2-16

「黙ってないでなんか言ったらどうだ、クォル。お前さんが人を連れてくるたあ珍しいじゃねえか」


「……」


「ねえマスター! これめっちゃくちゃ美味しい! 珈琲って甘くするとこんなに美味しいんだね?」


「いくらでもお代わりしていいんだぜ。ぜーんぶクォルが払ってくれるからよお。なあ?」


「……」


「わーい。ゼクーくんありがとう!」


「うまそうに飲んでくれる嬢ちゃんだなあ! 腕が鳴るぜ。次はどれにするよ? なんでも作ってやっからなぁ」


「んーじゃあ次はね……カフェモカにする!」


「おうおう、こいつぁ無料サービスだ。すーぐ準備始めっからちょいと待ってな。ところでクォル、アスリアラちゃんとはそろそろ寝たのか? 便りがくるたんびにお前さんの話題ばっかりでなあ。つっても最近便りがねえんで心配してる。お前さんにひどい目に遭わされたんじゃねえかと」


「…………マスター、貴方までその話か」


「ちんたらしてねえでさっさと抱いちまえつってんだろ? 可愛い子じゃねえか。お前さんはタマ無しか? がははは」


「ねえねえねえ、それって僕に聞こえちゃって平気なやつ?」


「がははははは」


「がははー!」


「……」


 結果的に情報屋さんは此処じゃなかった。監視役は楽しく談笑をし(もしくは一方的にからかわれてだんまりを決めこんでたとも言える)そのあととてつもなく稀有なことに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら「一時間前後席を外す。此処から出るな。マスター、彼女を頼んだ」言い置いて店を出ていった。


 徹夜だったしいろんなことがあったしで僕はマスターが洗いものをする水音と店内にかかったピアノのバラッドをBGMにうとうとした。天井から低い位置にぶらさがった照明の暖色がふんわりぬくもりを感じさせる。空間があたたかくて、なんだか懐かしい感覚がする。懐かしいというか、たましいのふるさとだとおもった。初めて来たのに不思議だよね。マスターはカフェにそぐわない傷痕だらけの腕で鼻歌まじりにカップをゆすいでる。壁の振り子時計が、こ、こ、こ、こ、一秒を刻んでく。


「……あいつ、なんかあったろ?」


 ふとマスターが呟いた。


 こ、こ、こ、こ……。


 返答に窮してる僕を見てマスターは屈託なく笑った。


「いんや。答えなくていいさ。あいつから言ってこねえなら俺は聞かねえ。あれで人に深入りするのもされるのもひどくこわがるタチなもんだから厄介だ。でも、あいつのあんなツラ見んのはしのびねえなあ」


 こ、こ、こ、こ……。


「あんなツラ?」


「見てることしかできねえこっちの身にもなってみろってんだよな。あんなツラでフラッと店に来やがって、そのくせ触れるなと言わんばかりじゃねぇか」


 こ、こ、こ、こ……。


 マスターはそれ以上言及しなかった。僕はあの人をどうおもえばいいのかますます分からなくなった。


 一時間を少し過ぎた頃に監視役は数十回の〈瞬間移動〉のわずかな残り香をただよわせて帰ってきて挨拶もそこそこに僕を連れてカフェを出る。態度に変化がないし訊いては駄目って空気で差し控えたけど何処でなにをしてきたのかかなり体調を崩してるっぽい。公園や書店や雑貨店や湖沿いの散歩道などをなんの目的もなさそうにぶらぶらして、いつまでもそうしてて、でもやばい顔色で時々足取りも不安定で、杖やら塀やら木やらに寄りかかって堂々と誤魔化す。


 心底呆れた。「おなかすいた餓死寸前おなかすいたブラック企業おなかすいたおなかすいたぁああ」駄々をこねて適当な喫茶店に入り、紅茶一杯しか頼まず一瞬で飲み終わったアホをできるだけ長く椅子にとどめるために僕はココアとフレンチトーストとサラダとチーズケーキをこれでもかってくらいゆっくり咀嚼して食べた。おまけにストロベリーシャーベットを追加注文した。用事があって急いでるご様子ですが知ったこっちゃねえです。ばーか。


