2-22
医師さんはそれ以上なにも言わずすたすたと大股で歩いてきてまず顧問を殴りつけようとし、華麗に受け流され、何発か試みて腕をおろした。口から先に生まれたみたいな医師さんがいつもの感情的で慇懃無礼な暴言を吐かずに落ち着き払ってることに正直軽く衝撃を受けた。
それにちょっと同情もした。空気読めよ顧問。ここは一発くらい食らってやる場面だろ。馬鹿なの?
「ヤブ医者。私を殴って気が済むのか? くびり殺しても、射殺しても、どうせ満足しないのだからやめておけ」
しかも煽ってる。クズなの?
とうとう医師さんがブチギレてマシンガントークで怒鳴りだすかとおもいきや、彼は無言で腕をおろしてゼクーくんに背を向け、僕のとこに闊歩してくる。結構怒ってるっぽいので僕はダイニングチェアの上で慌てて居住まいを正した。加害者にキレたあとは被害者の診察だろうから、おとなしく受けますという姿勢だ。健康そのものなんだけどな。
なので、一瞬なにが起きたか分からなかった。
おもいっきり平手打ちされていた。
……はい? あれれ?
なんで僕?
カッ、と右頬に熱が広がる。
僕が頬っぺたを押さえてぽかんとしてるのを見て、医師さんは背筋を伸ばしたいつもの正しい姿勢のままこっちを見おろし、やっと口を開いた。
「どれだけ心配したとおもっているのですか」
大声じゃなかったけど、今にも破れてしまいそうな張りつめた口調だった。見おろしてくる長身をおそるおそる覗き見る。エメラルドグリーンの瞳がかすかに揺れてる。初めて見る医師さんの冷たい無表情だった。
「い、医師さん――僕は被害者だよ!? やつあたりだよ、悪いのは一〇〇パーセントあっち。僕の意思じゃないもん」
理不尽すぎて咄嗟に口をついて出た。医師さんが静かに返答した。
「……ロットーさんにそんなことを怒っているのではありません」
白衣が床に着くのも構わず膝をついて僕を見あげてくる。鋭いエメラルドグリーンの瞳にまっすぐ貫かれる。両手を取られ、壊れものを扱うみたいに握られた。僕は引き続き困惑する。なに? じゃあなにに怒ってるの? 戸惑う僕をしばし見つめて彼が舌打ちをした。
「俺がどうしてあなたを叩いたのか、お分かりにならないのですね」
「ご、ごめん」
だって不可抗力だもん。でしょ? 囮にされたのも、拷問を受けたのも、決めたのは僕じゃない。巻きこまれて強制的にそうなっただけだ。魔術師だからって神聖視されがちなのかもしれないけど、いくら僕でもどうにもならない場面だってあるんじゃないかな。
あ。おもいいたった。
そういうことか。
ゼクーくんから魔法を使うなって言い含められてたことちゃんと説明したほうがいいな。
これ絶対勘違いしてる。
抵抗できるのにしなかったとおもわれてるんだ。
「あのね医師さん――」
「ロットーさん」
遮られた。
理不尽では? 不満がわきあがったけど、こわかったのでいったん説明を諦める。
「う、はい」
医師さんが泣きそうな感じに顔を歪めた。
「……すぐに診療室に来てくださいと申しましたよね」
「あのね、魔法を使っちゃ駄目って顧問に命じられてたからどうにもならなくて、それで、あの、診療は怪我してなかったし、僕元気だから必要無いとおもったの……」
「……俺はロットーさんを心配し、帰りをずっと待っていました。仕事も手につかず、半休を取り、診療室で時計を眺めて待ち続けました。ロットーさんがお帰りになったらすぐいらっしゃるだろうと、お待ちしていたのです」
「わ、分かった……いっぱい待たせてごめんなさい」
「ロットーさんは解ってなどいません」
握られた両手にぐぐっとちからがこもる。
「あなたたち自殺志願者を、だから俺は嫌いなのです。あなたたちは自分がいついなくなっても誰も気にしないとおもっている。それどころかいなくなることこそ正義だとさえ考えている。心配し、見守り、あなたたちを失うかもしれない恐怖に日々怯えている俺たちのことなど歯牙にもかけない」
言葉を失った。
誰も身動きできない沈黙のなかで、医師さんは単調に話し続ける。
「俺のこころのなかにはすでにロットーさん専用の椅子があって、毎日あなたがそこに座っていて、姿を消すと俺がどんなおもいをするのか、あなたたちは解っていないのです」
医師さんのエメラルドグリーンの瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「――――俺はあなたを心配していたのですよ、ロットー・T!」
慟哭が空間を引き裂いた。
「毎日野菜を食べさせ、運動をさせ、できるだけ健康にいてほしいと願い、なにかあればすぐ手を差し伸べられるよう毎日、毎日毎日毎日気にかけている人の存在に気づきもしないで、こんな場所でなにをのんきにくつろいでおられるのですか? 助けて、こわかったと、言いに来てくださってもいいのではありませんか? からだに傷が無ければそれで元気ですか? どうしてヘラヘラ笑っていらっしゃるのですか? 笑えるような楽しい状況でしたか? あなたがご自身の価値をどのように低く見積もっておられようとあなたの勝手ですが、それを俺にまで強要しないでください――!」
面食らって硬直してる僕を医師さんがそのままがばと抱きしめた。あたたかい両腕に包まれて息が止まりそうだ。考えてもいなかった。僕とゼクーくんは天を貫く超高層ビルの一一一・七階、検閲課フロアに戻ったとき特に示しあわせるでもなく自然と自室へ直帰した。服が汚かったし、からだは元気だったし、わざわざ診療を受ける必要が無くて、考えもしなかった。
「あの、医師さん……」
「はい」
ツーブロックにした医師さんの髪のダークブラウンが視界の端にちらり映る。彼の肩越しにワカメ先輩の写真と僕が生まれて初めて買いものをした花が見えた。僕がこころがつぶれそうなくらいに心配して、それなのにさくっと死んでしまった優しい先輩。
「僕、人に心配をされてるっていう発想が無かった」
「でしょうね」
ああ。
「……つ、次からは気をつけます」
「何度言ってもあなたは変わらないでしょう」
「気を、つけるもん」
「いいですよ。変わらないと解っていますから。それでも」
医師さんが肩を震わせつつ囁くように宣言する。
「……何度でも、何度でも、ロットーさんに届くまで何度でも俺が言い続けます」
涙があふれてとまらなくなる。
今さら全身が震えだして、そのことを僕を抱きしめてる医師さんには隠せないのだと解る。
隠す必要が無いことも、解る。
「医師、さん、僕、……こわかったです。……死ぬかもしれないとおもったし、死んでもよかったけど、目の前でゼクーくんがたくさん殺されて、僕だけでどうしていいか……分かんなくて、自分のせいで……僕の、せいだから…………」
おおきな手がやわらかく僕の頭を撫でた。
「大丈夫です。もう帰ってきたのですよ。よく、頑張りました。あなたを診察させていただいてもよろしいですか?」
頷いてから大泣きし始めた僕を医師さんは何度も何度も撫でてくれた。入局したばかりのこの魔法管理機構で割り振られた「自殺検閲官」という仕事は、こういうことをいうのだと僕はようやく理解した。
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