2-13
腫れた目をこすって星を見てると横でぽつんと先輩が呟いた。
「……そういえばとっくに日付が変わっていましたね」
「……わ、ほんとだね」
ベランダに並んで座ったままどちらも黙りこんだ。
何十分か分からないけどそうしていた。
「……二十一日になったということは、ロットーさんにとって初任給だ。よく頑張りました」
「ありがとう。先輩のおかげだね」
「いいえ、ロットーさん本人が頑張ったんだよ」
「先輩の研修が楽しかったからだもん」
「はは、そうですか? そうかな? いやぁ、そうかなあ……」
「……もしや照れてる? よね? へえ……先輩は恩人、天才、偉人、好き……」
「あっこら、こらこらこら、大人をからかうのはやめなさい」
「スーパーヒーロー、人間超えて神、可愛いくてすごいやばい……」
繋いだ手の温度。
肌寒いのに手だけ汗ばむ熱。
示しあわせたような沈黙。
握り返す、意志。
「……初任給かぁ。あーあ、懐かしいな。ロットーさんは使い道を決めてあるの?」
「あまり考えてなかったかも」
「ロットーさんにおすすめのおしゃれな雑貨屋さんやアパレルショップ、書店、生花店などいくつかピックアップしたものを今朝送ってありますから、よかったらチラ見してみてください」
「え、あれ、メール? 気がつかなかった。ありがとう、ちゃんと確認する。めっちゃ見るね」
「ぜひ」
それからまた何十分も無言で星を見ていた。
空は変わらない。動かずじっと僕たちを見おろす。いつまでこうしてるのか分かんないけどいつまでもこうしていたかった。朝なんかこなければいいと願った。
「……ぼくはね」
また先輩が沈黙を破る。僕は彼の無事なほうの手を握れる側の隣に座ったまま聞いてる。ここちのいい温厚な声が僕をやわらかく包みこむ。
「ついこのあいだまで他国の王守として王宮に潜りこんでいました」
「――王守!? とんでもなくエリートの選ばれし殺人集団じゃん」
「ふふっ。そうだね。王族の専属ボディーガードですので、それはもう仲間がバタバタ死んでいきました」
「そんな危ない仕事やめたほうがよくない?」
「王守がどうして人気の職業なのかというとね、この魔法社会において殺人を犯すことは罪のなかでも桁違いの大罪とされているためです。人を殺すと自動的に魔法の副作用で死後の遺体が残らない『墓無し』のからだになってしまう。誰にもバレない完全犯罪だったとしてもね。遺体が残らないから死の場面を誰かが目撃していてくれなければ行方不明者扱いになるし、葬式もできない。もしくは死後に犯罪者として裁かれ、遺族が大変な苦労を背負います。どちらにしても悲惨です」
「……なんだかもやもやする副作用だね」
「はい。正当防衛やら不慮の事故やら人間的にはどんなにやむを得ない事情であっても、魔法というやつは容赦が無いのです。現代、警察やハンターに墓無しであることがバレたら問答無用即死刑です。しかし王守は違うのですよ。王守とは墓無しがまっとうに地位と権力を得られる唯一の出世街道だ。公的に殺人が認められ、王族の専属ボディーガードをする。そうしてまっとうな人生を取り戻すために、墓無したちが必死になるのです」
「……自分が死んじゃったあとで人々にどう評価されようと同じことじゃないの?」
「同じではありませんよ。遺体が残らずとも、葬式をしてもらえずとも、人知れず消えていくのだとしても、自分の死に高級な意味づけをすることができます」
「……」
高級な死、ってなんかちょっと人間のこと嫌いになるフレーズだ。
「まあ、ぼくは王守に興味が無かったので機構へ就職しました。巡り巡って任務で王守になり、ほんとうの目的を隠すためにいろいろとありました。しかしヘマをしましてね。国王にバレてしまったんです。ははは。当然死刑ですよ。王守をクビになったらただの墓無しで、プラスアルファ王族を裏切った罪で人生終了です。そこをラクロワ先生とマーフィさんが助けだしてくれて……」
「んっ? こう言っちゃ失礼だけどさ、あの二人で王守たちに太刀打ちできる? たしか、一国に三十人まで王守を持つの許されてるよね。おまけに王宮だから軍人もうようよしてるんじゃあ?」