 散歩を再開した。途中で見つけたオルゴールつきのアンティーク調アクセサリーケースをさんざん悩んだ末に購入し、僕が悩んでるあいだに監視役はベンチで紙版本を四分の一くらい読み進め、それからまたぶらぶら歩いた。


 よく分かんない時間だった。君一人でなにやら仕事してて僕っている必要ある? もしかしたら監視うんぬんは単なる口実で、機構の目の届かない場所でひとこと「逃がしてやる」と伝えるためだけに連れだされたのかなと想像してみたりする。


 噴水のへりに座って手のひらサイズのアクセサリーケースを袋から出し、オルゴールのネジを巻くと、時折ワカメ先輩が口ずさんでた題名の知らないスローテンポの曲が流れだした。店頭に題名は書いてあったけどそれはあえて覚えてこなかった。


       ◆


「移動する。しまっておけ」


 途切れたオルゴールを巻き直そうとしてると唐突に手を引っぱられた。困惑する間もなく監視役が〈瞬間移動〉を立て続けに何十回か繰り返す。さっきまでは違和感とかなかったのに追いかけてくる魔法のあやしい気配を複数察知した。


 魔法にはそれぞれ細かな制限があり、たとえば壊れたものを直す〈修復〉は五分以内にかけないと作動しないとかそういうのなんだけど、〈瞬間移動〉については、一度でも自分の足で、つまり魔法ではないアナログの方法で一定距離以上を移動して行った地点しか行き先に設定できないという制限がある。〈セキュリティー〉がかかってるとこにも〈瞬間移動〉では入れないし、わりと不便だ。


 引きこもりだった僕には〈瞬間移動〉できる場所がほとんどなく、機構のなかは〈セキュリティー〉で拒絶されるわけで、追われてるんだと分かってても僕に手伝えることは無かった。


 そして〈瞬間移動〉にはもう一個、術者と物理的に触れてるものしか移動させられない制限もある。迷惑をかけないよう手を繋いだままおとなしくしてたら数分後にたどり着いた薄暗い森で僕は監視役にやや乱暴に抱きすくめられていた。


 からだが密着する。相手の体温を感じる。かすかな吐息が聞こえた。背にまわされた腕は乱暴ではあったけど痛くはない。シャンプーのほのかな金木犀の匂いがして、さらっ……陽のひかりに儚く溶ける絹みたいな白い髪が僕の頬を撫でた。


「……へ?」


 さすがに。


 ちょっとだけびっくりした。


 だっていきなり無遠慮に男性にこういうことをされたら誰だってそうなるよ。ってあれ、ずいぶん僕も人間らしくなってきたじゃん。自分でそのことに驚く。性別とか年齢とか容姿とかついこの前までなんともおもってなかったのに見あげたいつもの無表情が気味の悪いくらいの美貌だってことに今さらながら緊張してしまった。


 青年は淡々と魔法を広げつつ僕の目を見て命じた。


「帰るまでは必ず指示に従え」


「わ、分かった」


「気に入らなくともだ」


「はーい」


「気に入らなくともだからな」


「分かったってば」


「貴方を先に機構へ送る」


「君は?」


「用が残っている」


「僕にできることは?」


「今は無い。私が指示をだしたら従え、それのみだ。……気に入らなくとも」


「分かりましたってば」


 また〈瞬間移動〉が無数に発動される。追っ手はなかなか優秀だ。こんなにいっぱい移動しても食らいついてくる。監視役が行き先を読みにくくする高度な〈瞬間移動〉をさっきから何十種類も変えて使ってるのに、向こうには魔法陣を読む優秀なブレーンがいるんだろう。それに、この長寿の不死者はともかくとして、敵たちは何処にでも〈瞬間移動〉できるよう事前に世界中練り歩いておいたのかな。


