世界の定義と人間の限界

 人が何かを定義するとき、人はその何かについて知らなければならない。

 世界を知る。世界とは何か。

 辞書には、私が納得できるようで納得できない説明があった。


「世界とは、存在する物事や現象の総称である」


 存在は観測ありき。

 では、私の言う世界とは私の知識の全てなのだろう。

 私が観測しうるもの。先ずは五感で観測しよう。そして、私の世界はそこで打ち止めだ。


 世の中には霊能力者やエスパーなどといった、私にとってのまやかしものが数多存在するが、ともすればそれらは本当に観測していて、私とは違う世界を持っているが故のまやかしであるとの思い込みなのかもしれない。


 ここで私は知りたい。観測できるものが私の世界であるがゆえに、私の世界は言わば抽出された世界だ。

 私は、元の世界がどのようなものであるか知りたい。


 人は目標を持つと、それをゴールと定め道を作る。

 しかし、私には道が作れないようだ。


 その目標、夢は。とても人の夢らしいものだと感じる。


 人の限界は私に測ることのできるものでは無いだろうが、少なくとも、この夢を叶えられる私はいないのだろうと思う。


 無常で定命でなかったとして、この夢は叶うのだろうか。


 それとも本当にこれは人の夢であるが故の叶わないものなのだろうか。


 仮に輪廻なるものが存在しているのなら、どうかこの夢が叶う種として生み落としてはくれないだろうか。


 だから、私には「世界」を定義することはできない。


 そもそも、人がこう考えている時点で「世界」は存在しないのかもしれない。


 どこまでいっても人の夢だと感じることもまた無常であることもまた無常である。


 つくづく、人は矛盾を内包する生き物であるとする何方かの考えに納得できるというものだ。

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