対決
ふわっとした感触を覚え、その次に浮遊感、と思ったらいきなり体が重くなって、頬に冷たいコンクリートが触れた。
「アキちゃん!」
三淵くんが駆け寄ってくる。
「出られたの?」
こっちも立とうとしたが体が思うように動かず、再び床に突っ伏した。まさか、まだ谷堂にとらわれている……と思ったら尾形氏が背中に乗っていた。
「尾形さん、良かったら降りてもらえる?」
「し、失礼」
尾形氏が慌てて立ち上がり、私も三淵くんに手を引かれて体を起こした。その手のぬくもりで、緊張の糸が切れたようだ。私は上半身を三淵くんの胸に委ねた。鼓動が聞こえて心地よい。
「三淵くん……。私、もうダメかと思った」
ところが三淵くんは私の体を押し戻した。
「まだ終わってないよ」
三淵くんの瞳に光が宿り、視線が私の後ろに向かった。振り返ると、谷堂の原稿が渦を巻いて矢印のような形になっていた。
「こいつ、逃げようとしてる。アキちゃん、立てる?」
立てないと言いたいのを我慢して、心の中で谷堂を呪詛しながら三淵くんの後ろに回る。
「尾形さん、先に出てください。アキちゃんは次だ。急いで」
尾形氏はうなずいて階段を駆け上がった。私がそれに続き、最後に三淵くんが、渦巻く原稿の方を向いたまま後退する。警戒しているのか、原稿はこっちに向かってこない。
階段上の書庫へ先に出た尾形氏と私が見守る中、三淵くんが後ろ向きのままゆっくりと階段を上ってきた。
「アキちゃん、僕が出たらすぐに通路を封印して。じきに市役所の応援が来る」
「わかった」
私は封印の言葉を唱え始める。それに反応して、開け放たれていた地下への扉が持ち上がり、がたっと音を立てた。三淵くんの視線がちらりと扉を向く。
次の瞬間、原稿がばらばらになって、突風と共に吹き上がった。三淵くんがちっと舌打ちしてプノイマの力で押さえこもうとしたが遅かった。原稿は私たちの上で円錐形になり書庫を抜けていく。
「待てっ」
追いかける私と尾形氏をかわして、原稿は裏の廊下に出ると、引き戸に突進して打ち破った。
「アキちゃんどいて」
三淵くんが書庫から飛び出す。瞳の光がそれまでに見たことのないくらいに強い。
「止まれえっ!」
渾身の力で放たれた霊気の塊が直撃して、原稿はがくっと地面に落ちた。しかしまだ力が残っている。今度は蛇のように細長くなり、素早く地面を這って逃げようとする。
三淵くんが廊下に倒れこんだ。とっさにその体を抱き止める。顔色が異様に白い。危険だ。
急激なプノイマの使用は精神を構成する要素を消耗し、記憶喪失や感情の欠損など重大な障害を残す場合がある。急いで補給が必要だった。私は拙い能力で、自分のプノイマの一部を三淵くんに送る。
額に薄く汗をかいた三淵くんは、半分目を閉じながら言った。
「僕よりあいつを止めて」
「あなたが先よ!」
谷堂より三淵くんが大事だ。
「私がやります」
声と共に尾形氏が庭に飛び降りた。
「こうなったことの責任は私にある」
「尾形さん、あなたじゃ無理だ」
三淵くんは弱々しく手を伸ばす。
「やってみなきゃわからんでしょう」
そう返すと、尾形氏は蛇になった原稿に飛びついた。蛇は左右に身をよじって振り落とそうとする。が、尾形氏は必死の形相でしがみついている。
原稿の先、つまり蛇の頭に当たる部分が鎌首をもたげるように持ち上がり、振り返った。と、その先端が二つに分かれて、尾形氏の肩口に噛みついた。うわっと叫びを上げた尾形氏の手が蛇から離れる。
「尾形さん、離しちゃダメ!」
私の声もむなしく、蛇は尾形氏をくわえ上げるように体から引き離し、勢いをつけて放り出した。
仰向けに落ちた体が、庭の隅にあった丸い物にぶつかった。中から小さな何かがいくつも飛び出して、庭を転がる。その一つが蛇の尾に触れたと思った次の瞬間、尾が燃え上がった。
蛇は狂ったように尾を振って火を消そうとした。だが所詮は紙である。火は瞬く間に燃え広がり、胴体から頭までを燃やし尽くしていく。
私はその様子をただ呆然と見ていた。
「なんてあっけない……」
「普通なら呪物が簡単に燃えたりしないよ。あいつももう力を出し尽くしてたんだ」
膝の上で、頬に血色の戻ってきた三淵くんが言った。
炎に包まれた頭が崩れた時、風に乗った紙片が一つ舞い上がった。落ちてくるそれを、起き上がった尾形氏が両手で受ける。私は聞いた。
「尾形さん、それは?」
「名残りです、祖父の」
尾形氏はその紙片を抱き締めるようにしてうつむく。
「私に預からせてください。少しの間でいい」
「いや、それは」
「三淵くん、待って」
私はその言葉を遮った。
「もう大丈夫よ。預かってもらいましょ」
三淵くんは私と尾形氏の顔を交互に見比べると、苦笑してうなずいた。
「アキちゃんが言うなら」
「ありがとう」
三淵くんの頭をなでながら、私はにこっと笑った。
「それはそうと三淵くん、火の始末はしたって言わなかったっけ」
「えっ、壺に炭を入れればいいんじゃ――痛てっ」
最後のは私が三淵くんのおでこを指で弾いたのだ。
「ちゃんと蓋しなかったら火が消えないでしょうが」
突然の光を朝と勘違いしたのか近くでヒグラシが鳴き始め、すぐに静かになった。
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