月を打て

北西 時雨

本編

 クーラーの効いた部屋の午前中。

 少女が、折り畳み式のちゃぶ台の前にぺたんと座って、先月のカレンダーの裏紙を広げる。

 ボトル型のペンケースをドンと立てて、サインペンを抜き出し構える。

「さて――。始めましょうか」

「どうぞ?」

「手伝ってよぉ~」

「何を」

「夏っぽいもの、いっぱい挙げて」

「はぁ」

 僕が困惑していると、彼女の方から説明が入る。

「夏に出す小説なんだから、夏っぽいテーマがいいと思っていてね」

 彼女はそう言いながら「暑さ」「夏休み」「祭り」「アイス」と書き足していく。

 彼女は文芸部に所属している。夏休み中に小説を書いて提出する必要があるそうだ。

 僕はというと、昔馴染みであるところの彼女の家にお邪魔して夏休みの宿題をやっている。僕達どちらの保護者もいない昼間、放っておくと飲食を忘れて干からびている彼女のところで、涼ませてもらいながら面倒を見ている。いいかげん高校生にもなって、中学生の僕から世話を焼かれているというのもどうなんだと思わなくもない……。

 彼女は僕の心配をよそに、裏紙に単語を散らばらせて書き足していく。

「あとなんだろう。関連していること、でもいいよ」

 そう言いながら、「祭り」に繋げて「花火」「屋台」「浴衣」「夜」、「暑さ」と「アイス」を繋げて、「アイス」と「祭り」を夏休みに繋げる。

 僕は投げやりに答える。

「季語のサイトとか見に行けばいいんじゃないのか?」

「あったまよー」

 彼女は手元の端末で俳句や短歌の季語を検索して列挙していく。

 書きながら、彼女がぼやく。

「こういうのって、『これ夏かー?』ってのちょいちょいあるよね」

「昔の習慣とかな」

「『これは夏です!』って言われても、通じない人が多そうなものはやっぱ違うかなと思わんでもない」

「確かに」

 僕は適当に相槌を打つ。彼女は宙を仰いで呟く。

「ちっちゃい女の子が、猫を追いかけて路地で迷子になる話とか、ひと夏の冒険的な」

「いいんじゃないか」

「オチが思いつかない。てか『なんで?』ってならない?」

「いやそこを考えるのが作家の仕事だろ」

「あとは、会社員のお姉さんが急に親戚のショタの家庭教師を頼まれて夏休みの宿題の面倒を見るとか。お姉さんは仕事とか将来のこととかに悩んでて、親戚には『大卒すごいねー』とか言われるのに全然そんな感じじゃないなー仕事も普通の事務職だしなー、とか思ってて、ショタは最初すっごい生意気でじっとしてない感じなんだけど、お姉さんが勉強を教えてあげると意外と頭良かったみたいなやつで、最後はお姉さんが『ちょっとずつでもできることをやろう』って資格の勉強か何かを始めるところで終わるような」

「けっこうできてるじゃん」

「いや……要所要所に出てくる勉強っぽい話題が思いつかない……調べる時間が必要だし、そもそも尺長めの話になりそうだから単純に原稿書く時間もいるし、お姉さんは最初ショタに噓を教えるんだけど、その嘘もなんかそれっぽいものにしたいから引き出しがねええぇぇ」

「文句ばっか!」

 思わず強めに返す。それでもうんうんうなっているので、適当に言い加える。

「えー……。難しく考えずに、『お祭り行って楽しかったー花火きれー』みたいなんでいいだろ」

「いやそういうのもいいんだよ? でもさぁぁそういうのは後輩ちゃんらが書いてくるわけぇ。部長はもうちょっとテーマっぽいものを出しておきたいわけですよーぉ」

「プライド不利」

「やぁあ……」

 彼女がちゃぶ台に突っ伏してうめく。僕はこんな様子しか知らないから分からないけど、いったいどんな顔して部長してるんだろう……。

 彼女が顔を上げて言う。

「そもそもさ……『夏』って、なんだろうね」

「どうした」

「最初に『暑さ』って書いたけど、もう外ってそんな悠長な事言ってられないくらい暑いじゃん?」

「今クーラー効いた部屋にいるしな」

 ちょっとうるさいから放り出してやろうかしら。

 彼女が伸びをしてぼやく。

「ここまで暑いと『暑いなー』とか言いながらなんかするって感じじゃないよね。夏とか感じる前に死ぬよねっていう。麦茶ックスとか腹上死より先に熱射病の心配しなきゃいけないとか情緒ないやん」

「高校生がエロを書こうとするな」

 急に下ネタ振られて吃驚したわ。

「いや学校で出すんだからエログロは禁止っすよ心配なさんな」

「まったく……」

「で、『夏』って実は存在しないんじゃないかって」

「急に来たな」

「『夏っぽいもの』の認識ってなんとなくあるのに、じゃあそれ本当にこなしたことあるか? 食べたことあるか? 行ってみたことあるか? ってなると無かったりするというか」

