2-14

       ◆


 豊満な胸元を惜しみなく強調する黒と白のドレス姿のその一枚だけが、僕に許可された彼――いや、彼女に関する持ちものだった。彼女のいかなる情報も他言することは禁止され、写真立てを置く場所も自室に限定となった。


 医師さんがそれらを僕の部屋に設置し終わった頃に号泣する愛煙家さんが訪ねてきて、三人でリビングのテーブルを囲み、どれほどガサツな口調をしてたかだとか、そのせいでブルーノ課長がブチギレて殺しあいの喧嘩になったり、部下たちから幾度となくパワハラで訴えられかけたりしたとか、つーか同様のエピソードが腐るほどあるとか、書類をなかなか提出しないいいかげんな性格だったとか、大酒飲みで仕事が終わるとやたら高いワインを持って人の部屋に乗りこんできたとか、不思議と、彼女はなにかを察知したみたいにいきなり訪問してきて、飲んで、長時間テコでも帰ってくれなかったため、じつは自殺の好機を逃した職員が数知れないとか、僕の知ってるワカメ先輩とは似ても似つかないのにたしかにワカメ先輩なのだと感じる思い出について、医師さんたちが神妙に語る。時刻は昼近かった。話したいだけ話しても話し足りなくて胸がつまり途切れた言葉の合間にふと顧問が歩いてきてテーブルの中央へ腕から外した時計を置いた。


 今時珍しい自動巻きの機械式腕時計。


 ワカメ先輩が、シールス・アスリアラがつけてたものと似たデザインの、でもそれよりずっとずっと古びたアンティーク。


 ――一瞬、僕たちは彼になにを言われたのか分からなかった。


 きょとんとしてる三人を順繰りに眺めて顧問は淡々と繰り返した。


「気は済んだかと、訊いている」


 …………。


 は?


「時計を見ろ。とうに始業時間は過ぎた。そろそろ休憩を終わりにしていいか? 任務前に準備すべきことは山のようにある」


 椅子が一脚後方へ吹っ飛んだ。いきり立った医師さんが顧問の胸ぐらをつかんで殴りかかろうとし――固く握りしめた拳をぶるぶる震わせながら、ゆっくりと、おろした。


「……グレイエス、あなたという人は、こころが、人間のこころが、無いのですか」


「心外だな。だから待ってやっているだろう。瑣末な理由で業務時間を浪費したことについてとやかく咎めるつもりはないぞ? だが、まだ続ける気でいるならばせめてあと何分待てば終わるのかご教示いただきたいところだ」


「……瑣末な、とおっしゃいましたか」


「ああ」


「瑣末?」


「なるほど」


 合点がいったというふうに顧問が鷹揚な態度で頷いた。


「ああ、そのとおりだ。瑣末な理由。見解の相違だな。私個人としては、あらかじめ殉職すると知りつつ受けた任務によって予定どおり殉職した彼女について、本人の望んだ人生だったと考えている。……で、あと何分だ?」


「何分ですって?」


「目安で構わん」


「貴様――」


 運動音痴が振りあげた手は呆気なく顧問に止められる。僕は絶句してたし、愛煙家さんは、


 ――愛煙家さんは軽蔑とも憎しみともつかない冷えきった目で顧問を睨んでいた。


「……グレイエス。姉御がなんのために王宮へいのち懸けで入ったのか考えたことはないのか? 姉御は、あの人はなあ、貴様なんかのために――」


「なるほど理解した。どうやら貴方がたはまだ気が済んでいないらしい。了解だ。では私は待つことにだいぶ飽きているので時間を有効活用させていただく。情報屋にでも会ってこよう。しばらくのんびりしているといい」


 激昂した医師さんを愛煙家さんが座らせた。そのまま医師さんは声をあげて泣いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る