 景色が一瞬でぱっと切り替わり続けて目眩がしてきたタイミングで「言い忘れていたが」低い声がした。


「酔うかもしれんから目を閉じていることを推奨する」


「ゼクーくん、そういうことはね、もうちょい早くおもいだしてほしかったかなあ」


 あとの祭りだ。くらっくらする。


 彼の口調は相変わらず落ち着き払ってる。じわじわと恐怖がこみあげてきた。〈瞬間移動〉。夕焼けの屋上。物が折れる音が響く。〈瞬間移動〉。雪景色だ。〈瞬間移動〉。真夏の海辺。〈瞬間移動〉。都市の雑踏。〈瞬間移動〉。強引にかかえあげられた。痛っ。


「すまない。じっとしていろ」


 移動をしてるあいだもすさまじい数の攻撃系魔法が放たれてきてるから僕へあたらないようにこうしたんだと気づいてもどかしくて腹が立った。


「僕が掃除してあげようか?」


「魔法使用を禁じる」


「即答かよ。あのねえ君」


「禁じる。彼らに貴方の情報を与えてやるな」


 丘の上の花畑と白い教会。〈瞬間移動〉。直射日光が降りそそぐだだっ広い砂漠。〈瞬間移動〉。ものがなしい真夜中の無人の遊園地。〈瞬間移――


「――待って! ゼクーくん、僕此処知ってる……!」


 レンガ造りのこしゃれた低い建物が一角をなしている古めかしい遊園地だった。ぬうっとそびえる観覧車と昔ながらのメリーゴーランド、他国語で書かれた看板が立ち並び、石畳が花の模様に敷きつめられてる。


 それは地下室で椅子に拘束されながら何度か〈検索〉で見たことがある場所だった。忘れもしない。人をたどる〈検索〉だ。


 人とは、家族の。


 お兄ちゃんの。


 血の繋がった、正真正銘の兄の。


 僕は地下室で過ごした幼少期に魔法で家族を調べられるだけ調べようとした時期があった。お兄ちゃんを真似て「僕」という一人称を使うようになった。少しおおきくなってから女の子は僕とは言わないと知ったけど。呼吸が浅くなってく。〈検索〉が事実であればこの遊園地はお兄ちゃんがたびたびきてたところで〈検索〉でそれを調べて飽きるほど何度も見て、だから――。


 今はそれどころじゃなかったのにどうしようもない強烈な衝動で監視役から身をよじって離れた。咄嗟に監視役が僕のほうに左腕を伸ばす。〈銃撃〉がそれを貫く。あ――。次の瞬間には夜の闇みたいに真っ黒なパーカーを着た二十人くらいの集団にずらり取り囲まれていた。月明かりに浮かぶ影のような観覧車の根元、メリーゴーランドの塗装が剥がれかけてるのが見える位置で、監視役が無言で僕を引き寄せ、まわりに強固な〈結界〉を張り巡らせた。


 ぬるっとした。生あたたかい感触とともに鉄の臭いがした。


 冷水を浴びせられたみたいに脳が急速に冷えきってくのが分かった。


 この人の戦闘技術を考えればきっと一人ならさっさと集団をぶちのめしてるだろうに新米を無事に送り届けることを優先してこうなってる。


 なのになにをやってるんだ?


