2-24

 愛煙家さんが精密な照準で発砲しまくり医師さんが運動音痴を発揮して発砲しまくりゼクーくんが抜群の反射神経でそれらをさばいて遊んでたら、不意に会議室のドアが開き、口髭をたくわえた戦闘服姿の壮年男性が食べかけのピザの載った皿を片手に不機嫌な顔を覗かせた。その背後から知らないオペラの音楽が流れてくる。


「フン――自殺担当諸君、いつまで会議室に閉じこもっているつもりかね? 新人歓迎会の主役はさっさと事務室で新人らしく上司と先輩にへこへこ挨拶でもしたまえ」


 オペラ課長は自分が持ってるピザを刺殺しそうな目つきで睨むとドアをちからいっぱい荒々しく閉めた。うっわあ。やっぱりブラックじゃん、この職場。課長はパワハラ気味で物や部下にあたるし、顧問は新人を利用した挙げ句拷問するし、同性の先輩は人格を崩壊させるための装置振りまわして後輩追いかけてくるし、医者は野菜食えと口うるさくしたり平手打ちしてきたりするし。……平手打ちは許すけど。野菜も。


 にしても。


「歓迎会? ……ワカメ先輩が亡くなったこんなときに?」


 白衣がふっと振り返ってエメラルドグリーンの瞳が優しく細められた。


「そうですよ。ロットーさんの歓迎会です」


 気にしてなかったけど言われてみればドアのあっちの事務室からにぎやかな物音がしていた。僕はなんだか不謹慎な感覚がして気乗りせず、うつむく。


 ミディアムヘアの茶髪を揺らしてとことこと近づいてきた愛煙家さんがライフルをテーブルに置きやわらかく僕の右手を握った。


「ロットーさん、えっと……今さらですが、魔法管理機構秘匿部検閲課にようこそ。歓迎します……」


 医師さんも散弾銃をテーブルに放り投げた。


「そうですね。俺も歓迎いたします。ロットーさん、あちらで食事をしましょう。ご夕食はまだでしたね」


「でも……」


 仕事に打ちこむとか、敵と死闘をするとか、そういうので気持ちの穴を埋めることには同意だけど、食べて飲んでお祭り騒ぎする気分ではないよ。


 今日の朝方だった。一日も経ってないのだ。ほんのちょっとだけ空が白み始めてて、僕たちは手を繋いで高層ビルのベランダからこの世の朝を迎えようとして、僕の人生でいっとう残酷な朝に、ワカメ先輩はもう隣にいなかった。


 頑固に渋ってる僕の頭を医師さんが後ろから撫でた。


 ぽん、ぽん、ぽん。


「歓迎会はですね、アスさんの遺言です。姉御はこの手のことを大変気にかけるかたでしたので」


「遺、言?」


「はい。〈通過儀礼〉――ドッグタグの記名についてもそうでしたが、人生のイベントというのかな、たとえば誕生日や記念日、入学式、成人式、卒業旅行、結婚式……一般的に経験することが多いとされている出来事を、なんらかの事情があって選択する余地なく不参加で通りすぎてしまいますと、当時はそれが最適解だと納得していても、あとからふと過去を振り返ったとき、無性にかなしくてたまらない日があるのです。そのようなことを姉御は気にかけるかたでした」


 十五年間独りで地下室にいたんだもん、取り返しなんかつかないし、つけたいともおもわないよ。


「ロットーさん、大人になるとまた変わることもあります。姉御はロットーさんにドッグタグを大切な人に書いてもらうという慣習について選択肢を作りたがっていました。歓迎会も姉御がブルーノ課長に頼みこんで準備したものです。自由参加なものですから帰っても大丈夫ですが、一度顔を出してみませんか」


「――それにだ、新米」


 ゼクーくんは髪がやっと乾いたのかネクタイを結ぼうと首に引っかけながらどうでもよさそうに口を挟んだ。


「検閲課がなにやらお祭り騒ぎをするときは、誰かの夜のとばりがおりたときだ」


「夜のとばり?」


「ああ。秘匿部職員が役目を果たし終えることを部内でそう表現する。要するに殉職、退職、異動だな」


 あっというまにネクタイを結び終えベストとジャケットを羽織ったら見慣れたいつものカチッとした着こなしに戻った。


「秘匿部は機密職員が多い。在籍そのものがトップシークレットの権力者、潜入のため別人になりきる演者、墓無しや記憶技術者その他の重罪人、エトセトラだ。職員同士互いをよく知らんし、知りすぎてもいけない。在籍者の入れ替わりは激しく、夜のとばり――殉職、退職、異動は突如訪れ、詳細は不明なままほとんどの場合闇に葬られる」


