第22話

目が覚めてまず、痛感したことは──思ったより世界は優しくもなければ、穏やかに寝たままでいることを許してくれる訳でもないらしい、という事実であった。

脳に直接送信され、書き込まれ、実感を伴った生体験として己の五臓六腑に伝達される電気信号のうねり。渦巻くような激情も、その情報によって突きつけられる死の弾痕に打ち砕かれて沈静化されられる。



いや、正確には興奮しきった脳を沈静化させるために義体から注入される鎮静物質の働きによるものである。

ただ、その記憶が正しければ己の脳と言える物質は既に電子レンジに掛けられた肉片のように、その機能を既に果たさなくなっているに違いなくて。

そんな自分が未だにこうして、呼吸もすれば、慣れ親しんだ義手から送られてくる外界の情報を処理する自意識を維持できていることが、不思議でならないのだ───と、かつて”セブンスアームズ”と呼ばれていた男は、妙に冴え渡る思考の潮流の中に己を沈める。


一つ一つ、己の情報を噛み締めるように確かめていく。

本名をアルバトロ・ディ・サンティッシモという。生まれはシチリアの片田舎。母親と父親に育てられ、マフィアとの抗争に巻き込まれた父が他界してから、母のつてを辿ってアメリカへ渡った。

そこから十数年、なんとか過ごしていたが母が病に倒れて他界───


ああ、何ともクソッタレな人生だろうか。

そして、その自分もとっくにくたばっていてどうやらその死体は再利用されていたらしいと知る。最後まで報われやしない。

そして、その記憶さえも無かったままならきっと操られていたことにさえ気づかずに居れたはずなのに。


「くそったれ……」


誰もいない空間に、コンクリの破砕音が響く。義手が反応して壁を叩き砕いた。

怒りとやるせなさ、そして眠ったままにしてくれなかった下手人への怨みが心の奥底から湧いて出てくることを、アルバトロは感じる。

確かに、自分は褒められたことをして生きてきた訳じゃない。下衆なこともやれば、屑の見本のような所業に手を染めたことも数え切れない。それでも、それをやらねば生きて行けなかったから、どうしてもやらなくてはならなかった。

だから、死んだ後だけはせめて朽ち果てて地面の下に埋められ、冥府府へと赴きたかった。忘却の河を渡って両親に会いに行きたかった。だと言うのにこのザマだ。許せない、殺してやる。

そんな仄暗い意思に反応して義手がざわめき出す。


その反面、あの男は───自分を叩きのめし、殺した男のことは恨んでいない。

こういう稼業をしていたのだから、当然殺されることもあるだろう。そのことに否を唱えるつもりはない。それは男らしくないことだから。


だから、彼は自分の死体を弄んで尖兵代わりに使ったクソの塊に落とし前を付けさせることで、この憤懣やるかたない思いを発散しようと決意したのだ。

何の拍子か、冥府のそこから舞い戻った機人である自分の、ノミほどの大きさしかないが、確かにある誇りを汚した償いは必ずさせてやるのだ、と吠える。


それは、月が明るい夜の事だった。


◆◆


「よう、マスター。やってるかい」

「……お前さんか、最近見ないからてっきりくたばったものだと思っとったよ。注文は?」

「水、なければミルクで」

「馬鹿たれが。ここは酒場だ。ミルクが飲みたきゃ牧場へ行け」

「はは、それもそうだな。じゃあ……ラムをロックで」


まず、生き返った……正確には自意識を取り戻した彼が向かった先は行きつけのバーだった。

店主は昔ながらの気難しい爺さんというテイストのマスターであったが……なんとはなしに、何かを話せば聞いてくれて、何か返してくれる……アルバトロにとっては、妙な話だが父親のような趣を感じている人物であった。


「ほれ。……お前さんがどうやら仕事でしくじって消えたらしいという話を聞いたもんでな。そういうことになっちまったら、おおよそはどこぞでスクラップか肥料になってるのが末路ってもんだ……」

「だから俺が生きていたのが……意外だと?」

「正直に言えばそんなところだ。常連が1人消えるのは俺にとっても懐が痛い話だ」

「そうか……俺が居なくちゃ寂しかったか?酒場も賑わいが足りないだろ?ええ?」


からかい半分で酒を煽りながらアルバトロは笑って口にする。

彼のいう賑わい、というのは文字通りの単純な酒場の賑わいではない。荒くれ者たちが乱痴気騒ぎを起こす中に割り入ってまたさらに荒らすことを言う。

もちろん、その度に店主にはドヤされて怒られる羽目になるのだが……


「ああ、お前さんがいないとあの馬鹿どもも少しは落ち込むみたいだな。もちろん、俺も」

「……意外だな。そんなことをあんたが言うなんて」


驚いたような顔で、店主の顔をまじまじと見つめる。

その目線が鬱陶しかったのか、店主は露骨に嫌そうな顔をする。


「俺だとて、情のひとつやふたつ持つ時はあるに決まっているだろう。鬱陶しい、その顔をやめろ」

「悪い悪い」


コトリ、とグラスを置いて、一息吐く。そのまま席を立つと、財布を取りだして──「待て、金は要らねえよ。俺の奢りだ、とっとけ」と、支払いをしようとするが、店主に止められる。


「どういう風の吹き回しだ?」

「お前さん、なんぞろくでもないことを考えているだろう」

「……さあてね。どうだったかな」

「誤魔化してもわかる。しち面倒臭いしがらみにまとわりつかれて、そいつに始末をつけようってハラなんだろう」

「だからどうだってんだ」

「餞別代わりだ。それと、願掛けもな」

「願掛けだと?」

「ああ、願掛けだ。小煩い常連の馬鹿がまた俺の店に酒を飲みに来るように、とな」

「そうかよ、タダ酒かっくらっただけにならないといいな」

「その時はその時だ」


身を翻してバーの扉に手をかける。

そっと触れたドアノブの冷たさに、酒が回り始めた体がぴくりと反応する。


「またな、口うるさい爺さん。次はテイラーの20年物をとっといてくれ」

「ああ、またな。七本腕の青臭いガキ。他の客に全部飲まれたくなきゃ、早めに来ることだな」


ドアがギィ、と軋む音を立てて開き、閉じられる。

ダーツをおもむろに取りだした店主は無造作にそれを的へと投げつけると──


「ド真ん中、か」


その様子を見て、何かを感じ取ったように目をつぶったのち、グラスを磨き始めるのだった。

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