「と、おもうでしょう?」
「うん……?」
「運動音痴で有名なとある先生がね、魔法で戦わせるとそれがもう」
「え!?」
「はっはっは。医療にしか魔法を使いたがらないので普段はほとんどやりませんけどねえ」
「へええ……っそれ、それって先輩は王宮に狙われてるの?」
「はい」
先輩の横顔はおだやかだ。僕もまた前に向き直って星を見る。
星。
星はあんなにたくさんあるけど、死んだら星になるとか言うじゃん、それじゃまったくもって人口に足りてないよね。
「王守着任時には国王へ名乗りをすることが国際法で義務づけられています。あらかじめ分かっていました。逃げ延びたあとも、毎日ではありませんが時折国王が〈死刑〉をかけてきています。なんせ、墓無しの処刑は殺人とはみなされません。王族は堂々とぼくを殺すことができます。早くそうならねば、あのクズはやつあたりで国民を虐殺し始めるでしょう。分かっていたことなのです」
「……分かってるならはなからそんな任務受けるべきじゃなかった」
「探したいものがあったんですよ」
一緒に黙りこむ。ほんのちょっとだけ空が白み始めてる。僕たちは手を繋いで高層ビルのベランダからこの世の朝を迎えようとしてる。僕の人生でいっとう残酷な朝を。
「……いのちを懸けても、探したかったの?」
「はい」
「そっか……」
繋いだ手を先輩が持ちあげて腕時計を確認した。あっ。監視役の持ってるのと似たデザインだ。この魔法期に腕時計をしてること自体が珍しいけど、さらに珍しい非魔法の自動巻きだった。腕の動作にあわせてシャッ……ローターがまわるのが聞こえた。
「…………そろそろだね」
「……なにが?」
「時間」
分かってるくせにはぐらかす言いかたで、あやふやに先輩が笑う。
「それじゃあ、せっかくロットーさんが名乗りをしてくれたので、一個呪いをかけておきましょうか」
身を乗りだして僕を壊れものみたいに優しく抱きしめる。
「……第一次魔法期の初期に使われた魔法を『原始魔法』と呼びます。このときの魔力と魔法分子は非常に濃く、現代魔法では到底かなわないと言われています。原始魔法は七百年近く前に滅びましたが、機構でも知らない陣の数々を、各国の王宮が代々ひそやかに受け継いでいるらしいという噂があるのです……」
風に吹かれた先輩の髪と僕の髪が交ざりあう。
「……人間を生き返らせる魔法は、現代では不可能です。試しにかけてみるだけでも代償によって術者が確実に死ぬうえ、成功率は〇パーセントです。ので、研究そのものが法で禁じられています。いくら〈呪い〉と言えども失ったいのちを戻すことなどできはしないのです。だけれども、原始魔法ならば少し異なるのかもしれません……」
顔をあげようとする僕を先輩がやんわり押しとどめる。
「…………ぼくにとってはね、いのちを懸けるのに充分な理由でした。ロットーさん。これは我儘な呪いです。どうか頼みます。できなくても仕方がないけれども、できればあの人を不死から解放してくださいませんか。ぼくは名前すら覚えてもらえませんでした。栞を奪っても代わりを見つけようとはしてくれませんでした。ただの片想いでした。でも……」
遠くから巨大な魔法陣の気配を感じた。記名式のひどく乱暴で殺意に満ちた陣だ。禍々しい色で鋭く切りこんでくる。風のように。
「……ロットーさん、でも、それでも、ぼくは任務を受けたことを後悔していないんですよ。これ以上ないほどの意味づけに満足しています」
呪いをかけると言いながら先輩はなにも魔法を使わなかった。呪いのような遺言だけ残して〈死刑〉に貫かれ、王族を守るために墓無しとして生きる王守らしく、からだを霧散させて存在ごと空に溶けた。
繋いだ手はからっぽになった。
◆
メールのリストを確認してあとのほうについでみたいにつけ加えられてた生花店へ行き、僕は生まれて初めて買いものをした。
◆
「――シールス・アスリアラに」
医師さんが泣き腫らした濡れた声で言って、姉御、と呟いて、三十代くらいの妖艶な女性の写真の隣に僕の花を置いてくれた。
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