2-21
◆
天を貫く超高層ビルの一一一・七階、検閲課フロアに戻った僕たち二人は特に示しあわせるでもなく自然と自室へ直帰して一息ついた。昨日からいろんなことがあって僕は頭からつま先までひどい有様で、薄汚れたぼろぼろの白いワンピースを捨て、シャワーを浴び、湯船にもしっかりと浸かり、約一時間浴室で過ごしてから、新しい白のワンピースを着た。
「借りても?」
律儀に断りを入れてゼクーくんも浴室に行った。珍しいな。普段は魔法で済ませて浴室に寄りつかないのに。彼が淹れておいてくれたのか、テーブルには香りたつティーカップとシュガーポットがちょんと載せられてる。僕は崩れ落ちるようにダイニングチェアに腰をおろした。紅茶は澄んだフルーティーな味がして、張りつめてた気持ちがようやっとほぐれてくる。
ほんの五、六分で出てきたゼクーくんはびしょ濡れの髪を放置してシュガーポットから角砂糖をつまみ食いしだした。返り血のついたハイネックセーターとデニムパンツは敵組織が用意したものだそうで、服に魔法装置を仕込む機構職員が多いから着替えさせられたのだとか。「貴方はすでに支給品着用の義務が無い。いつまでそれを着るつもりだ。好きな服を買い、装置でも魔法でも仕込んで自由にやったらいい」と心底どうでもよさそうに言ってきた。
なにごともなかったって錯覚しかけるくらいのんびりと紅茶を飲んでる現状がどうにも変な感覚で、僕はなんとも言えない気持ちになる。
「うーん? 箱入り娘だから服のブランドとかじつは知らないんだよねぇ」
考えなきゃいけないことはたくさんあるとおもう。でも今日はもういいや。カチ、カチ、カチ……ゼクーくんの自動巻き腕時計の秒針がこころなしか間延びして響く。
「あー、いいことおもいついちゃった。君って見ためにこだわってそうだし、都合あうタイミングでどっか洋服屋さんに連れてってくれない? お願い。ね、いいでしょ? お願いお願い。お礼として僕にしてほしいことあったら遠慮なく言ってね――あっ。洋服屋さんは貧乏な若者向けのやつがいいな」
言いながらふと顔をあげ、ティーカップを取り落としそうになった。
うっわ。
なんなのその表情。
「……」
「……」
だからその顔なんなんだよ。
「……新米。気でも狂ったか? まごうことなき人選ミスだ。まだ薬が抜けきっていないようだな。一度冷静になれ」
「めっちゃ冷静だけど?」
「………………私がファッションに精通していそうに見えるか?」
「うん」
わははは。すっごい顔だな。おもわぬ反応に楽しくなった。僕がおおいに世間知らずなのは周知の事実でしょうが。人生の九八パーセントを地下室で過ごしたんだよ?
あったかいティーカップを両手で包みこみ、一口飲む。透明感が口のなかにふわりと広がる。緊張がほぐれていく。
「ゼクーくん。個人的な偏見だけど、わざとらしく髪の毛を腰まで伸ばしてる男性って、自信家というか、こだわりが強いというか、人に隠れてそういうことに手間暇をいっぱい注ぎこんでるイメージだよ。服も高そうなの着てるし。嫌ならほかの人に頼むけど、あれだけやりたい放題君に利用されたんだから一個くらいわがまま言ってもよくない?」
ゼクーくんは気だるげに彼の右隣の椅子を指し示す。髪が濡れてるせいで身につけられないんだろう、背もたれにはジャケットとネクタイ、ベストが引っかけてある。
「スーツにファッションセンスもクソも無い。疎いから無難にこれで済ませている。金には困っていない。頭髪は、」
おもむろに立ちあがってハサミをつかんだ。
ジャキッ。
――へ?
ジャキジャキジャキジャキジャキ。
えっええええ?
完成された絵画みたいな髪をなんのためらいもなく乱暴に切り刻むのを慌ててとめようと身を乗りだしたとき、目を凝らしても分からない精緻な〈呪い〉によって、修復系魔法が発動した。
無惨な髪型は瞬くまにもとに戻る。
「ご覧のとおりだ。私自身の希望ではない。でなければこんな悪趣味な頭髪など許容するものか。鬱陶しくてかなわん」
わずかに嫌悪感を滲ませて吐き捨て、座り直し、シュガーポットの角砂糖を口に放りこみ、そしてちいさくくしゃみをした。寒そうにからだの前に腕を組んで、無表情で続ける。
「三番は死ぬ前にくだらん電話研修などより日常生活について話してやるべきだったな。魔術師が此処で孤立しないようにと仕事に慣れさせることを優先したのだろうが、私は意見が異なる。電話なんかできなくて構わない。よい新入職員でなくていい。好きな服装をし、美味しいものを飲み食いし、ゲームやカラオケやショッピングなどに時間と金を浪費し、仕事はサボれ」
「えっ? えーと、ありがとう? 今の僕は人間不信きわめてるからどこまで君を信じていいか分かんないけど」
彼が深く頷いた。
「ふむ。賢明なこころがけだ。記憶技術者は相手をコントロールするために自身の言動を計算し尽くしている。こころは許さぬよう気をつけることだ――」
またちいさくくしゃみをした。
「優しいことも言うくせになんで僕を記憶の拷問にかけたわけ?」
「それとこれとは話が別だ」
「拷問だったよね?」
「じつに興味深かった」
「人権侵害だよね?」
「ひどいよな。加害者の雑魚記憶技術者は相応の罰として殺しておいた」
「君がやらせたよね?」
「そうだったか? 朦朧としていたのでおもいだせんな」
「怒っていい?」
「どうぞ?」
この野郎。
「……仕事サボって遊び暮らせ? ゼクーくんはなにを企んでるのかな」
「企んでいない。これだけは本心だ。ひと月貴方を見ていて、状況にそぐわないほど『いい子』であろうとし、冷静すぎて気味が悪い子どもだと感じた。貴方は世界唯一の魔術師だ。まだ十五のガキだしな。我儘など言いたいだけ言い、周囲を困らせてやれ。金の心配など要らん。断っても周りが勝手に貢ぐだろう。地下室に監禁されこれまで我慢してきたことの数々をこれから取り戻せ。貴方にはその権利が――」
またもやちいさくくしゃみをしたから僕は呆れ声で言った。
「戦闘馬鹿強くても虚弱体質ではあるんだね? 寒いなら髪の毛を〈乾燥〉させなよ」
「貴方のように無尽蔵な魔力は持ちあわせていない。近頃は、つまりこの百年弱は、私を訪ねてくる客が減った。不死者として裏社会では有名だが、とらえてもどうせ逆襲されるからと手を出さなくなったらしい。おかげで私は退屈していた。今日は久々に楽しむあまり魔力を使い果たしたというわけだ。数日は使えそうにないな」
「……あっちにドライヤーあるよ。律儀に『使っていいか?』とか質問される前に言うけど、使っていいよ」
「面倒くさい」
「風邪ひくよ」
「知るか。面倒だ」
面倒面倒と言い張るゼクーくんの髪を引っつかんで無理やり〈乾燥〉させようとしたり三つ編みしてやろうとしたりバタバタわいわい騒いでたら突如怒りを押し殺した敬語が地獄の底から鳴り響いた。
沈黙がおりた。
「……なにをのんきにくつろいでおられるのですか? 真っ先に診療室に来てくださいと、申しあげたはずですが」
白衣が仁王立ちして僕たちを睨んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます