2-15

       ◆


 無個性なオフィスビルが延々と連なるのっぺりとした灰色のビル街は、余所者の来訪を想定してないかのように閑散としてて、僕は小走りでついていきながら「〈供述書〉と〈供述調書〉の違い? 前のが合法で、後ろのが違法だってことじゃないの?」と監視役の長身を見あげた。


「そのとおりだ。〈供述書〉は本人が自ら記憶を提出するものであり、対して〈供述調書〉は他人が強制的に記憶を侵害して盗み得るものだ」


 監視を受ける僕は監視役の外出に拒否権なく同行させられてる。無機質なビル街に抑揚の乏しい講義が滔々と響く。


「記憶はすべてにまさる証拠となるため、捜査機関で違法な取り調べが横行した時代もあった。記憶へアクセスできない状況――たとえば所持者の睡眠や発狂、死亡が該当するが、そうならないよう所持者を半殺しにしたうえで丁寧に〈治癒〉するという拷問が相次いだ」


 ――いたい――いたいいたいいたいいあああああ……――――!


 医師さんに〈治癒〉してもらうためにベッドへ縛りつけられ、からだを痙攣させて叫んでた愛煙家さんをおもいだす。初めて食堂に行き、ココアを飲んだ日。悲鳴をあげる愛煙家さんへ医師さんは容赦なく〈治癒〉を浴びせていた――。医療魔法には痛みが伴う。効果的な拷問となる、くらいに。


「他人の記憶を荒らす行為にはかなりの腕が要る。〈供述調書〉の魔法陣自体も高等だが、所持者を眠らせず、気絶させず、死亡させず、記憶のガードがゆるまざるを得ない程度に衰弱させ、しかし発狂はさせない見極めが肝心だ。痛めつけもするが治療も行い、精神安定剤を用い、カウンセリングをし、可能な限り所持者をリラックスさせ、緊張も強いる。ストックホルム症候群で親子のような依存関係に持ちこんだり、極限状態から色仕掛けで落としたり、手法は多種多様だ」


「……エグいね?」


「ああ。完全に人格を塗り替えられると言っても過言ではない。単なる違法どころで済まない重罪とされつつも、犯罪者組織はもちろんのこと捜査機関や各国王宮もいまだ専門の技術者を囲いこんでいる有様だ。誰もおおっぴらには認めんがな。さて、なにゆえ今私がこの話をしているのかというと、」


「……外で魔術師が狙われるとしたら魔法の知識を欲する何者かで、僕にとっていっちばん警戒しなきゃならないから」


「察しがいいな。貴方には外を出歩く前に忠告しておく予定だった。くれぐれも記憶技術者に用心しろ。いいか。技術者に捕まった場合は、甘い言葉を囁かれ親身に治療されたとしても安心するな。連中は優しくなどない。たいした記憶でなければ人格を崩壊させられる前に無抵抗で差しだせ。たいした記憶なのであれば可能な限り早急に発狂しろ。気絶でもいいし、状況によっては自決も視野に入れる必要がある。まあ、捕まった時点でどれもさせてはもらえんだろうが。――要するにだ」


 かつっ、かつ、彼の杖が地面を鳴らす。


「記憶を守るために死んでもいいとおもえるようなものでなければ、知ろうとするな。無知は身を守る。以上」


 大股で先をゆくスーツ姿の背中に僕は尋ねる。


「……妹ちゃんは、反魔法主義団体の神になり損なって保護された四歳の妹ちゃんは、〈呪い〉でお母さんに魔法を封印されたせいで、本人の魔法で合法の〈供述書〉を提出するは無理で、けど妹ちゃんの記憶は反魔団体に関するすっごく貴重なもので、機構は喉から手が出るほど欲しいのに、まさか公然と四歳の女の子を拷問して〈供述調書〉作成に勤しむわけにはいかないから、法律、だから、渋々昔ながらの会話で取り調べをしようと、病棟で軟禁してる、ってことなんだね……」


「ほう?」


「…………医師さんたちが」


 僕は足をとめた。


「医師さんたちが、王守と死闘を繰り広げてまで先輩を王宮から連れだしたのは、先輩のいのちを救うためじゃなく、〈供述書〉が欲しかったから」


 能面みたいに表情を変えない監視役を見つめ返す。


「ワカメ先輩のいのちを救う計画は機構には無かった。毛頭無かった。医師さんが数日だけでも早く王宮に行けば助けられたのに、やらなかった。機構にとって、人の生死や、自由や、幸福や、願望は、記憶という証拠の前ではゴミと同義なんだね。平気で子どもを誘拐監禁するし、仲間を見殺しにする。王から〈死刑〉をくだされるギリギリまでワカメ先輩に情報を集めさせ、それ以上先輩が使いものにならない限界、ほんとうに限界を迎える瀬戸際まで待って、待って、待って、やっと連れ帰ったら怪我人に魔法を使わせて〈供述書〉を作らせる……」


「ああ」


 拍子抜けするほどあっさりと監視役が頷いた。


「ご明察だ。三番が提出した〈供述書〉を見たが見事なものだった。輝かしい殉職だと言えよう」


 輝かしい、殉職。


「機構はな、新米。目を背けたくなるような惨い仕打ちをいくらでも平然とやってのける。でなければ魔法社会の情報戦争のなかで敵に対抗できないからだ。必要悪と割りきるほかない。だが」


 威圧的な灰色のビルに両側から押し縮められるみたいにして、人一人なんとか通れる幅の階段が地下へぐぐっと落ち窪んでいる。


「貴方がもしこのような機構から逃げだしたいと考えているのなら、多くを知りすぎる前に私へ言え。誰にも悟られぬよう責任持って手引きをしよう。今なら、間にあう」


 ――えっ?


 呆然としてるうちに階段へ押しこまれ、重そうな木製のドアを開かれ、其処は地下のレトロなカフェだった。セピア調で撮るのがちょうどピントのあいそうな小洒落たレンガの壁に、いくつかぶらさげられたモノクロ写真と、暖色のライトでやわらかく照らされたピアノのバラッドの空間、隅々にまで染みついた珈琲の香り。だいたい六十代かな、おおきな傷痕が何本も走る顔とそれを覆うウェーブのかかった金髪、筋骨隆々の腕を分厚い胸板の前に組み、どっからどう見てもただのカフェの人じゃない感じのおじさんが、のんきに口笛を吹きつつカウンターの向こうで紙のページをめくった。


「んあ? ……お、おっ、クォルか? クォルだなあ? お前さんよぉおお? 何年も音沙汰なしとはずいぶんなご挨拶じゃねえか?」


 混乱してぼうっとする頭で「……情報屋さんって、これ……?」と呟いた僕に、監視役が「無知は身を守る」と答えた。

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