第16話
「ヒ、ヒヒヒ……あんた、何者だい?おいらの知ってる……取引相手にはあんたみたいなのは居なかったはずだけどな……」
「悪いな、結果的に騙すことになっちまった。初めまして」
「は、はじめまして……」
件の情報屋────『クロコダイル』と名乗っているその男は、引きつった声で投げかけられた挨拶に返事をした。
男は、いつもの取引先……麻薬工場の管理者の男からの連絡を受け、指定された場所へ指定された時刻に向かい、いつものように情報を売り渡して、その代わりに金を貰う算段であった。
悪党にちょっとばかし官憲やらの情報を流すだけで小金を稼ぐことが出来るこの仕事を彼は特別気に入っていた。
彼自身、特に腕っ節が強いわけでも特段頭が良い訳でもないことは自覚していた。彼に生まれ持って与えられたものは、小狡い性質である。抜け目がない、と言ってもいいかもしれない。
お前はまるでネズミのようだ……などと言われることもあったろうか。
ネズミ、ネズミときた。悪くない。ただ、もう少し格好の良い名前の方が、男は好みであったから───見栄を張ったというのもあるが──ワニの1種であるクロコダイルという名前を名乗ったのだ。
名前はインパクトがあり、覚えやすい方が通りは良い……そのことを彼は十分承知していたということだ。
そんなちょっとばかりの自尊心を膨らませる通り名を引っ提げ、今日も小金稼ぎに赴いたという訳だった。
そう。だった、のである。
……そこに居たのは黒ずくめのスーツのようなものを着た見慣れない男。
困惑を覚えつつも、その謎の男を視界に入れた瞬間に情報屋としての勘が囁いた。
『下手なことはするな。死ぬことになるぞ』……と。
情報屋として、やってきてこの方その感覚に従わなかったことはない。人間として、長いものには巻かれろという諺の通りにやってきたし、それに近いものとして、己の感覚に従うということは徹底してきた。
なぜなら、死にたくは無いからだ。己の身一つでやってきたこの男には、裏を返せば己の身一つ以外の物はひとつたりとて持ち合わせていないのだ。
だから優先すべきは自分の命。そのためならばみっともなく命乞いをするつもりもあった。
「あんたが情報通のクロコダイルさんかい?……クロコダイル……ね。かっこいい通り名じゃないか。ええ?自分で考えたのか?」
「あ、ああ……おいら自身は良いとこネズミくらいのへっぴり腰しかないけれどね、それでもワニは……かっこいいだろう?それに、噛み砕く力も強い。だから、おいらはアレに憧れちゃったもんで……その……」
「ゲンをかついだ?」
「そう!それだよ、肖ったって言っても……いいかもしれないね、ヒヒヒ……ああ、ごめんよ。勢いよく喋りすぎたね……いつもはこんな感じじゃあないんだ、本当だよ」
「構いやしないさ、見慣れない怪しいやつが来たなら怯えるのも当然だ。多弁にもなるさ」
当人曰くの見慣れない怪しいやつ……確かにそうなのかもしれない。ただ、一通り会話をしてみて、ちょっとだけながら感じるものがあった。
───この人は、欲しがる情報を渡せばおいらを攻撃したりしないんじゃないか?
少なくとも、という比較の話になるが、クロコダイルが普段接しているチンピラや悪党どもには礼節やマナーなんてものはまるで存在しない。無理難題を喋り回し、その挙句銃で脅されるなんてことは日常茶飯事だ。それに比べたら、目の前の男の態度はどうだろう?
恐怖からか変に饒舌になってしまったにも関わらず、気を悪くせずに仕方ないと言ってくれる。
だから意を決して聞いてみることにした。
「なあ……あんた、あんた欲しいものがあるんじゃないのかい?だから、おいらのところに来たんじゃないのかい?お兄さん……それも、ちょっと厄介なことが知りたいんじゃないのかい?」
それを聞くと、ほおと感心したように男は声を漏らし、頷いて言った。
「ああ、そうだよ。騙して悪いと思ったが……知らない奴から急に電話されても相手してくれなかったろう?だからこうした。至急欲しい情報があったんでな……頼まれてくれるか?」
首を横に2度ほどふり、やりきれないと言わんばかりの態度を見せたのち、両手を広げて大仰な仕草をする。
その仕草が心の底から困っているように見えたものだから、クロコダイルも少しクスッと笑う。
「うん、分かったよお兄さん。確かに急な電話を貰ってたらおいらはトンズラしてただろうね。その意味で言うと、お兄さんのやり方は正解だよ。ここまで来たんだから、おいらお兄さんの聞きたいことは教えるよ。腐っても情報屋クロコダイル、名前にかけて嘘は言わない。お金さえ貰えればね」
「もちろんだ。金を払わないで貰うものは信用出来ないからな……」
そのやり取りを行い、示し合わせたように端末どうしを付き合わせて金の入金出金を済ませる。電子端末同士なら、近くにいて互いの同意があれば金のやりとりができるからこそ身軽さだった。
その金額を確認したあと、満足したようにクロコダイルは頷き、手を男の方へ向ける。さあ、どうぞの仕草だ。
男はそれを受けて、一息入れると話し出した。
「ブードゥーの魔女……についての詳細が知りたい。知ってるか?」
クロコダイルはへえ、と声を出した。まさかここでその名前を聞くなんてねえ、と続ける。
「知ってるよ。ブードゥーの魔女だろ?あれは……そうだね、厄介者さ」
「厄介者?」
「うん。呪いで人を殺したり、変な人形とかを使って殺しをしたり。ただの殺しじゃなくて、全身バラバラにしてみたりだとか、あるいは身体中の骨をぐにゃぐにゃにして殺したりとか……まあ、そんな……不思議な力で仕事をするもんだから、みんなに厄介者扱いされてるやつなんだ。名前からして、女なのはそうなんだけど、顔にデカい傷が……頬の辺りにそれがあるって話でね」
「頬に傷?それが特徴なのか」
「うん、そうさ。だからひと目でわかると思うよ。お兄さん……そいつに狙われているのかい?それは気の毒な……ううん、でもお兄さんなら死ななさそうだ。おいらが知ってるのはそれだけだけど……これでいいかな?」
「ああ、とりあえずは十分だ。助かるぜ」
「や、役に立てたなら何よりだよ。お兄さんは丁寧に接してくれるから……悪い気にならないね」
へへ、と笑う。と、同時にクロコダイルは慌てたようにして1枚の紙を懐から取り出し、それを男へと差し出した。
「ああ!忘れてたよ、お兄さん。お兄さんならさ、きっと死んじゃわないだろうから……おいらのこれ、番号渡しとくよ。3日後までのどこかに電話くれたら必ず出るからさ……そしたらご贔屓してくれよ。おいら、お兄さんになら喜んで情報売ってあげるよ」
「こいつは……いいのか?本当に?」
「もちろん。でももし、お兄さんが死んじゃったら仕方ないから、せめて死ぬ前に紙は燃やしてくれると嬉しいな……頼むよ」
「はっ、死にゃしねえよ。……恩に着る、またな」
「お、お兄さんも元気でね」
そのままクロコダイルは踵を返して去っていく。予想外の客だったが、ちょっと懐が温まったから悪い気はしなかった。このまま飯にでもありつきにいこうとスキップを踏みながら、彼はそのまま雑踏の中に消えた。
「……魔女、ね。呪いねぇ……ちと厄介かもな」
其の姿を見送りながら、男───ランケはため息を吐きながらもらった紙をペラペラを動かして困ったように顔を歪ませ……そしてこちらも、闇の中に去っていくのであった。
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