2-17

       ◆


 結構寝てたんじゃないかとおもう。三畳ほどの窮屈な部屋で一人、カビ臭い布団の上で寒さのあまり目覚めて無意識に魔法を使ってみようとし、はっと考え直して取りやめた。帰るまでは必ず指示に従え。監視役から念を押されたにもかかわらずことごとく背きまくったんだったと、おもいだした。状況が把握できるまで魔法を使ってはならないと感じた。


 真夜中の古めかしい遊園地でターゲットの前に立ち塞がった僕に対して反魔団体は手荒なこととかはしなかった。〈銃撃〉を監視役へ向けたまま「小娘。飲め」と放り投げた小瓶のなかの液体を僕がおとなしく飲み干したからかもしれない。


 直後に意識がぶっ飛んで、今起きた。狭苦しい部屋で。ボロ雑巾みたいな布団に横たわって。布団薄っぺらすぎて床の硬さがダイレクトに全身に伝わってくる。状況がだいぶ意味不明なんだけどどうすればいいわけ?


 寒い。歯がガチガチ鳴ってる。天井から吊りさげられた安っぽい電球が打ちっぱなしのコンクリートの床に青みがかった冷ややかな光色を落とす。照明は三畳にすら行き届いてないし窓もないせいで空間全体が暗い。粗末な布団一式以外に物も無く、まるで監獄部屋だ。


 困り果てて放心しつつ、眠気で重い頭へ手をやって「あれ?」四肢が自由に動かせる事実におもいいたった。拘束されてない。まじか。怪我もしてない。その場で屈伸してみる。異常なしだ。寒っ。数歩歩く。歩ける。ドアを開けてみようとしたら鍵がかかってた。


 恐怖に塗りつぶされる。


 ここ、どこ? ドアからあとずさった。小汚くて埃っぽい毛布を頭からかぶって縮こまって軽くパニックになった。


 ドアの開く音がした。


「――――っ!?」


 ぎょっとしてからだをこわばらせた僕の視界で、こざっぱりしたハイネックセーターとデニムパンツ姿の監視役がわずかに目を見開いて入口に立ってる。


「……」


「……」


「…………」


「…………ふむ。なるほど……」


 なにやら納得したらしくぽつりとそれだけ呟いた。


「……」


「……」


 いやいや。


 仕事しろ仕事。説明義務を果たしてよ。


 見たところ青年は本気でこざっぱりした服装で、たとえば破れたり焼けてたり血糊がべったりしたりそういうのがまったくもって見あたらず、まあ普段スーツしか着ないから違和感はすごいけど、いっけんただの休日の一般人だった。意味不明だった。裸足だし。此処は君の実家か?


 一般人さんは手ぶらで突っ立ったまましばし僕を見つめ、おもいだしたように後ろ手でドアを閉め、そんで引き続き突っ立っていた。外側から鍵がかかるのが聞こえた。無表情で黙りこくってる一般人さん。僕は困惑が極限に達して叫んだ。


「説明してほしいよ!?」


「主語が無いのでなんの説明を求められているのか検討がつかん」


「えっなにそれこわい。遊園地の一件のあとで説明を要求してるんだからそのことに関してしかなくない? 検討つくよね、それしかなくない? ここはどこ? なんでこんなとこにいるの? 反魔団体はどうなった? 今それ鍵かけられたの? 僕はなんで眠ってて、君はさっきまでなにやってたわけ? その服どうしたの? これって牢獄? それとも避難所? 安心していい感じなの? 駄目? なにがどうなってるのかなんにも分かんない、説明を聞きたいよ」


 監視役は身じろぎもせずたっぷりと時間をかけて沈黙したのち、いつもの表情でいつもの口調でいつもどおりの態度で緩慢に返した。


「すまないが質問が多くて一つも覚えられなかった。小分けにして再度言っていただけるか。もしくは書きだしていただきたい」


「え」


「……あー、遊園地の服が鍵を……ん……」


 こわいんだけど。


「ゼクーくん大丈夫?」


 いつもどおりに見えるとおもったのはそこまでだった。青年はうつろな顔でたまに呂律とかもあやしくなってふらっと倒れそうになりながら頑なに立ってる。地頭のよさでかろうじてそれっぽい返事をしてるだけで思考力がアホほど低下してる様子だ。