「まぁそれは……アニメやラノベにあるみたいな完璧な学生生活がないのと同じでは」

「確かに……。勉強やって部活やって友達と遊んでデートもしてってゆーて無理だかんね。時間も体力も有限だからね」

「めぐりあわせもあるだろうからな。相手が必要なことは」

 ところで彼女には彼氏はいないのだろうか。まぁこんなところで僕相手に喋ってるくらいだから、いないんだろうなぁ……。

「夏だからって夏っぽいことしなくてもいいか……。んんんんでも夏っぽくないまま過ぎていく夏とか嫌だああぁぁぁ」

 そんな情けない絶叫をして、後ろに倒れ込む。

 そのまま静かになった彼女にこう話しかけた。

「実は台所に冷たい麦茶が」

 僕の言葉にがばりと起き上がって言う。

「あああああちょうだいちょうだい」

 僕はすぐさま台所に行ってコップ二つとガラス容器に入っている麦茶をお盆に乗せて部屋に戻る。

 コップに注いで彼女に手渡す。

「ありがてぇ~」

 そんなおじさんみたいな声を発してグビグビ飲んでいく。

 完全にさっきの下ネタで出すタイミング逃してたからね。

 飲み干した彼女が口を開く。

「やっぱ取材がいるかねえ」

「取材?」

「実際に体験したことを盛り込むという」

「がんばれ」

「他人事か!」

「書くのは俺じゃない」

「ツメテー」

「もう十分付き合ってるだろう」

「それはそうだがー」

 それからまたうんうん言い出した彼女のコップに麦茶を注ぎ、僕は宿題に戻る。話し相手をしていたらいつまでも喋っていそうだ。

 お昼どうしようかなぁ。素麵や蕎麦はあるみたいだけど、茹でるの暑いからな……また炒飯とかになりそう。

 僕の心配をよそに、彼女が呟く。

「……VRか」

「夏関係なくないか?」

「いや、体験系は結構圧縮してこなせそうじゃない?」

 夏体験VR。夏休みっぽいことする感じのゲーム。なんだろう、どことなく哀愁を感じてしまうような。

 彼女が言う。

「ムーンショット計画というのがあってね」

「SFワードか?」

「現実の政府が出している計画だよ。西暦二千五十年までに、人間をVR化とかして時空間の制約のない時代を作ろうっていう」

「こわ」

「安心して。希望者だけだからさ」

「えぇ……」

「VRチャットとかだと、『ワールド』みたいな言い方するみたいなんだけど、それぞれ全然違う世界が広がってるらしい? だから、そのうち、ずっと夏休みのワールドとか、全部の季節のお花が咲いているワールドとか、ゾンビをバカスカ打って一攫千金するワールドとか、自分に合った世界を選んで生きられるようになるんじゃないかな」

「そううまくいくかねえ」

「私は私が絶世の美女として扱ってくれる世界に行きたい」

「バーチャルなら顔変えられるだろ」

「それもそうなんだけど、そうじゃなくてだね。私は私の顔を結構気に入っているんだけど、でも世間的に一番の美人っていう評価にはならないわけで。もっと目が大きい方がーとか、肌が白い方がーとかあるじゃん? でもすんごいピンポイントなパラレルワールドの中にはこの私が一番理想の美人であるという世界があってもいいと思うんだよ」

「はぁ……。よくわからん。え、なにモテたいの?」

「うぅぅん……。理想の世界……って、本当にあるのかな?」

「さぁ……?」

 僕は彼女の言った聞きなれない単語が気になって端末で検索をかけた。出てきたページを斜め読みして喋る。

「『ムーンショット計画』、その昔、月面に行くのも大変だったけど頑張って達成できたので、それくらいちゃんと頑張って新時代作ろう的な意味らしい」

「へー」

 彼女は興味深そうに返事をする。にこやかなところ悪いが、これ以上与えられる情報はない。

「つまり喋ってないでなんか書けよ」

「うぇぇん……」


 彼女の両親は夜までには帰ってくるようだ。流石に知ってて長居するのもなんなので、自宅に戻ることにする。

 この時期は夕方になっても暑い。少し歩くだけで汗が出てきた。夕飯の買い出しついでにアイス買っちゃおー……。

 近所のスーパーに寄り、今晩の食材(とアイスキャンデー)をかごに入れ、会計を待つ間。レジの横に陳列されている物が目に留まった。少し考えて、一つ手に取り一緒に会計をする。


 自宅に帰り、エアコンを入れる前に換気をするために窓を開ける。薄暗くなった空に、膨らみかけの月が浮かんでいた。


 月を、打つ。


 僕は食材を冷蔵庫にしまって、さっき買った手持ち花火を写真に撮ってラインを送る。


『取材をしませんか?』



(了)

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