 黒パーカーの約二十人が円形の〈結界〉にたかって破壊を試し始める。時間稼ぎにすぎない。


「――ご、め、んなさい、あの、嘘、どうしよう、えっと僕そのそんなどうしたら――」


 愚かにもほどがある。


「おい。落ち着け。たいした問題ではない」


 冷静沈着すぎてムカついた。濃厚な鉄の臭いがあたりに黒々と充満してきて地面で血溜まりを作り始め、監視役が涼しい顔で十センチ弱の棒状のなにかをぽいとそのへんに捨てたのを見て僕はさらに血の気が引いた。


「杖っ……!?」


「折れたな」


「折れ……!?」


「〈修復〉を引っこめろ。魔法は使うな。それに、五分をとうに過ぎている」


 杖の残骸を捨てて空いた右手に細身の長剣を握り、左手はちからなくからだの横にぶらさげてる。だばだばとすごい量の血が流れて血溜まりを広げてく。足元にはむせ返るような密度の、でも目を凝らしてよくよく注視しなきゃ感じ取れない〈呪い〉の緻密すぎる気配が無音で蠢き、グロテスクな正確さで〈治癒〉をかたち作って、いくつもいくつも発動されていく。


「肩を貸りていいか」


 律儀に馬鹿げたことを訊いてくる青年を素早く支えた。


 魔法で治療するのも馬鹿の一つ覚えみたいに〈治癒〉だけかければいいというもんじゃなくて、〈消毒〉とか〈止血〉、必要に応じて〈摘出〉や〈縫合〉など踏むべき手順はたくさんあるのに、足元の呪いはあまりにずさんな〈治癒〉のみで、それらを見てると恐怖で足がすくんだ。まわりの〈結界〉は長くはもたないだろう。青年がぐったりと寄りかかってくる。熱い。ひどい熱だ。


「僕があの人たち片づけるから――」


「謝る」


「え――は?」


 乱れた息のあいだから彼は声を絞りだした。


「謝罪する。今日の私は判断力を欠いていた。後日に分けても支障のなかった仕事を体調も顧みず決行した。結果として敵に気がつくのが遅れ、貴方を巻きこんだ」


 言葉がでなかった。


「先ほどの珈琲店へ〈瞬間移動〉できるな?」


 でも、僕が戦えば一緒に帰れる。


「そのためにある程度歩かせて店へ行った。〈瞬間移動〉の指定条件を満たしたはずだ。マスターのもとにいろ。あれはそこそこ戦える。あとで迎えを送る」


 だけど君はその怪我でどうするつもりなの。


「三点述べる。一、貴方を低く評価しているのではない。彼らは反魔団体だ。魔術師について極力情報を伏せたい。情報とは未来永劫を左右する最優先事項であり、現在多少面倒でも守りとおす価値を有する。二、彼らのほとんどがおそらく墓無しだ。殺人に躊躇が無い。その手の相手との実践は貴方には早い。怪我をする。三、ついでにどうでもいい再確認だが私は不死者だ。以上。理解したか」


 なんで?


 なんでそんなに落ち着いてられるの?


「私は彼らにいくつか質問をしてくる。新米」


 すっと青年のからだが離れた。


「指示に従う約束だったな?」


 たぶん僕は今すんごいぐっちゃぐちゃの不細工な顔をしてる。


「命令だ。――逃げろ」


 彼が〈結界〉を解くのと僕が〈瞬間移動〉を広げたのは同時だった。〈瞬間移動〉とは、文字のまま瞬間的に移動できる魔法のことだ。なのでほんとうに、ほんとうに一瞬でしかなかった。発動をしてちゃっちゃと僕だけ無事に逃げられる状況だった。そうしなかったのは、そのたった一瞬だけで青年が五回くらい殺されたからだ。


 医療魔法には痛みが伴う。〈治癒〉を多用できないのはここに理由がある。時間のかかるアナログ治療をわざわざ選ぶことがあるほどなのだ。〈消毒〉とか〈止血〉、必要に応じて〈摘出〉や〈縫合〉など踏むべき手順を正しく経てもそうだ。〈治癒〉が拷問方法として使われるのはそのためだ。


 じゃあ、君の〈呪い〉は?


 足元で蠢くグロテスクな〈治癒〉。


「――――――やめて! 殺さないで! もう充分でしょ、やめて!」


 青年の前におどりでて両腕を広げ、僕は叫んだ。

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