第20話

螺旋トルネイド

右腕を高速回転させながら掌底を繰り出す。

音速をいつものように突破しながら、拳打が放たれる。

この肉体のスペックは凄まじい。回復力もさることながら、純粋な筋力に加えて外皮の強固性は目を見張るものがある。この強靭な外皮は、肉体が空気の壁を破ることで生ずるダメージを押さえ込み、損傷するのを防ぐ役割を果たしてくれる。

まるで───鍛造された鋼のスチールインゴットのような。

そんな、人外のそれへと成り果てた掌底、拳打、蹴撃を吊るされたサンドバッグに向かって幾度となく叩き込む。薄い鋼材で表面が覆われた───もはやサンドバッグというより金属の板を殴っているに等しい代物──それは、ランケの打撃を数撃耐え切れるものでは確かにあった。


耐えきれなかったのは吊るしているフックの方だ。バキンと音を立て、吊るしていた重量物は自然の法則に従って落下を開始する。

それにすかさず連続で拳と蹴りを放つ。それだけでけたたましい音を立てて飛ばされ、壁にサンドバッグが激突する。


魔女との交戦から3日。

ランケは付け焼き刃とはいえど、武術の武の字を撫で始めた程度には技術を伴うことが出来ていた。もちろん、完全に技術を習得した訳ではなく、肉体的なスペックにものを言わせている面もあるのだが。


それでも、みえみえのテレフォンパンチを速さに任せて放つことはただの隙を増産する行為でしかないと理解はしたし、体の動きはコンパクトに纏め、最小限の動きと瞬発力で拳打を放つ方が必殺として効率が良いということもだんだんと分かってきた。

そして、ランケの予想外の出来事としてひとつ上げるとするならば……


この体は、どうやら暴力を磨くことに長けているらしい、ということであった。

無論、ランケの生前にはこんな特徴は無かった。どちらかといえば、荒事は苦手だったし自衛には専ら拳銃を用いていた。それでさえ、何回か訓練をしっかりとこなさなければまともに的に当てることすら不可能だったのだから、戦闘行為に対するセンスのなさは常々実感していた。


しかし、甦った後はそのセンスのなさはガラリと変わってしまった。動体視力と筋力と肉体の柔軟性が強化され、ニューロンにも手が加えられたのか戦闘時になると異様に冴える。

ああすれば良い、こうすれば良い、という次の行動に対する最適解が何となく”見える”のだ。

そのセンスは、己の戦闘技術の無さを急速に埋める手助けをしてくれていた。


3日前、ランケは帰宅した折にありふれたものでいいからサンドバッグを購入してほしいのだと、ヴィクターへ頼んだ。

果たして、それは自分が殴れる的を欲してのことだったが、「君が本気で殴ったら、普通のサンドバッグなら破裂不可避だけどいいのかい?」との助言から、鉄板で覆った……正確には内部とクッションの間に鉄板をしきつめたというのが正しい特別製品に切り替わった。


それを、かれこれ3日間殴り続けた。時には見様見真似で発勁を試してみたり、カポエイラのような動きで連続蹴撃を放ってみたり、と様々な武術の真似っ子を受け止めてくれたのが、このサンドバッグであった。

それもご覧の通り限界を迎えたようで、吊るしてあったフックに近づいて破砕面を見つめてみる。


ものの見事に粉砕……とまでは行かないまでも、圧力をかけられた金属球がバラバラになるような、そんな様体を晒して砕け散っていた。

はァ、と息を漏らしてその破片を片付ける。壁にぶつかったのち、地面にだらしなくその身を横たえているサンドバッグを横目でちらりと眺めながら思考する。


たった3日で、素人のパンチが小慣れたボクサーくらいの鋭さを拳に宿すようになった。はっきり言って異常にも程がある。

阿威ウェイは「通信空手でも習ってた方が有意義」と言っていた。それはつまり、ということを理解していたのでは無いだろうか。


オカルトそのものの塊であり、はっきり言ってしまえばランケの先輩であるあの小柄な少年も、身軽にパルクールのような動きを用いて目の前から去っていた。

それも恐らく、この特性によって得た動きなのだろう。突き詰めて考えればそうなる。

そして……きっと彼がやっていたような怪しげな術も、自分は使うことができるようになるかもしれない。

不思議と、予感めいた確信があった。

が、その前にまずは片付けをせねばならないのだ───


「やあやあ、ランケくぅん。トレーニングは捗って……なんだいこの様は。えぇ……?うわぁ……壁がへこんでる……サンドバッグも……え、もしかしてはじき飛ばしたのかい?壁まで?」


「そのまさかだよ。こう、腕をギュルッと回転させながら内部から破裂するような衝撃を打ち込むイメージで掌底して、続けざまに拳を二三発正拳突きの要領で叩き入れたら……吊るしているフックが……な?」


「どれどれ……あちゃー、バキッといったね。バキッと。これは新しいのを用意しないといけないな。だから片付けしてるのかい」


「そういうこと。で、何の用だい、ヴィーちゃん」


軽薄な様子を漂わせながら、白衣の袖をひらひらと振って室内に侵入してきた影、ヴィクターがぎょっとした後、引いたような口調で壁をじろじろと眺め出す。その手にスポーツドリンクが握られているところを見ると、差し入れにでも来たのだろうか。

ついでに、今までに行っていた訓練の内容を教えながら、今しがた壊れた器具を見せるとあぁ……と妙に渋い顔をした。

まさか用意して3日で壊されるとは思っていなかったに違いない。


「いや、なんか手紙が来てたから差し入れついでにちょっとね」


「手紙?誰からだ?」


「さぁ?差出人は不明。勝手に中身を読むのは悪いから封は空けないまま持ってきたよ。読んでみるといい」


「ああ、ありがとう……どれどれ?……なるほどね。そういう感じになったのか」


「何だって?」


「ああ、簡単な話だったよ」


───ニィ、と獰猛な獣を思わせるような笑顔をヴィクターに向け、こう呟いた。


「仕事だよ。肩慣らしついでの」

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