「……鍵の遊園地……の……大丈夫、とは? 大丈夫の基準と回答項目についてご指定願う。ひとまずは主観で曖昧に答えるとする……いのちに別条はない」


「だろうね!? そこだけはね!? そうじゃなくてさ」


「……?」


 歯がガチガチ鳴ってる。


 棒立ちしてる彼の裸足の下で〈呪い〉はむせ返るような密度の精巧な気配を放ち、でも不自然に静止して軋んでる。本人であることは確実だ。体調がおかしいのかも。僕はおそるおそる質問を再開する。


「……杖なしで立ってて平気なの? っていうかどうしてずっと立ってんの?」


「……………………何故だろうな?」


 訊き返すなよ。


「痛くない? 疲れたりは?」


「……痛む。疲れてもいる」


「い、いやに素直だね。座ったら?」


「ん……? 会話の方向性がつかめない。どのような論理で座るという提案に帰結した?」


 座らせた。こわいのでドアに背中がくっつくくらいさがってもらって僕自身もめっちゃ奥にさがった。たかが三畳だけど。たとえば操られてるとか。反魔団体の罠だとか。じつは機構を裏切ろうとしてるとか。想像が四方八方に飛び散った。冷や汗がだらだら流れた。絶対こっち来んなと釘を刺す。と、


「……絶対、とは、いかなる場合においてもその事項を間違いなく成立させると断定をすること。ロットー、悪いが絶対などというものはこの世に存在しない。くわえて特に今は敵によって監禁されている現状を鑑み、絶対などという保証はしかねるものであり、私にできることは貴方の要望に最大限……」


 なにげにこの人に名前を呼ばれるの初めてだな。


「酔っ払ってんの?」


「飲酒はしていない。だが酩酊状態に似た自覚症状はある」


「……」


「……」


 確認をしなければならなかった。


「訊くね。ゼクーくんさっき『監禁されてる』って言った?」


「……言ったか? おもいだせない」


「僕が気を失ってから起きた出来事をぜんぶ教えて」


「……遊園地で薬品を飲んで倒れた貴方を人質に取られた。以上だ」


 一つ一つ順番に確認をするしかないと理性では分かったけど訊きたいこと訊くべきこといろいろごちゃっとしてもう限界でまとまらない思考でわーっとまくしたてた。そしたら彼はどれにも答えないうちに僕を遮った。


 布団の上で毛布にくるまり震えあがってる僕と、打ちっぱなしのコンクリートの床に片膝をかかえてゆったり座ってる青年を、電球の冷たい光色が明滅しながらチカチカ浮かびあがらせる。血の臭いはせず、攻撃系魔法の陣も無い。だけど此処は安全じゃないとおもった。僕たちはまだ危険のまっただなかだ。


「ゼクーくん、いいから質問に答えて。整理しよう」


「……断る。瑣末な質問にはのちほど回答する。時間が有限である以上……私のではなく貴方の時間だが、せいぜい百年かそこらのうちに寿命を迎えて死んでしまう貴方にとって時間は有限であるということを考慮し、人生を有意義なものにしていただくため……あー、時間を無駄に使わせるのは申し訳がたたないゆえ、物事には優先順位をつけて対処……の……んん? 優先度の高いものから処理をする必要がある。よってまことに勝手ながら貴方への回答は後まわしとする……」


 長ったらしい前置きをして焦点のズレた視線をのろのろ持ちあげる。


「質問だ。ロットー」


 これから僕一人でこの頭いっちゃってる上司を守ってどうやって生き延びたらいいんだろう。泣きそうになった。


「貴方は、大丈夫か?」


 嗚咽がもれた。


「怪我はしていないか? 寒くはないか? 痛むところはないか? 体内に違和感は?」


「それどころじゃないでしょ。自分の心配をしなよ」


「……こわいおもいをしていないか? 希死念慮で苦しんでいないか? 得体の知れない液体を飲むなと教え忘れていた。私の責任だ。遊園地の件から三時間ほどが経過し、そのかん私はそばにいなかったので貴方の状態が分からない。起きてすぐに自身のからだを確認したか? していなければ今しろ。貴方は私が守る。絶対――んあー、前述したとおり絶対という保証はしがたい状況だが、貴方を無事に帰すためにできうる限りのことはする。安心しろとまでは言えんが、安心しろ。疲れてはいないか? つらいところは……」


 号泣し始めた僕を前にしてゼクーくんは抑揚に乏しい声で質問を重ね続けた。

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