見て、どういうわけか、少しだけ何か引っかかるものを感じた。

 しかし僕の引っかかる何かを遮って、くたびれた様子のノボルが僕たちのところに帰ってくる。

「あーー、ダメだ。アッキーにはPKの女神がついてないわ」

 どうやらアッキー相手にゴールキーパーをするのに疲れ果てたらしい。

「へー、アッキーくんはPK下手なの?」と聞いたのはドゥ子さんだ。

「下手……とまでは言わない……けど……いや、やっぱ下手だな。蹴る方向ほとんど分かるし」

「ほーん。おーし、じゃあ次はこの家出少女様が直々に女神となって降臨してやりますか。おーいアッキーくーん! 女神がいくよーー!」

 なんて言いながらおねえさんはアッキーの元へ駆けていった。

 そしてゴールキーパーをおねえさんに交代して、再びPKの練習をはじめたが……確かに全部止められてるか外してるな。

「PK、アッキーと何本くらいやってたの?」と、僕は芝の上に大の字になったノボルに話しかける。

「あー、数えてねえけど、三十本くらい?」対して、ノボルは空に向かって答えるようだった。

「ポイントは?」

「ゼロ」

「え! ゼロ? あの、何もないということで有名な?」

「そう、あのゼロ。古代インド人もびっくりのゼロ」

「アッキーすごいな」

「サッカーも運動も下手じゃないのに、マジでPKだけ終わってる。……あとはまあ、女神様のご加護にまかすしかないか」

「さもありなん」

 ともあれノボルの指導を受けてもダメなんだから、道は長そうだ。

 しかしアッキーはおねえさんと遊べて大分嬉しそうだ。年上が好きと言っていたからおねえさんが僕らの友達になってくれたのは僥倖だったろう。

「……そういやドゥ子さんが来てから、そろそろ半月くらい? 結構長いね。家出ってそんなもんかな。ノボルは家出したことある?」

 僕の問いかけに、ノボルは少し間を置くと、ようやく身体を起こして僕の方を向いた。

「あー、いやお前が憶えてるか知らないけどさ、小五の時に一回お前んちに泊まったの憶えてない?」

「うわ懐かしい、いま急に思い出した。あったね、そんなこと。ノボルが泣きギレしながら来たからめちゃくちゃビビったの憶えてる」

「まあ色々と思い通りにならないことがあってマジでわけ分かんなくてなって家出したんだけど、それくらいかな。かーちゃんとねーちゃんを困らすつもりで家出したのに、帰ったら『知介くんの家から連絡があったよ』って言われてがっかりしたわ。なんだよもっと心配しろよーって」

「……あ、それちょっと違うな」

「何が?」

「うちから……ていうかうちの親から連絡したんじゃなくてさ、もう最初から、ノボルが来る前にノボルのお母さんからうちに連絡がきてたんだよ。『多分そちらに行くと思うんです』って。めちゃくちゃ心配しながら」

「は? マジ? それ聞いてないんだけど」

「理由があって言わなかったんだろうね。僕がいま言っちゃったけど。――まあ家族ってそんなもんだよ。分かんないことも分かり合えないこともあるけど、特に親なんかは僕らのことをよく見て、やっぱ理解してくれてるもんだと思うよ。もちろん心配もしてくれてる」

「…………」

「マジな家出なのか、ちょっとスネてるかくらいの判別がつくくらいには、理解してくれてるんじゃないかな」

「――いや、まあ、全くもってその通りなんだろうけど、お前それは……まあいいか。じゃあ家出はしたことないわ。スネてお前んちに泊まりに行ったことがあるだけ」

「小五でそれなら立派な家出だと思うけどね。――ドゥ子さんには、心配してる家族はいないのかな」

「ああ――そりゃいるだろ。家がなけりゃ家出は出来ないわけだし」

「そうか、帰る場所があるから家出なんだもんな。でもドゥ子さん、多分成人してる……よね? してんのかな。あまりにも中学生男子と遊べすぎてるもんな……まあ成人してるとして、それも家出になるのかな?」

「家出は家出だろ? 失踪っていうのかも知れないけど」

「まあそうか。警察に届けたりしなくていいのかなあ……」

「まあなー。でもドゥ子ねえちゃんにも言い分はあるだろうし……あ、そういやこの前、ドゥ子ねえちゃんのこと見かけたな」

「公園の外で?」

「そう。声をかけようと思ったらいつの間にか姿がなくて、脚が速すぎると思ったわ。あれは勝てない。ロッベンより速い」

「いやいやアリエン・ロッベンより速いことはないでしょ」

「いやー、足速くなる食いもん教えてもらうしかないわ」

「ぶどうぱんが好きって言ってたよ」

「明日から食うわ」

 なんてノボルが言ったところで、アッキーが蹴ったボールがゴールネットを揺らしたのが見えた。――どうやら女神は降臨していたらしい。



    ★



 次の日、僕は本屋に用事があって、町の中心地まで出ていた。

 ノボルはサッカーの練習でいなかったし、リサちゃんも相変わらず殺人鬼の調査とやらでつかまらず、アッキーもヒロヒロも生憎と忙しそうだったので、僕はしばらく本屋で時間を潰してから家に帰ろうとしていた。

 ドゥ子さんを見かけたのはその時だ。

 本屋を出て町の大通りから外れて、住宅地に差し掛かろうかとする時、五十メートルくらい先を歩いているドゥ子さんがいた。

 公園以外で見かけるのは初めてだったので、僕は声をかけようと、少し駆け足でドゥ子さんに近づいてく。

 ――しかし、なぜか近づくことが出来ない。

 ドゥ子さんは歩いているように見えるが、僕の駆け足と同じ……いや、それ以上の速度で離れているように見える。

 いやいやいやいや。何だこれ。

 僕は次第に走る速度を上げてドゥ子さんの背中を追いかけるが、一向に追いつくことが出来ない。歩いてるのにめちゃくちゃ速い。絶対にロッベンより速いぞあれ!

 ――嫌な、予感がした。

 僕はリサちゃんの顔を思い出す。

 これまでに会った、殺人鬼たちのことを思い出す。

 自分がうっすらと感じ、押し殺していた雑念を思い出す。

 楽しそうに笑うドゥ子さんの顔を思い出す。

 ――僕はいつの間にか、町外れの工業団地まで来ていた。どうにかドゥ子さんを見失わないまま、しかし息も切れ切れにそれを追いかけている。

 やがてドゥ子さんは工業団地のさらに外れ、いまは使われていない小さな工場の中に入っていった。この廃工場のことは知っている。小六の夏休みにノボルと忍び込んで、何度か遊んだことがあったからだ。

 勝手知ったる工場の中を進み、なんとなく気配のある方へ、僕は大きな作業場のあたりまで出る。

 視界が開け、中に二人の人がいるのが、分かった。

 そして――そして僕は、

 ドゥ子さんが、殺されているところを、見てしまった。

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