 あっちの事務室でジョークでも言った人がいるのか、どっとわくのが聞こえてくる。


「そのような環境のなかで誰かが夜のとばりを迎えると、適当な理由をつけて集まれる人間だけ集まって飲み交わす。誰がどうなったのか詳細は伏せられた状態でしらばっくれて実施するというのが暗黙の了解だ」


 愛煙家さんは握った僕の手を上下にぶんぶん振って控えめに微笑した。


「えっと、あのね……、自分が機構に所属していることをほとんどの職員が知らなかったり、みんなを騙すしかなかったり、孤独に死ぬ任務についていたりしても、労って、見送って、そうして、自分の番になったら同じことをしてもらうっていう秘匿部の慣習なんです……」


「ええ。表向きの理由は面白いくらい適当ですけどね。通称『特に理由の無い飲み会』と呼ばれています。マーフィさん、たしかこのあいだは『特に理由の無い近所の野良犬出産祝賀会』で、その前が『特に理由の無い快眠祝い』、『特に理由の無い昨日の競馬ちょっと勝った記念』……」


「先月は『特に理由の無い妹の友だちの恋人の父親の退院祝い』というのもありました」


「ははは、そうでしたね」


 会議室を一歩出るとぱっとカラフルな活気が視界いっぱいに広がって、大勢が集ってかしましく宅配ピザや持ち寄ったジャンクフードやそのへんのコンビニのお菓子などを並べあって、場違いなオペラが流される事務室で談笑しながらお酒を飲んでいた。


 壁にはたくさんの風船と「新入職員歓迎会」の横断幕がかかり、その頭のほうにアナログのペンで「特に理由の無い」と走り書きした紙が無造作に貼りつけてあった。ワカメ先輩が用意してくれた歓迎会は昨日までは頭になんにもつかない新入職員歓迎会だったのだろうけど、たぶん今日急遽「特に理由が無くなった」んだと僕はおもった。


「魔法社会の魔法管理機構で今時風船と横断幕なんだね?」


「古くからの慣習だからな……ん、アイスワインでも開けるか」


 ゼクーくんが呟いてひょいとどっかに姿を消し、えっ監視役が監視対象を置いてってどうするの、と驚いてるとこに押し寄せてきたいろんな挨拶にもみくちゃにされた。初めて会う人だらけで目がまわり、見たこともない可愛いお菓子をひっきりなしに渡され、あれよあれよとホワイトボードの前にかつぎだされ、自己紹介させられ、質問タイムが始まり、ねだられて披露した〈照明〉ごときの魔法で会場がどよめき、〈浮遊〉にはスタンディングオベーション、〈拡声器〉〈傘〉〈移動〉……感嘆の溜め息に包まれた頃に、


「――ちょうどいい。新米、次の魔法だ。お手数だがこれを冷やしていただけるか」


 監視役がワインボトルを三本持っていつのまにか隣に立ってる。


「すまんな。私は魔力切れゆえ。〈瞬間冷蔵〉を頼みたい。冷えすぎて香りが閉じるだろうが……」


 盛りあがるカラフルな喧騒の前で僕は小首をかしげ、わざとらしく茶化すように口の端をにやり吊りあげてみせた。


「ゼクーくーん? まさかだけど、魔術師を舐めてたりする? わはは、特別サービスで〈瞬間冷蔵〉微調整していい感じの温度にしてあげちゃう。何度がいいのかな?」


「五度から十度ほどだ……いや」


 監視役は緩慢に首を横に振った。


「もったいないが今夜は不適切な温度でいい。零度近くを希望する」


 非魔法栽培の高級品らしい。配る気満々で三本持参してるので付近の職員たちから歓声があがる。それを受けてゼクーくんは相変わらずの口調で「香りが開くまで数分待つことを推奨する」と無感情に述べた。そして、遠くを見るように目を細め、近くにいた僕じゃなきゃ見分けられないくらいにほんとうにわすがにだけ笑みをこぼした。


「……私がこのアイスワインを開けるとよく勝手に部屋に乗りこんできて、室温が高いと文句をつけつつこれに〈瞬間冷蔵〉をかけていた。あちらは暑がりだし私は寒がりだからな。この銘柄はいっとう気に入っているので幾度も適温をすすめたが、聞く耳を持たない。飲みものがぬるいなら脱ぐとほざいていた――どうしようもなく、面倒くさい奴だった」


 誰が、なのかは言わなくても分かって、僕は頼まれたとおりに〈瞬間冷蔵〉を披露し、会場全体から熱烈な拍手喝采をあびた。

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