2-20
◆
「――あ? ほうれん草? ふむ。報告連絡相談か。面倒だな」
頭が重い。お風呂に潜ってくぐもった外界を聞いてるみたいなぼわんとしたエコーが僕の認識力全般にかかってる。なにもかもがどうでもよかった。からだが動かなくて、のろっ……意識が途切れそうになる。
「報告等すべき事項は特になしだ。というより長電話していたくない――ああ? 長電話の定義は、三分以上のものぜんぶだ。何故なら面倒くさいからだが、文句あるか? 一点指示を述べる。私は楽しむだけ楽しみ尽くした。そろそろ飽きたうえ後片づけが面倒なので検閲課から適当に人を寄越せ。以上。切るぞ」
眠くてたまらないのに頬っぺたを誰かがしつこく叩いてくる。
ぺし。ぺしぺしぺし。
うーん。放っておいてほしい。
「――分かった分かった了解だ、騒ぐな。非常に面倒だが報連相させていただこう。面倒だがな。一、魔術師を囮に反魔団体の記憶技術者四名を誘いだして生け捕りにした。ざっと尋問して〈供述調書〉を取ったが興味深い情報がいくつかある。貴方がたへのみやげだ」
どうやら僕は冷たい床に転がされてるらしい。硬いし寒い。ありえない眠さだ。吐きそう。
「二、新米を軽い拷問にかけた。意識は混濁しているが健康そのものだ。では状況報告を終わる。切るぞ――っ叫ぶな。分かったから。詳細は、あー、前述した生け捕りの際ついでに捕獲した弱小組織の自称記憶技術者がいるゆえ、その雑魚を薬漬けにして従わせ、新米の拷問をさせた」
起きたくないし生きたくない。霧がかった脳が激しく疲労を訴えてる。
「……ん? 何故かだと? 訊くことを訊け。機構記憶技術者の私が直々に〈供述調書〉をやれば新米は間違いなく廃人になるだろう。手加減するのは私の趣味ではない。雑魚にやらせるという判断と良心を褒めてくださっても構わんぞ」
徐々に手足の感覚が戻ってくる。全身が痛んだ。なんかえげつない話が聞こえる気がするんだけど気のせいかな。
気のせいであってほしい。
「――そっちじゃないならどっちだ? あ? 理由? なんのだ? ――新米を尋問させた理由? 面倒だ。電話を切――騒々しい奴だな。電話口でおおきな声をだすな。ふん、いちいち理由が要るのか? 今回の魔術師がどの程度抵抗できるか個人的に興味があったからに決まっているだろう。感想も詳細に聞かせてやろうか?」
喋り声はさっきまで朦朧としてたのが嘘だったかのように凛と響いてくる。不機嫌な感じはしなかった。むしろ大変に上機嫌だ。
「あ? 解毒しろ? 注文が多いな。すでに私が適当に調合して済ませた。新米なら地面で幸せそうに涎を流して眠っている。――ほんとうに騒々しいぞ、ヤブ医者。魔法医学しかできん分際でいったい誰の薬に不服を申し立てるつもりだ? 身のほどを知れ。再度言おう。私が調合した。理解したか?」
えっとさ。
ねえ。
これって僕怒ってもよくない? いいよね。
一生懸命に口を動かすと、自分でも嫌になるくらい呂律のあやしい声がでた。
「……ゼクーくん、医学できないんじゃ……?」
発言しておもった。最初にツッコミ入れるとこそこじゃないな。うん。
――そんなものを駆使してもどうせ全員に私は置いていかれる。医学などなんの役に立つ? なにもだ――なにもだ!
電動式携帯電話を片手に突っ立って話してた青年が鷹揚に振り返ってこちらを見おろした。動作にあわせて長い髪がさらさらり揺れ、はっとするような端正で儚げな顔立ちがあらわになった。
この場の空気が一瞬で変わる、鋭利な美貌。
「起きたか。いつまでも眠りこけて仕事をサボるこころづもりかとおもったぞ。気分はどうだ?」
飄々とのたまった。容姿と内面の乖離がとんでもないな。僕は僕の気分がよさそうに見える可能性が少しでもあるだろうかと思案した。
あるわけねえだろクソが。
「…………君のほうは見たことないほどイキイキしてるね」
「まあな。存分に楽しませていただいた。この感情を貴方と共有できないのが残念だ。ハイになる薬でも打ってやろうか? 手持ちの材料で作れるが」
「……君の問いに僕がどう反応するか面白がられてる気がしてやだ……なんも答えたくない……」
「退屈だからな」
退屈ならしかたないねー。
ってなるわけなくない? 馬鹿なの?
見まわすと僕は監獄じみた狭苦しく汚い隔離室の一歩外で無造作に転がってて、部屋のなかは血みどろの人たちが四人打ちっぱなしのコンクリートにうずくまって痙攣しつつごぼごぼ吐血してた。そのほかは静寂だ。反対側の廊下の先はよく見えなくて、でも見るまでもなくすんごい鉄の臭いがあたり一面を蹂躙してる。見たくもなかった。
「……人間不信になりそうなんだけど」
「妙なことを言う。人間について貴方は信用をおいてよい生きものだと認識しているのか?」
めまいがした。無理して上半身を起こしてみる。静まり返った敵の拠点でゼクーくんは悠長に紙版本をめくりよっぽどつまんない内容なのか退屈そうに鼻を鳴らした。なんなんだこれ。そのとき医師さんのやや早口な声が電動式携帯電話から大仰に僕を呼んだ。
「――ロットーさん!? 目を覚まされました!? ロットーさん! 聞こえていらっしゃいますか!? ロットーさん――ロットーさんロットーさんご無事ですか――どうか聞こえたら返事を――」
「あっ、うん。聞こえるよ。僕は平気」
あまりにも心配そうだから安心させようと明るめに返したのに医師さんは悲鳴を畳みかけた。
「よく確かめてください! いいですか、貴方はクズ野郎の気まぐれで敵に〈供述調書〉の拷問を受けました――精神状態に違和感はございませんか? 身体はどうです? 技術者たちは記憶を荒らすためにまずターゲットの感情を壊します、感情は魔法で操作ができないものですから、あらゆる毒を使うのです、ロットーさん、後遺症がないことなど万に一つもありません――」
「ヤブ医者。案ずるな。アフターサービスくらいは私が責任を持つ。面倒だが。………………いや、やはり面倒だな。新米を煮るなり焼くなりする権利は貴方にお譲りしよう」
スピーカーが音割れした。
「グレイエス貴様ああああ――!」
解毒したかどうかも疑わしいです、やら、拷問を娯楽にしないでください、やら、良心が一欠片でもあったらロットーさんを囮にはしませんよね、やら、絶対にただでは解毒していないはずですから帰ったらロットーさんは真っ先に俺の診療室に来てください、やら、さんざんな言いぐさがスピーカーから飛びだしてって霧散した。
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