全て 四田 風呂好 説
四田 風呂好
人に、原在の善性は望めるか
私は、己が内に悪性を見た。
何がその生まれ元となったのかは分からないが、私には自身の力を
生きていくうちに抱いた憧れの全てが優しさを内包してくれていたおかげで、自信をもって他者へ積極的に何かをもたらさんと無意識のうちに動けていたことは、私としては喜ばしいことだが、しかしてその根本にあるものが「傲慢さ」だと思うと残念な気がしてならない。
さておき、そんな私が得てきた知識の中に「すべてのものはいちからなる」という考えがある。言わば全て原初から生まれて、そのいちへ帰結するぞという考えなのだが、その考えをなぞると、「すべてのものには対極に位置するものがある」ともいえるのではないかと私は考えた。
原初は物差しでいうところの原点であり、プラス6にはマイナス6、或いはマイナス2とマイナス4のような打ち消しあって原点に還るものが同時についてくるのだと私は考えたのだ。
そこで私は、では人間に相対するものとは何だろうと思う。
何十日と考えても答えは出てこなかった。
もしかすると、原初論――――――「すべてのものはいちからなる」を私はそう呼んでいる――――――は間違いだったのか。そう思うと同時、答えは実際にはあるのかもしれないとも思ってしまう。
そこで一度、私は原初論を信じて、それの成立を前提に、答えが浮かばなかったことを踏まえ、こう考える。
「人はそれだけで成り、その内に正負をバランスよく併せ持つ」と。
人類種全体でそう成り立たせているのならその限りではないだろうが、自身の行動のほとんどが根本に傲慢さという悪性を持ち合わせていたとしても、私には善性があり、同様に他者に対しても善性を見込めるのではないかという素晴らしき世界。
この推測は、推測を多く前提に抱えているのですから当然確立されるべきものではないだろう。所謂希望的観測だ。
俗世間ではセカンドオピニオンが大切だとよく耳にするだろう。上辺においての意味合いとは異なるが、本質になぞらえて、反論でもなんでも、この考えの肯非定の材料になるものはないのかと考える日々を送っている。
ぜひとも今この希望が、まさにそうなっていることを願うまでだ。
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