第23話

「ねえザイナ、退屈だわ。何か楽しいことはないかしら?」

立ち並ぶ高層ビルの、最も高いビルの最上階。夜景の照らすガラス張りの部屋で、夜をそのまま織ったようなドレスを纏った、少女は言う。

その視線の先に居るザイナと呼ばれた男の表情は優れない。無理もない。目の前に居る、跪いた己と同じ背丈の少女こそが気分一つで人を木っ端のようにすり潰し、気まぐれに生き返らせるブードゥーの魔女その人なのだから。

「ねえ、何か楽しいことはないの?」

「は、はい、お望みなら債務者同士の殺し合いでも……」

「そういうの、飽きちゃったわ。ねえ、何か他に楽しいことはないの?」

ザイナの首元を冷や汗が伝う。曲がりなりにも組織──ブギーマンの幹部に上り詰めるまでの二十余年。いくつもの修羅場をくぐってきた。命のやり取りもあった。だが、薬の工場が襲われた数日後、戦力としてたった1人派遣されてきた彼女は、今まで出会って、あるいは敵対した全ての人間と根本から違った。濡れたアスファルトのように鈍く光を反射する瞳、ビスクドールのように美しいその姿からはまるで想像もつかないほどに彼女は残虐で、気まぐれで、そして退屈を嫌っていた。

「ねえ、ないの?それなら、あなたを使っても──」

二十年、やっただけの全ての遊びを、それこそじゃんけんから娼婦、男娼を呼びつけたり、酒を飲んだが彼女の桜色の唇──唯一、彼女の人間らしい部分かもしれない──は微笑みすら浮かべず、瞳は気だるげなままだった。そして彼女を満たせなかった場合、溢れ落ちるのは自分の命なのだ、とザイナは確信していた。彼女がここに来た翌日、対立しかけていた組織の事務所での所業を思い出す。人がまるで路傍の草のように、あるいは幼子にいたぶられ、殺される蟻のようにすり潰され、すり下ろされ、ただ潰されていた。ブードゥーの魔女は命に対してなんの価値観も、躊躇さえも持っていない。何も思いつけないのなら、次に床に彩りを添えるのは自分だ。脳がジクジクと痛む。加速し、空転する思考を、命の危機を、バクバクと鳴る心臓を、狭まりヒューヒューとなる呼吸を──突如爆散した窓ガラスが止める。

「よおよおよお!百八十七階建てだったか!?随分と高いところに住んでくれちゃって──いいご身分だな!登るのにどんだけ苦労しちゃったと──おや、先客か」

闖入者のその姿に、ザイナは見覚えがあった。自分がスラムから拾い上げ、育て、そして死に、生き返った男──セブンスアームズのその六本の腕と、一本の尾を見まごうはずもない。

「あら、セブンスアームズ。久しぶりね。元気にしていた?記憶を無くしたあなたがちゃんと仕事できるか、少し心配してたのよ」

手荒な乱入を咎めるでもなく、魔女は言う。

「はっ、心配ねぇ。俺の命を、死を弄んでくれちゃったあんたがよく言うぜ。腹立つから一発ぶん殴りに来てやった」

「それは少し楽しそうね。いいわ、いらっしゃい。気の済むまでどうぞ」

魔女は手を広げる。その唇には僅かながら、ザイナがはじめて見る微笑みを浮かべていた。

「無抵抗の女を殴るのは少々気が咎めるんだが……相手が相手だ、歯ァ食いしばれや!」

義手の一本が目にも止まらぬ音速の拳を放ち──次の瞬間には輪切りにされていた。

「ありがとう、本気で殴ってきてくれたのね。でもまだ足りないわ。」

「てめぇ……」

「や、やめんか、この人はお前の命の恩人なんだぞ!」

と、ザイナが二人の間に割り込み、セブンスアームズを止めようとする。

「恩人?人の死を弄んで、記憶を失った俺を無理矢理生き返らせたこいつが?」

「そうだ!俺が頼み込んでお前を生き返らせたんだ、だから──」

「頼み込んで?それは少し違うんじゃないかしら」

魔女の冷たい声が、ザイナの話を遮る。

「私ね、ここに来た時にこの人をゾンビーにしようと思ったの。この人、それなりに強いみたいだし、殺してから生き返らせれば、もっと強くてもっと仕事ができるようになるって。そうしたらこの人、すごく嫌がってね──あなたの死体を差し出して、こいつならどう使っても構わないから、殺さないでくれって」

「ち、違うんだ、俺は──お、親の命を救うのも子の役目だろ!?」

ザイナの額に脂汗が伝う。

「どう使っても、ねえ……?子の死体食って生き延びる親ってのは美術館の中だけで十分だ」

「な、なぁ、ゆっくり話をしよう。後で酒でも奢ってやるから──」

「ねえ、邪魔」

グシャ、と空き缶が潰れるような音を立てて、ザイナの肉体が跡形もなく潰れる。耐え難い悪臭が、すえた匂いが漂い、床には赤黒い染みが広がる。

「続きをしましょう?私を退屈から救い出してくれる貴方と、もっと話がしたいわ」

セブンスアームズは拳を、義体では無い、己の拳をにぎりしめ、わなわなと震える。

「こんなクズでもさ、俺の親分だったんだぜ?思い出したよ。たまに安い酒を奢ってくれたり、かと思えば金を無心してきたり──ろくな思い出はねえしさ、俺の死体差し出して生き延びようとしたクズだけどさ──」

一本減った、5本の義手がギチギチと音を立てる。

「親をこうも酷く殺されて腹も立たねえほど、俺の方はクズじゃ無かったみたいだ!」

音速の拳が空を裂き、輪切りにされ──そのバラバラになった拳を追い越し、セブンスアームズは魔女を蹴りつける。

「ぐぅ……っ!」

魔女の口から苦悶の声が漏れる。

「お前も!死ねっ!ここで!」

続けざまに叩きつけた拳が、足が、頭突きが、魔女の肉体を壊していく。一撃ごとに鈍く、砕けるような音と共に華奢な腕が、肋骨がひしゃげる。

「これで!終われっ!」

しかし、トドメだ、と繰り出した渾身の一撃は空を切る。

その背後、割れた窓と月明かりを背に、傷ついた魔女は折れた両腕をだらりと下げ、笑っていた。

「あははははは……あっはははははははは!!!!嬉しい!嬉しいわ!久しぶりに退屈から解放してくれた!ねえあなた、殺すにはまだ惜しいわ。また会いましょうね。次はもっと刺激的な夜を!」

割れた窓から、魔女は身を投じる。

「逃がすか!」

セブンスアームズは腕を伸ばすが、既に魔女の姿はどこにも無かった。

「クソッタレが……」

セブンスアームズは振り向き、部屋の床の赤い染みになってしまったかつての恩人に手を合わせると、窓から夜の闇へと飛び出し、去っていった。





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