第4話

不快な湿った音が耳を打ちつける。言われた通りに下水道に身を落とし、ランケは臭く汚い歩道ともいうべきスペースを闊歩していた。

横を見れば、ドブ川のような様相を晒している水の流れがあり、時折気泡が立ってはパチンと割れる。

有り体に言ってしまえば、最悪の気分だ。このような場所は、普通の人間であれば通ろうとも思わない。

つまり、そういった場所を通るというのは犯罪者や厄介者に限られる。そうでなくとも、酔狂者や狂人であるに違いない。

ランケは今までこういった場所を通らねばならない”仕事”には、幸運にも巡り会ってこなかった。だから、これからも縁のない話だろう、と半ば期待していたのだが───


「全く、これで俺もロクデナシどもの仲間入りか。最高の気分だね、クソッタレ」


生憎そうはいかなかったようだ。運命というのはあまりにも残酷にすぎる。そのような事を考えながら、腕時計型の携帯端末に内蔵されたエリアマップ──意外なことに地下下水対応でもあった───を確認し、近場の『市場』に出ることの出来るマンホールの場所を調べる。


純正品から見れば、オンボロで粗末、かつ古い形式であるこの携帯端末は、しかし現代を生き抜くためにはある種必須なアイテムと言えるものだ。電子化著しい都会部では、硬貨やトークンは意味をなさない。こういった端末にチャージされた電算記号の多寡がそのまま財力として計上される。

郊外やスラムにおいてはその限りではないし少なからず造幣された紙幣や硬貨が流通しているし使用には堪える。ただ、やはり”仕事”というのは都会部から流れてくるため、支払いというのもその都会に合わせた流儀に則って行われるというのが常であった。


彼女──ヴィクターから渡された硬貨や紙幣を握りしめながらランケは思う。

彼女の復讐に付き合うのはいいが、恐らくああいった特殊なアイテムを手にするための情報網と、それを実現可能な力を持った組織というのは限られる。

おおよそこういった厄なネタの場合、首謀者達は都会部において居を構える者達であるのが普通。彼らは自己の利益を妨害する者に対しては容赦がない上に、自分達のような”外”の人間を人間だとすら思っていない。

厄介な奴らだ。武力も違えば、価値観も、過ごしている環境も、何もかもが違う。


スラムとは言わないが、都市部から外れた場所に住んでいて、渡されたものからして常の支払いは硬貨、あるいは紙幣。それがヴィクターの”普通”であるのは想像に難くない。

そこから考えて、治安がお世辞にも良いとは言えないこの場所で生きているからには、報復の経験や問題を暴力で解決したこともあるだろう。

だからこそ、今回も”報復”に出た。自分という特性のおもちゃを使って。いや、兵器かもしれないか?どちらにせよ、いつも通りの作法を持ち出した。そういう話なのだろう。


────だからこそ、それが通じない相手かもしれないのだ、という想像を巡らすことを回避しているのではないか?


可能だ、と言う前提で彼女は自分を生きた死体【リビングデッド】に改造したわけだ。だが、その手段は?個人ではないから、単純に下手人だけをブッ殺して終わりと行く訳には行かないのは分かる。人手は必要だろう。

だが、その先は?気取られるように買い物をしてこい、と彼女は言ったが正直な話それは悪手だ。

復讐というのは””気取られていないからこそ”効果を発揮するものなのだから。

そういった小手先のやり方は苦手らしい上に、考え無しと来た。

具体的なやり方も、道具もない。

上手くいったとして、生者の書は1つしかない。それを手にした途端自分は彼女の敵になる。彼女も自分の敵になる。考えが杜撰すぎる。


なにより、相手に逆に返り討ちにされるという選択肢を用意していないというのが──


「……フゥ、やめよう。いざとなればひっそりと俺のやり方で”報復”すればいいだけの話だしな」


ランケはかぶりを振り、益体もない思考を打ち払う。自分はどちらにせよ生殺与奪を握られた半死体に過ぎない。

であるならば、とりあえずは彼女の流儀に則るべきである。その裏で多少己のやり方で”仕込み”をすることはあるかもしれないが。


「と、ここか」


地図が指し示す、『市場』へ続くマンホールの下にたどり着く。壁に埋め込まれたハシゴを登り、蓋をずらす。

そのまま上がりきり、一息ついた後に蓋を元に戻す。証拠隠滅は大事だ。


「さてね、お仕事開始と行きますか」


遠くに雑踏の音を聞きながら、ランケは身を翻し、その中に躍り出た。

買い物は決まってる。欲しいものもある。多少はポケットマネーから出さなきゃならないだろうが──そこは必要経費と割り切ろう。


「全く、ワクワクするね」

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