第2話 存在理由
――それは、若い頃のことだった。
男は田舎の生まれだったが、都会に憧れて家業を受け継がず高校を卒業すると街に飛び出した。そして入った会社は――、いわゆるブラックで。
労働面でも問題があったが、若かった男はそれよりも、会社の営業方針に大きな疑問を抱いた。
夢と目標を抱いて足を踏み入れた都会で、一体自分は何をやっているのか、と。
若く熱い情熱は、日に日に怒りへと変わった。
そしてある日、ついにその全てを上司にぶちまけた。
その結果――、いや、これ以上は思い出す必要もないだろう。
ただ一つ確かなのは、彼は二度とその会社に戻らなかったということだ。
そこから先は、この砂漠の世界において、今も記憶の靄の中に掻き消されている。
夕暮れ時、清涼の風が流れる砂丘の頂上。
淡い色彩に染まった天空は、手を伸ばせば届くほどに近く感じられて、しかしどこか現実味のない虚構の存在のようにも思われた。
次第に色が濃くなっていく空気を胸いっぱいに吸い込むと、少し頭が冴えた気がした。
この世界では、眠気も感じない。
おかしい。
ここはどこなのか?
夢にしてはリアル過ぎて、現実としては粗雑すぎる世界。
だが男の内奥で何かが、この場所こそ彼のいるべき所だと囁いていた。
疑問など、ぶつけるだけ無意味だ。
ついに闇に墜ちた世界で、男は歩みを進めた。
闇の中で目が慣れると不思議なもので、むしろ昼間より克明に世界が見渡せるような気がする。
闇の中、男は一歩一歩、砂を踏みしめて歩いた。
多くの足跡に固く踏みしめられた道は、さながら獣道のようで。だとすると、先人たちはどこにたどり着き、そしてどうなったのか?
周囲を埋め尽くす漆黒の中で、男は空を見上げる。
ウインクするように瞬く星は一つもなく。
ただ無限の虚空が、男を冷たく見下ろしていた。
しかし憤りも不安も感じずに、男はただ道を信じて歩み続けた。
三つ目の記憶の再来は翌日の午後、砂埃が気だるく巻き上がる中で起こった。
その時男は、これが最後だと確信した。
直感的に、そう分かった。
もしこれ以上自分を思い出すことが出来なかったとしても――、これで終わりだ。
男は息を胸いっぱいに吸い込むと、喉に砂の苦味を感じながら、自身を解かれた記憶に任せた。
砂埃が男の前で渦を巻き、彼を飲み込んだ。
――見えたのは、家の廊下を歩く自分の視界だった。
夜中にトイレに起き出したようで、暗い廊下に明かりを付けようとしている。
だが照明に伸ばした指先は、闇の中を滑った。
急に視界の焦点がぼやけた。
頭に一気に血が流れ込んだかのように、熱い、熱い、熱い......。
グラリと旋回した視界を眺めながら、そう感じた。
胸が、つかえるような感じがした。
何とか壁に手を着くと、頭を上げる。
何でもない。
その時は、そう思った。
気が付くと日は暮れていて、砂埃は何処かへと逃げ去り、静寂が辺りを締め付けていた。
男は無意識に歩みを進めていた。
全て分かった。
この場所の存在理由、何故自分がここにいるのか、そしてこれから何をすべきなのか。
唐突に、足下の道が砂の中に掻き消えた。
だが男は、既に進むべき道を知っていた。
その答えを示すように、遠くの砂丘の狭間から細い一本の白煙が立ち昇っているのが見えた。
いざ、あの場所へ。
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